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7.朽葉色の憂鬱6

 次代――数十年後を待たずに、新たな聖女が現れる可能性があるのか。



「……あるかもしれねぇな」


 唐突に問われたルードルフは、魔獣の――引いては封印を司る聖女の力の研究者として、迷いながらも頷いて答えた。


「おっと、早合点するなよ。可能性の話だと訊かれたから是と言ったまでだ。無論、王宮も聖女がそもそもどういう存在かある程度は把握していたからこそ、それに気づいたんだろうがな」


 続く専門家の説明はやや回りくどかった。

 即ち本来聖女とは何なのか――について理解していない限り、結論には辿り着けないとルードルフは語った。


 聖女は異世界から降臨する。


 しかし異世界からやって来た人間すべてが聖女の力――魔獣を封印する力を有してる訳ではない。意外と知られていない事実だとルードルフは言う。

 さらに聖女の降臨周期と言われる二、三十年を経ていなくとも、異世界人自体は現れるのだとも。


 納得はいく。

 殺された当代の聖女サユの降臨より一年程前に、トクサ離宮の魔女カレンは転移してきたのだ。彼女は異世界人であったが聖女の力はなく、代わりに魅了という特殊能力を持っていた。


「建国以前の古い記述によれば、界渡り自体は珍しい現象ではない。だが多くの異世界人は界の狭間に落ちても、生きてこの世界まで辿り着けねぇんだ」


 実は今の世でも異世界人らしき死者が年間数人は発見されている、とルードルフは中央でもあまり知られていない情報を口にした。


「聖女か聖女に近しい存在でなければ、界の狭間を渡り切ることはできねぇのかもな。死体で発見される異世界人の殆どは男か、女の場合は中年以上の年齢だ。もしくは黒髪黒瞳ではなかった」


 建国王の生母と同じ特徴を持つ――髪も目も黒く、ニホンなる国で生まれ育った若い娘でなければ、界渡りを成し遂げられない。そんな彼女たちがこの世界に舞い降りると、何故か例外なく元の世界にいたときには持ち得なかった不思議な力に覚醒するのだ。いわゆる異能である。


「異能……個人に宿る固有能力。古来では、『天与』や『果報』と呼ばれていた。世界から授かる恩恵と言われる。もちろん異世界人でなくとも異能を持つことはある。幻獣使いもそうだな」


 尤も全体の割合的には少数派には違いない。だから必ず異能を得る異世界からの漂着者は貴重だった。

 加えて、オルフェン王国では異世界人に発現しやすい能力と、建国時代に必要とされた能力が一致した。


「言わずもがな、それは魔獣を封じる力だ。より正確を期すのであれば、魔獣に限らず、幻獣や人間の異能すらを含め、他者の力を封じる異能……らしい」


 その貴重な能力に目覚めた者だけを称して、聖女と呼ぶ。

 歴史上、同時期に同世代の聖女が重複した記録はない。先代――現王妃と当代の聖女サユのように降臨時期が開いて、親子程の年齢差があるのが普通なのだ。


「けれどそれは天の采配でも何でもねぇのさ。一度聖女が現れると、次の世代になるまで聖女探しをせず、たとえ該当する人物が重複して現れても王宮が保護しないだけなんだよ。まあ、下手をすると揉め事の種になり兼ねんからな」


 ルードルフが調べた限りでは、聖女の降臨――少なくとも異世界からの来訪者の数や時期に運命の手は働いていなかった。偶然の産物であれば、時間間隔の法則は絶対ではない。何十年も待たずに済むか、或いはもっと時間がかかるかはわからないが、可能性としては皆無ではないのだ。

 人為的な手間次第でいずれ発見されるのであれば、話はぐっと単純になる。


「……さて、ここでひとつ朗報だ」


 王宮側にとって予想外かつ喜ばしいことに、ルードルフは主に自分の研究のためにだけだが、バッハマン家の権力を使って異世界人に関する情報を集めていた。

 今から手を尽くしたところで一からの捜索では困難を極める。ルードルフが把握するバッハマン家の情報網を利用すれば、労力と時間の短縮ができるだろう。


「ルグレイという街を知っているか?」


 広げた地図を指でなぞりながら、ルードルフは海岸線沿いにある地名を挙げた。ケムビから馬を飛ばして三日程度の距離だろう。


「ほんの一月前の情報だが」


 最早聞くまでもなく、誰もが気がついていた。ルードルフが得た情報の価値は計り知れないということを。


「……この港町で、明らかに異邦人と思しき()()()()が目撃されている」



 +++++



「……黒髪の? 本当に?」


 一月前、ルグレイという港町に異世界人らしき黒髪の乙女が現れた――。


 ルードルフの齎した新たな光明を耳にしても、クロノは無条件に信用してはいないようだった。

 当然である。よもや聖女が亡き者にされたのとほぼ同時に、そんなご都合主義のような事象が起こり得るだろうか。誤報どころか何らかの陰謀と疑っても無理からぬ話だった。


「カレン――王太子妃ではなく?」

「どうも十五歳(じゅうご)かそこらの小娘らしい。殺されたという当代と同じくらいだな。お嬢ちゃんより少し上ってところか? 王太子妃……トクサの魔女は確かもう二十歳(はたち)を越えているだろう?」

「ああ、三年前の時点で十九歳(じゅうく)だった」

「別人……か」


 クロノとエドは互いに視線を合わせた。

 実際に確認するまでは行方不明の魔女の可能性は排除し切れないかもしれないが、どちらにせよ重要な目撃情報だ。


(もうひとりの、黒髪の……異世界人?)


