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6.朽葉色の憂鬱5

 ()()()のあの日――朽葉色の瞳の少女と黒髪の魔女の運命は、密やかに交差した。


 リンドはその日のことを、多分ずっと忘れない。ずっと鮮明に憶えている。



 +++++



 ある夜のことである。

 ケムビの街の片隅の、一際貧しく見窄らしい家に、闖入者があった。


 異変に気づいたのは、住人の少女だった。狭い家の中に同居の祖父以外の気配を感じて、少女ははっと息を呑む。悲鳴どころか誰何の言葉すら出てこなかった。


『……驚かせてごめんなさい』


 若い女特有の、しかし絞られるように発せられた声が、少女の耳に響く。弱っているのだとすぐに察せられた。


 膝をつく音がする。

 壁にもたれ掛かりながらも、身体を支えきれていない。辛うじて立ってはいるが、崩れ落ちる寸前なのだろう。


『ど、したの?』

 少女は見ず知らずの女に問う。

『怪我……してる?』

『擦り傷だから、大丈夫。裏口から勝手に入ってごめんなさい。ひとが住んでないのかと思って』

『ああ……うち、こんなボロだもの』


 弱々しく語る女を、少女はすでに警戒していなかった。害意の欠片も見出だせなかったからだ。


『ごめんなさい』

『貴女は、誰?』

『……何だろうね。この国の偉いひとは、私を魔女と呼んだけど。トクサ離宮とかいうところに閉じ込められそうになって、逃げて来たの』

『魔女?』

『そう。怖い魔女なのだって』


 女は自嘲気味に笑った。

 諦念しか感じられぬ力ない様子に、少女は同情を覚える。



 ――かわいそうだ。



『……うちにいてもいいけど、何もできないよ? 見ての通り貧乏だし、おじいちゃんの薬どころか、もう芋のひとつも買えないの』

『――……』


 女はしばし絶句していた。

 それから微かに聞こえる言葉は「なんで」と「どうして」を繰り返しているように聞こえた。

 他人に裏切られ、人間不信になって堕ちていく者が、貧民街では少なくない。

 多分、彼女もそういった人々同じ体験をしたのだろう、と少女にはなんとなくわかった。


 少女も決して恵まれた境遇ではなかったが、独りで耐えている人間を気に毒に思う。或いは同病相憐れむといった心理なのかもしれない。

 おそらく……ずっと救いがなかったのだ。


 彼女にも、自分にも。


 初めて出会った相手同士なのに、二人はいつしか互いにそう悟っていた。


 やがて女はくすりと微笑った。

 同時にごそごそと動いた。懐から何か重量のあるものを取り出すと、無造作に床に投げる。

 硬い金属音が跳ねた。


『……?』

『お金。銅貨、かな。その袋に五十枚くらいある。逃げるときに……馬車が崖から落ちてね、死んだ兵隊さんの懐から拝借したの。褒められた行為じゃないけどね。どこに行くにも先立つものは必要だったから』


『あげる』

『え?』


 少女は朽葉色の瞳を大きく瞠いた。虚ろの中に女の黒髪が揺れる。

『いっぺんに使うと怪しまれるから、少しずつにしたらいいよ。それでも足りなくなったら、私を売りなさい』

 まるで他人事じみた口調だった。

 自棄か冗談か区別はつかない。

 幼い少女には、そこまでの感情の機敏を読み取る能力はなかった。


 女はさらに投げやりに続ける。

『ああ、でも子どものタレコミじゃあ、信じてもらえないかもしれないね。変に伝わって、横取りしようとする輩がいたら心配だし。だから……そうだ、教えてあげる』



『私は――カレン』



『……カレン?』

 どこかで聞いた名だと、少女は小首を傾げた。ただ馴染んだ響きではないので、気のせいかもしれない。

『カレンというの。もしも私の話をして疑われたとき、証拠を出せと言われたときに、ちゃんと時機を見計らって、この名を出すといい。逃げてきた魔女の名は、カレンだと……』


