5.朽葉色の憂鬱4
「王宮騎士団のクロノ殿、エド殿……ねぇ」
「お初にお目にかかる。家名を名乗らぬ無礼、どうかご容赦いただきたい。一応、極秘扱いということなので」
「いや。まあ、これでも王宮勤めをしてたからな。面倒なお立場とやらは理解しているつもりだが」
作業が終わったルードルフは、訪ねて来た騎士たちと互いに挨拶を交わした。
貴族的には本来もっと堅苦しい遣り取りが普通なのだろうが、ここは王宮でもお屋敷でもない。双方とも納得のうえで形式は省き、ルードルフも素の言葉遣いを変えなかった。
クロノも当初は粗野なルードルフの態度に面喰っていたようだが、今はおくびにも出さない。さすがに手慣れているというべきか。
(いや、どうでもいいけど)
リンドは無関係であるし、あわよくばこの場から逃げ出したかった。しかし一度席を外そうとしたのだが、どうしてかクロノが許さなかった。道案内としての義務は果たしたはずなのに、まったく不本意極まりない。
(これ以上は巻き込まれませんように)
ささやかな願いを込めて、リンドはなるべく控え目な位置取りをする。ここまで狭い部屋でなければ、雲の上の会話を聞くつもりはなかった。
「ルードルフ殿、今のオルフェン王国には貴殿の見識が必要だ。幻獣……いや、魔獣研究家としての」
単刀直入にクロノは告げた。
「王宮に仕えていた頃、貴殿こそが第一人者であったとうかがっている」
「……いったい何だ?」
学者であるルードルフの頭の回転は早い。
遠回しな科白でも、騎士が――その背後にある王宮が抱える事情をすぐに察していた。
「懸念は何だ? 例えば、魔獣の封印に綻びとか?」
「……今はまだ。しかし」
「不安材料があるってことか?」
言葉を飾らずに、ルードルフは尋ねた。
「封印自体は無事……なんだな? って言っても、代々の封印が容易にどうにかなるものじゃねぇ。それとも……」
「王家のどなたかに、何かあった――か?」
率直な問いに緊張感が走った。
常識的に考えれば、或いは質問者がルードルフでなければ不謹慎に過ぎただろう。国家の中枢に対する疑念は、それだけで不敬罪に問われ兼ねない。
(うわあ、先生それ言っちゃう?)
傍で聞いていたリンドも息を呑んだが、クロノは不快になるでもなく頷いて答えた。
「現王家には何も」
「ほう、じゃあ何が心配なんだ?」
「将来……とでも」
それだけで何かを察したのか、ルードルフは顎に手を置いてしばし考え込んだ。
「……ふむ。時にクロノ殿は、いわゆる魔獣についてどの程度ご存知だ?」
口調に似合わぬ真面目な表情で、ルードルフは問うた。
「周知の通り、魔獣は建国の当初から王宮の地下に眠っている。初代より王家が連綿と封印を維持し続けて今に至る。その源を今更クロノ殿のようなお立場の方に説くのも妙な話だがな」
「血統によるもの、と」
「その通り。異世界から遣わされた聖女の血筋ゆえ……だ。聖女の持つ魔獣封印の能力は次世代に引き継がれる。だが」
ルードルフはひと呼吸置いた。
「その次の代にまでは、その異能は顕現しない」
「例えばイシュラ公爵家に降嫁された王妹リジーナ殿下がそうだよな。異能を持って生まれなかった。庶子で聖女の血を引いていないからだろ」
「ルードルフ殿の言う通りだ。だからこそ王は代々その時代に降臨する聖女を妃として娶り、魔獣を封じる力を絶やさないようにしてきた。そして聖女の血筋でない庶子に王位継承権は与えられない」
「で、今現在――国王陛下を除き、聖女の血と異能を受け継ぐのは、唯一エディアラード王太子殿下だけな訳だがな」
ふむ、とルードルフは顎に手やった。
「しかし、だ。逆に言えば最悪、国王王妃両陛下に何事か生じても、現王妃の実子である王太子殿下がご健在であれば、当代に限っては、まだ封印に問題が生じやしねぇんだよな」
「当代、と申されたな」
ルードルフの言い回しに口を挟んだのはエドである。単に回りくどい言葉選びに引っ掛かったのではなく、具体的に心当たりがあるようだった。
(当代? 今は……ってことだよね。クロノ様は現王家には別に何も起こっていないって……ん? 現王家には、とか、将来とかってどういう意味なんだろう)
会話から読み取れるのは、おそらく遠くない先に魔獣の封印が破られるかもしれない――可能性がある、という事実だけだ。封印を司る王家に何事かが起こる予知か予兆でもあったのだろうか。
「王太子殿下にはお子がおられないからな。確かに世継ぎの心配はあるかもしれんが、焦らずともまだお若いだろうよ。それに奇しくも丁度あの騒動から三年……」
ルードルフはリンドの方をちらりと見た。
「ああ……ルードルフ殿は当然知っているだろうな。確かにあの一件は緘口令が敷かれているが、今は構わない。ここまで来て言葉を濁しても仕方がない」
(え、私は別に聞きたくないんだけど)
好んで同席した訳ではないリンドは、あからさまに嫌そうにする。事が国家単位の問題であれば、尚更関わりたくない度合いも増すというものだ。
(だいたい、三年……前の騒動って)
正直言って詳しく知りたい話ではないが、耳を塞ぐこともできず、リンドは内心で嘆息する。
「じゃあ……率直に言うが」
クロノの許可を得て、ルードルフは続けた。
「王家じゃねぇとしたら……もしかして、当代の、本物の聖女様に何かあったのか?」
「正解、だ」
さすがルードルフ殿、とクロノは大仰に感心してみせた。
褒められてもルードルフはにこりともしていない。言い回しはおどけていても表情は真剣そのものだった。
クロノも笑ってはいない。
リンドと話すときの軽妙さが嘘のように、暗く眉を顰めていた。
「つい先日の話だ」
ようやっとクロノは長い前置きを終えて本題に入る。気のせいか一瞬、室内の気温が下がったかのごとく、冷たい空気がリンドの背を這った。
「聖女サユが――何者かに殺された」
+++++
オルフェン王国の殆どの人間は「聖女」なる存在を、奇跡そのものくらいにしか認識していない。「聖女」とは異なる世界から降臨し、常人ではなく特別な力を持つ女性で、王の伴侶となり国の繁栄を約束する守護者である――と、子どものときから寝物語で大袈裟に伝え聞くものではあるが。
(殺された……って、それ結構ヤバイんじゃないの、この国的に。聖女の力は魔獣の封印に必要なんだよね?)