 混乱する頭で、リンドは状況を整理する。


 聖女を必要とする国――オルフェン王国。

 異世界人であるが故にいったんは聖女として王宮に迎えられた魔女。

 魔女を弾劾し、追い落とした本物の聖女。

 聖女を殺した……何者か。


(新たな聖女……)


 別にリンドが気に掛ける必然性はないが、妙にきな臭い匂いがした。


(もちろん殺人みたいな物騒な事件が発生している以上、何かしらの思惑はあるはずだけど……)


 聖女を殺めた犯人について調査中だった騎士団の面々が襲撃に遭った以上、国の中枢に近い位置で蠢いている手があるはずだ。

 常識的に考えれば、聖女不在により国の安定は大きく損なわれる。それを承知で事を起こす者は誰なのか。どのような陣営の、どういった意図が隠されているのだろう。


聖女サユがいなくなったとしてもオルフェン王国の不利益にならないと判断した……または、国に不利益を与えることこそが目的だった。どっちかな)


 前者であれば、ルグレイの港町で目撃されたという聖女候補が関わっている可能性は高い。代わりがいるから邪魔者は消されたと考えれば辻褄は合う。サユが聖女として台頭することにより、自身の地位が危うくなる派閥があったのかもしれない。

 しかし後者であれば、国を傾けること自体を目的とする輩――つまり外敵か破滅主義者だ。どちらにせよ厄介極まりない。


(私怨という可能性もあるかな)


 王宮は真っ先にトクサの魔女に疑惑を向けた。なるほど復讐者であれば、国の行く末など気にも留めるまい。

 だが、リンドにはどうにも解せない。

 襲撃者の件を含め、そんな単純な話で終わらせるのは不自然である。


「面倒だな……」


 同じ結論に至ったらしいクロノがぽつりと零す。深く寄せた愁眉には、後手に回り過ぎている焦りが見えた。

「かと言って……我々にできることはひとつだけだろう、クロノ」

「わかっている、エド」

 両者の声音は酷く重々しい。

 深刻になる理由は端で聞いているリンドにも理解できる。彼らの次の行動を予想することも容易かった。


(マズイ……またしても嫌な予感しかしない)

 

「ルードルフ殿、その黒髪の娘について、知り得る限り詳しく教えてほしい。それからここから最も早くルグレイに着く道のりも」

「構わんが……クロノ殿、行くつもりか?」

「できれば貴殿もだ、ルードルフ殿」


 依頼の形を取りながらも、王宮から権限を与えられた者が口にすれば、ほぼ強制であり命令である。引退しようが隠居しようが、生まれが貴族のルードルフが逆らうのは難しい。

「あー……まあ仕方ねぇか。どうせ断ってもいずれ王宮から呼び出しがかかりそうだしな。聖女かもしれないというその娘に直接会うのも悪くない」

 後ろ頭を掻いてルードルフは要請を受諾した。一見乗り気ではなさそうだが、実は研究者として聖女候補――転移してきた異世界人に興味があるのは明白だった。


「つーかこの流れだと、お嬢ちゃんも、か?」

「はい?」


(よ、余計なことを! ルードルフ先生!)


「幻獣使いのお嬢ちゃんがいれば、新たな聖女探しの助けになるかもしれんよなぁ?」

 わざとらしく話を振ったルードルフは、クロノやエドの考えとは別に、リンドを巻き込もうとしているようだった。

「ちょ、待っ……私の役目はここまでの道案内だけで、新たな聖女探しなんて、そんな」

「まあ道理だね」


「契約は延長だよ、リンド」

 リンドは慌てて首を左右に動かすも、クロノは決定事項として告げる。

「この状況下では、無所属の召喚士がいてくれた方が何かと都合がいい」

「いや、でも私、関係ない……」

「君はすでに無関係ではないよ」


「カレン――王太子妃に会っている君が、この局面で我々と出会ったのは運命のようじゃないか」

 口端を僅かに上げたクロノは、有無を言わさぬ迫力でリンドににじり寄る。

「顔っ、近いですっ、クロノ様!」

「よいね、リンド?」

「で、できたら遠慮したいんですけど」

「うん、できない」

 端整な顔を至近距離に眺めるだけで、リンドは震え上がった。断る隙は微塵もなかった。


「横暴!!」

「失敬だなあ。これでも私は極めて穏便に話をしているんだよ?」


 そもそもこの国で選択する権利は、地位身分の高い者が有している。それ以上に、クロノの言葉には逆らってはいけないような気迫があった。

 彼が柔らかいのは表面的な物腰だけだ。今までに散々思い知らされたリンドは、不本意ながらも諦めて頷いた。


「うううう。じゃあ……その、ルグレイとかいう港町まで、ですよ? 絶対ですよ!?」

「……よろしい」


 クロノは満足気に笑った。

(……っ)

 不意打ちでリンドは心臓を跳ね上げる。美形の微笑みは破壊力が高かった。


(くそぅ、イケメンめ! そんなんで性悪が誤魔化せると思ったら大間違いだ!)


 殆ど負け惜しみのように独り言ちると、リンドは残念な成り行きに身を任せた。






 王国歴580年――後世において、歴代随一と称えられるかの聖女が現れた年。

 春が始まる直前の季節に、王国の片隅の田舎町から物語は始まり、舞台は海辺の港町に移ろうとしていた。






<朽葉色の憂鬱〜了>

次話より「群青の港町」

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