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4.朽葉色の憂鬱3

 朽葉色の瞳の少女には病身の祖父がいた。


 リンドはその老人のために、月に一度、森の最奥に住み着いている()()()()の元を尋ねていた。


 まさかそれが、森で出くわした騎士団の目的――探している相手と同一人物だったのは、リンドにとって不運としか言いようがないだろう。



 +++++



 思い返すも己の迂闊さを呪うしかない。リンドは場面を脳裏で反芻しては、幾度も自己嫌悪に陥っている。


 そう――図らずもあのとき、リンドは危機にあった騎士たちを助けてしまった。いや、確かに見ず知らずの人間に能力を見せつけたのは軽率ではあったが、下手をしたら自分も殺られるところだったので仕方がない。


 問題は相手方にある。よもや売る気もない恩のおかわりを注文されるなど、さすがに想定するのは難しいだろう。


 リンドが無届の幻獣使いだと最初に気づいたのは、騎士団の中でも一際身分の高そうな金髪の美丈夫――クロノそのひとだった。


『君は地元の子?』

『あー……まあ、一応』


 華でも背負っていそうな満面の笑顔が近づいてくる前に、リンドはもう少し警戒を強めるべきだったのだ。


『私はクロノ。王都で騎士をしている』

『……え』


 身分違いの子どもに向けるには軽過ぎる口調で、クロノはあっさりと名乗った。さすがに面喰らったリンドが、間の抜けたを返答をする。


『あ、はい。クロノ……様、ですか』

『ああ。我々を助けてくれてありがとう』

『別に……その、成り行きっていうか』

『それで、君は?』

『え』

『うん、君の名前は? 小さな幻獣召喚士さん』


 今思い出すと腹立たしい限りだが、クロノは年少者をあやすような表情で柔らかく訊いてきた。裏側の本心では腹黒くあれこれ画策していたのだから、まったく白々しいことこの上ない。

 もちろんリンドは面倒事を避けるために、すぐにでも逃げ出したかった。しかしクロノの勘は鋭いようで、僅かな隙にリンドの肩はがっちりと掴まれていた。 


『あ、あのぅ……放して』

『ケムビの街の子? 親御さんは……』

『ええっと、親はいない……ですけど』

『そう? 悪いことを訊いたかな』

『いえ別に』

『それで、君の名前を教えてもらってもいいかな? ああ、幻獣召喚士なら登録されているか。街で調べようかな』


『……リンド、です』


 嫌々名乗りながら、リンドは内心で舌打ちした。

 クロノの言外の意図はすぐわかった。彼はリンドが公の管理から外れた異能者であり、それが弱味だと見抜いている。


『私はリンドといいます。たまたま適当な幻獣を喚べただけの子どもです。どうぞお捨ておきください』

『未届け……ということだね。なるほど?』


『こんな辺鄙なところに、こんな子どもの幻獣使いがいるとはね。しかも……ふうん、リンドというのか。良い名前だ』

『はぁ……』


 クロノは特にリンドを責め立てたり、無法者として捕えようとしたりする素振りは見せなかった。少なくともこの時点では、だが。

 何しろリンドの外身は未成熟な少女である。本当にか弱いかどうかはさておき、騎士にとって守るべき対象と見做せなくもない。いくらクロノの腹が黒一色だとしても、他の騎士の手前もある。少なくとも表向き、まだリンドにも優しい(おもて)を見せていた。


 リンドの希望的観測通り、その時点ではクロノも別段咎める気はないようだった。いちいち小さな街の脱法者に関わっている暇はないのだろう。深刻な事情がありそうなのは、刺客に襲われていた一事だけでも明らかである。リンドとしても、追求されず流してもらえるならありがたかった。