「聖女が殺された……か」
「そうだ。何者の手によるものか未だ特定できていない」
クロノが告げた衝撃的な事実に、リンドは目を瞠った。朽葉色の瞳が大きく揺れる。もちろんルードルフも驚いているようだったが、動揺は薄い。
「もしや何かご存知か、ルードルフ殿」
「さてねぇ」
ルードルフは真意を悟らせない皮肉気な面持ちで、すっと立ち上がる。部屋の隅の戸棚の引き出しを開けると、丸まった一枚の紙を取り出した。紙には文字でなく地図が描かれていた。
「バッハマン家の領地と近隣のものだ」
「?」
「俺はこの通り隠棲しているが、今でもバッハマン伯爵家の助力もあるし、情報も手に入る。むしろ積極的に利用させてもらっているのさ」
言いながら、ルードルフは地図を広げ指である場所を指し示した。
リンドは文字が読める。遠目でルードルフの指を追って、地図に走り書きされた地名を拾った。
(ええっと、ト、ク、サ)
「トクサ――」
声を上げたのはエドである。
それはケムビの街から馬で一時間程度の距離にある国有地を表していた。王室の持ち物であり、許可なく立ち入りを許されない禁域である。古めかしくも豪奢な城は一般人にも広く知られている。
「トクサ離宮……」
「ではルードルフ殿が得た情報というのは」
「当然、すでにクロノ殿たちはご承知かもしれんがな。数日前のこと、伯爵家の『耳』から俺に報告があった」
「先日、トクサ離宮の魔女が脱走したらしい、と」
「――え?」
(あ! ヤバイ!)
思わず反応してしまったリンドは、慌てて口を噤んだ。
不覚だった。
思いもかけず耳にした「トクサ離宮」「魔女」「三年前」という単語の組み合わせに、リンドは覚えがあったのだ。
「す、すみません。失礼しました」
「リンド、君は」
クロノの双眸が鋭く細められる。リンドは失態を悟ったが、往生際悪く誤魔化した。
「お話の邪魔をして、申し訳ありません」
「……君、そんな可愛らしい性格じゃないよね?」
気がついたときには、クロノが強い力でリンドの腕を掴んでいた。
「痛っ!」
「おい、クロノ……」
「君は何を知っているのかな、リンド」
「やめろ。相手は子どもだ」
「おい、ガキに乱暴は良くねぇだろ」
体格差のある子どもの細腕を、クロノは問答無用で捻り上げる。
さすがにやり過ぎだ、とエドとルードルフが渋面で制止した。おかげで少しだけ掴む力は弱まったものの、クロノはリンドを簡単には解放しない。
「悪いことは言わない。隠し立てするのは賢い選択じゃあないと思うよ。私も子どもを痛めつけたい訳じゃない」
(嘘吐け! 子どもだとか気にしないだろうに)
リンドはじたばた足掻くことはしなかったが、反撃の方法も思いつかず歯噛みした。
幻獣を呼び出すにも狭い屋内では家自体を倒壊させ兼ねないし、ルードルフが作っていた忌避剤とやらの匂いがまだ充満しているから、巧く呼び出せるかわからない。
今のクロノの剣幕では適当に濁すことは難しいだろう。彼は表面とは裏腹に、あまり余裕のない立場にいるようだ。
「リンド、貴族でもなく王宮と縁もない君が、何故トクサ離宮の魔女の呼称を知っている? 何か心当たりがあるんじゃないのか? 素直に白状してごらん」
「……痛、た、たたた!」
「話さないなら、こんなものじゃ済まないかもね」
「ちょ……わかりましたから! 話す! 話しますから!」
結局リンドは観念した。
やはり貴族だの何だのに関わるとろくな目に遭わない。再認識しながら、リンドは重い口を開き始める。
本当は一生話すつもりはなかった。
思い返せば三年も前になる、とリンドはとある奇妙な出会いについて語り始めた。