 それだけ告げると、女は気が抜けたのか座り込んで気を失った。





 結局のところ、少女は魔女だからと女を売ったりはしなかった。貰ったお金を遣って、僅かな食糧と祖父の薬を買い、ほんの数日の短い間だけ女を匿った。


 偶然に知り合っただけの、年齢も育ちも異なる二人が、何故お互いに通じ合うものを感じ取ったのか。当時は互いに理解できてはいなかった。


 いや、それは今でも変わらない。




 女はあのとき、何を考えていただろう。

 少女はあのとき、何を思ったのだろう。





 ▼△▼△▼△



「……三年前?」

「三年前、ですよ」

「三年?」

「ええ、だから三年も前の話ですよ」


 赤くなった腕をさすりながら、リンドは不愉快そうに答えた。脅迫に負けクロノの要求を飲み、情報を吐かされたのは屈辱だった。と言っても大した内容ではなかったが。


 要約すれば、今からおよそ三年くらい前に、ケムビの街にある貧しい家に、ひとりの若い女が迷い込んだというだけの話だ。

 廃屋のような崩れかけた家には、病気でほぼ寝たきりの老人と朽葉色の瞳を持つ小さな少女が住んでいた。そうして偶然、女と少女は僅かな邂逅を果たした。


「黒い髪で黒い眼の女のひとでしたよ。自分でトクサ離宮から逃げて来た魔女だと名乗ったんです」

「名は、言っていたか?」

「……カレン」

「本人か……」

 その名を聞いて、クロノとエドは顔を見合わせた。一瞬のうちに幾つもの感情が交差しているようで、リンドは複雑な気分になる。


「それで?」

「なんか可哀想だったので、ちょっとだけ内緒で匿って……もしかして、これって重罪ですか? そのひとはいったい()()()()んです?」

 リンドは肩を落とした。もちろん発覚したら拙い過去だとわかってはいたが、まさかこんな形で話すことになるとは、想定外にも程がある。

「……トクサの魔女と呼ばれる、君が会ったという女性は、聖女サユより前に現れた異世界人だ。聖女と誤認され、王太子の妃として迎えられた」

「誤認……騙り、ですか」

「さて、どうだろう。私は彼女自身が積極的に周囲に偽ったとは思っていないけどね」

「そう……なんですか」


「お前の見解は今は関係ないだろう、クロノ」

 脱線しそうになったクロノに、エドが釘を刺す。 

「彼女は三年前に聖女を騙った罪に問われ、魔女としてトクサ離宮に追放処分となった。それだけだ」

「エドの説明は端的に過ぎるな」

「あー……いえ、別に詳しく聞かされても困るので、充分ですけれども。ていうか、知らなかったんだから罪じゃないですよね? 逃亡幇助とか言われても困ります」


 リンドが重ねて尋ねると、クロノは微妙そうに嘆息した。咎める様子ではないが、不可解とばかりに首を傾げる。

「今更言っても詮のないことだが、どうして出会ったばかりの不審人物に同情したんだ? 君は警戒心が強い方だと思ったんだが」

「さあ……何故でしょうね。今よりもっと、ずっと幼かったからですかね。そのひとは夜通し離宮トクサから裸足で歩き続けてきて……擦り傷だらけで服もボロボロだったし、今にも倒れそうだったし、同情の余地なんか指折り数える程ありましたよ」


 少しだけ懐かしい記憶を辿り、リンドは瞳を眇める。何かを諦めたような黒髪の女は、あのとき少女に何と言葉を掛けたのだったか。

(あまりよく憶えてないけど)

 子どもでなくとも三年は決して短い月日ではない。


「どっちにしろ、私の認識では三年も前の……昔の話なんですよ。驚いたのは、先生が『先日』って言ったからです」

「なるほど」

 合点がいったとクロノは頷く。

「さて、どう説明したらいいものかな、エド。ルードルフ殿には最初から明かすつもりだったが、どうやらリンドも無関係ではないらしい。子どもだから蚊帳の外という訳にはいかなくなった」

「……致し方あるまい」

 もともと渋かった表情をさらに険しくしてエドは言った。

「手掛かりは少ない。僅かな痕跡でも重要だ」

「同感だね」


 クロノは探る目でリンドを見た。まだ何か隠していないか疑っている表情だ。

「その後の彼女の足取りはわかるか、リンド? 何でもいいから心当たりがあれば全部話すんだ」

「……いえ、知りませんけど。この国のどこにも行き場なんかないって言ってましたよ。逃げるか隠れるかしなければって。ああ、王国を出るにはどうしたらいいのか、とも」


 卓上の地図にはバッハマン領付近の限られた地域しか載っていないが、全員が改めて地理を確認する。この辺りは辺境、つまり国境側にも近く、さらに海岸沿いの港に出ることも可能だった。