 面倒な事態はまったくの偶然により齎された。不意に思いたったかのような質問をクロノが口にした瞬間、リンドのツキは底をついていたと言える。


『そうだ。君が幻獣の召喚士なら、もしかして知らないかな?』

『……何をです?』

『ダメモトで尋ねるけどね、リンド。この森の奥に住んでいる、世捨て人みたいな男に会ったことはないかな? 伯爵家の縁戚で、風貌は私も知らないが、研究者なんだ』

『え……』


 適当にすっ惚ければよかった、とリンドは今でも自戒する。何しろ訊かれた人物に、思い切り心当たりがあったのだ。咄嗟に誤魔化し切るには精進が不足していた。


『なるほど?』

 目が泳いだリンドを、クロノは当然見逃さない。

『知ってそうだね』

『え、いや……その』

『そう、幻獣研究の専門家、バッハマン家のルードルフ氏のことだよ。やあ、これは幸運だな』


 迫るクロノの眼差しは、恐ろしく真剣だった。おかげでリンドは逃げ損なってしまったとも言える。

 まあ常識的に考えて、たまたま巡り合っただけの相手の口から予期もせず知人の名が出れば、動揺しない訳がなかった。しかもそれは、リンドがまさにこれから訪ねようという先にいる人物の名前だったのである。


『ではリンド、教えてくれるね。この彼の住処はこの森のどこかにあるんだろう? 地理に疎い我々を案内してほしいんだ』






 ▼△▼△▼△



 幻獣研究の権威――ルードルフ。


 ケムビの街を含む一帯を治める領主、名門貴族バッハマン伯爵家の縁戚でもあるらしいが、リンドにとっては薬草師の先生でしかない。

 リンドは偶然にも丁度ルードルフの家に行く途中であり、クロノやエド、つまり騎士団の当初の目的も彼だったのだ。召喚士の能力を持つことについて口を噤んでもらう代わりに道案内を要求されたリンドは、不承不承に、嫌々ながらも仕方なく引き受けた。


 クロノたちの目的は知らない。ルードルフに多少の恩義はあっても、そこまで懸念してやる義理もない。乾いた判断をして、リンドは騎士二人をルードルフ邸へと連れて来た。


 尤も邸宅というほど立派なものでなく、昔の猟師が狩りに使っていたほったて小屋を改装しただけのぼろ家である。王宮に仕えていたこともある貴族が生活するのに相応しいとはとても思えない。

 クロノもエドも唖然として口を開いていた。


「ここが……本当に?」

「ですよ。もしやお二方ともルードルフ先生とは面識がないですか? お顔もご存知ないとか?」

「直接は知らないな。エドは?」

「ないな」

 訊かれてエドは首を振った。

「確かに彼は王宮に出入りしていた御用学者だったが、積極的に人付き合いをするような質ではなかった」

「ふーん、お貴族様同士の付き合いでも、案外そんなもんなんですね」


 特に感慨もなく呟くと、リンドは古びた扉を二度叩いた。


「先生、いらっしゃいます?」


 返事はなかった。


「……留守かな?」

「いえ、きっと聞こえてないだけですよ。いつものことですから」

 気にすることもなく、リンドは慣れた様子で取っ手を握り扉を開く。その瞬間、家の中から奇妙な匂いの煙がむわっと排出された。

「!?」

 思わずクロノとエドは後ろに飛び退る。対照的にリンドは平然としていた。この程度は異常事態ではないのだ。


「入りますよ、ルードルフ先生」


 何の遠慮もなく、リンドは煙をものともせずに室内へと立ち入った。子どもに後れを取るのも沽券に関わる、と騎士たちが続く。


「先生……」

「……よお、お嬢ちゃん、久しぶり」


 家の中にいた男――ルードルフは、入って来たリンドたちにようやく気がついたものの、僅かに振り向いただけで、声のみで応答する。


「あ? 何だ客か? 悪ぃが手が離せん」

「あー……待ってますよ」

「そうしてくれ。こんな辺鄙なところに来る客なんざ、どうせろくなもんじゃねぇだろうがな」

「どうでしょうねえ」

「お嬢ちゃんの知り合いか?」

「全っ然。先生はご存知かもですけど」


 換気が進むと煙が薄くなり、ルードルフの顔立ちが徐々にはっきりと見えてきた。

 大柄で筋骨逞しい体型で、貴族らしくなく髪は短い。よく観察すれば、頬や肩口に鋭い無数の切傷や火傷の痕が刻まれている。学者というよりどこぞの傭兵崩れのような風体だった。


「バッハマン伯爵家のルードルフ殿? 失礼だが、本当に彼が……?」


 実物のルードルフが貴族の子弟からも元宮廷勤めの人物像からも大きくかけ離れていたため、クロノは当然の疑念を口にした。


「そうですよ。若作りですが、確かもう四十くらいなんですよね」

「まだ三十代だ。まあ、すでに隠居の身だがな」

「いや、年齢のそういう問題では……」

 困惑顔のクロノに対して、リンドは苦笑して答えた。

「確かに普通はこんな野性味溢れる隠居老人は居やしないでしょうけど」

「ああ? 大人しいもんだろ」


 言いながら、ルードルフは身の丈ほどもある鉄の匙を片手で掴んで、大鍋の中で大きく円を描く。もう片方の腕は水の入った大甕を軽々と抱えている。

「よっしゃ、そろそろ仕上げだ」

 ルードルフは水を足しながら大鍋で何かを煮出す作業をずっと続けていた。数種の薬草やら動物の部位やらが混ざっているのは、周辺に無造作に置かれた原料から判ぜられた。


「豪快な調合だな……」

「あれで結構緻密なんですよ」

 一見すると力任せなルードルフの作業工程を、リンドは真逆に評価する。

「あの腕力も調合を極めた結果らしいですし」

「まさかあの傷も?」

「ええ、実験に失敗して薬を爆発させたときのものですね。生傷が絶えないひとなんです。研究馬鹿なんですよ」

「……親しいんだな、リンドは」

「一応? お世話になってますし?」


 曖昧に疑問符を付けると、リンドは胡乱な目をした。リンドにとってルードルフは恩人であると同時に傍迷惑な隣人でもあるからだ。


「でも普段はあんまり関わりたくないんです」

「冷てぇなぁ、お嬢ちゃん。そんなこと言わず、後でこれの実験に付き合ってくれよな」

「……今度は何です?」

「幻獣が嫌う匂い……忌避剤みたいなものの、試作品だな」

「うぇぇ、面倒くさ……じゃなくて、ええっと、そういうのは色々落ち着いてからにしましょうよ。ほら、お客様のご用向きもありますし」


 リンドはとりあえず適当に返答を濁して誤魔化した。


(いやいやいや。先生の実験って際限ないし体力使うし無茶振りするし、絶対避けたいんだけど!)


「ということなので、クロノ様とエド様にはしばしお待ちいただいても? ルードルフ先生の手が空き次第お話する感じでお願いします」

「ああ」

「突然訪れたのは我々だから、当然待たせてもらうよ。椅子をお借りしてもいいだろうか」


 雑然とした狭い室内だが、人数分の椅子と申し訳程度の卓はあった。クロノは腰を掛け、エドは立ったまま腕を組んでいた。

 火元をルードルフが占拠しているため、お茶も淹れられない。リンドは所在なげに部屋の壁にもたれかかる。


「あー……そうだ、お嬢ちゃんよ。いつもの薬は棚に置いてあるから、勝手に取ってけ」

 鍋をかき混ぜる手を止めないまま、ルードルフがリンドに告げた。薬という単語に反応して、クロノがルードルフを見遣る。

「そういえば、ルードルフ殿は薬草師としても高名だとか」

「手慰みだがな」

 ルードルフは苦笑した。

「お嬢ちゃんにはたまに俺の研究の手伝いをしてもらってるんでな。その代わりに彼女の家の御老人の薬を作ってやってるのさ」

「……そのことですが、先生」


「今後、薬は不要になりました」


 家の話題が出たのをいい機会とばかりに、リンドはルードルフに申し出た。その声音は淡々としている。年長者として含まれた意味を察しないルードルフではなかった。

「……そう、か」

「今までありがとうございました。今日は本当はその話をしにきたんです」


 残念だったな、とルードルフは弔いの言葉を口にし、リンドは悲しみを隠さずそれを受け取る。

 部外者である客人たちは何も言えず、ただ神妙に押し黙っていた。

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