「さすがに国外に出てしまっていたら、追うのは困難だろうな。それも三年も前のことでは」

「クロノ、逆に彼女が今回の件に関わっていない証左ではないか?」

「再入国している可能性もある」

「我が国の入国審査は厳しいが……」

「まあ他国からの移民の受け入れをほぼ禁止しているからね。だが裏ではいくらでも手段はある。その辺りは論じるだけ無駄だろう、エド」


 よく似た顔を付け合わせながら、騎士たちはひそひそと話し込む。リンドは彼らがトクサの魔女を追跡したいのは理解したが、前の話と結び付かず困惑した。


(聖女が殺されたんだよね? それとどう繋がるのかわからないけど、魔女はついこの間逃亡したことになってて……何か関係あるの?) 


「……おい、お二方よ」


 リンドへの追求が始まってからずっと沈黙していたルードルフが、遮るように口を開いた。

「もう少し詳しく説明してもらってもいいか? これは俺の勝手な印象だが、先入観で物事を判断するのは危険だと思うぜ?」

 ルードルフは外見こそ若々しく態度も横柄だが、その指摘は年長者ゆえの落ち着きがあった。


「先程の話だと、当代の聖女が殺された……んだろう? 王宮は犯人をトクサ離宮の魔女――つまり三年前に聖女を騙った罪で幽閉された元王太子妃ではないかと疑っている。そういう訳だな?」

「正式には離縁していないから、公的に彼女はまだ王太子妃のままだが……」

「となると、事態はもっと厄介じゃねぇか。妃殿下が行方知れずだなんて、国の威信に関わるだろ」

「それも三年も前から、だ」

 エドが短く補足する。あまり口数の多くない相棒に続き、クロノが加えて言う。

「正確には三年前に逃亡していた事実が、今回の件でトクサ離宮の調査を命じた際に露見した。トクサを任されていた代官がずっと隠匿していたんだ。本当は護送の際に行方知れずになっていたらしい。これがバッハマン家が情報を得たという『先日』王宮に齎された話の真実だ」


(嘘……そんなことってあるんだ?)


 信じ難い気持ちで、リンドは朽葉色の瞳を丸くした。

「王宮の……お偉いさんの方々、三年間誰ひとりとして会おうと思わなかったんですかね?」

 リンドは何気なしに呟く。

 相手が王子の妃にしろ、わざわざ離宮に幽閉するような咎人にしろ、普通の感覚ではあり得ない対応に思えた。


「無論、それについては王宮は責任を免れないだろう。第一には脱走を許したうえに失態が公になるのを恐れて偽証した離宮の者たちにあるが……」

 追求はまた別の話だ、とクロノは諦め混じりに言った。おそらくすでに色々あった後なのだろう。


「それよりも我々が早急に解決すべき問題が二つある。ひとつは当然、聖女殺害犯を特定、拘束ないし処断すること。もうひとつは……」

「確かに聖女不在のままじゃ、今すぐでなくとも、いずれ封印の効力が失われるかもしれねぇな。なるほど、わざわざクロノ殿やエド殿のような方が市井の研究者である俺の元を訪れたのは、その対策のためか」

 ルードルフは得心がいったようだ。

 リンドも後から知ったことだが、とうに中央から退いたとはいえ、かつて第一人者として名声を馳せたルードルフは今でも上流階級に信用と影響がある。

 王宮だけでは手に負えない事態に直面し、命を受けた騎士たちは、ルードルフの助言を得るためだけにこんな片田舎までやって来た。無知なリンドが想定するより、状況はずっと逼迫しているのかもしれなかった。


「我々が火急におうかがいしたいのはまず二点だ、ルードルフ殿」

 クロノは二本の指を立てた。剣を扱う騎士にしては、意外にも滑らかな白い手をしている。

「封印がいつまで保つか、か?」

「そう、当代の聖女亡き今、本当に現王家の力だけで大丈夫なのか」

「もう一点は?」

 指をひとつ折ったクロノに、ルードルフが重ねて尋ねた。リンドは思わず長い人差し指に見蕩れてしまう。


(もう一点は?)


「次代を待たず――()()()聖女が降臨する可能性はあるのかどうか、だ」

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