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32.後日譚2

「……と、私に苦情を言われてもね。提供できる天幕に限りがある以上、まあ仕方がない」

「わかってます。わかってますけど」

「少女姿だったときには一緒に雑魚寝までしている訳だし、何を今更。照れる仲でもないだろう?」

「え、いや、それは違いません? 仰る通りではあるんですけど、そうなんですけど、何か」

「認識としては違わないよ」


 憮然とするリンドに対して、クロノは以前と変わらぬ態度のままだった。


(確かに……ていうか、色んな意味で今更感しかないのは、まあその通りなんだよね)


 周知の事実だが、今のリンドは傍から見たらカレンなのである。王位継承者であるクロノの……正式な妃だ。かつて追放された魔女と知る者でも、否定できない肩書きだった。

 無論、リンド自身がそれを引けらかしたことはおろか、誰かに告げた覚えもない。

 だが妃という身分も危機を救った稀有の異能者という経歴も、予想以上に知れ渡っている。追求するまでもなく故意であろう。


「もちろん、どうということもないですがね……」


 言い切るリンドに、当然ながら強がりはあった。

 周囲は勝手に、夫婦だからと同じ寝室に押し込んでくる。だが彼らの辿って来た経緯を鑑みれば、私的空間で共にいればそれなりに緊張を強いられる。両者とも妙に理性的で感情を伏せるのが巧かったため、身近な人間の誰にも気づかれていないのだ。


 他人は事情を知る由もないが故に、無神経が許される。クロノはどこ吹く風で受け流したが、リンドはげんなりとしていた。


「今の私の立ち位置を考えれば致し方ないと納得しておりますよ、ええ。曲がりなりにも王太子妃……いえ正確には王妃ってことになるんですかね。ここにいる限りは」


 戴冠式こそしていないが、父王が亡くなったからには、唯一の子であるクロノが国の元首で間違いない。皮肉ではなく口に出すと、苦笑していたクロノが不意に真顔になった。



「……そのことだが、リンド」

「?」



 いきなり神妙な表情でじっと見つめられ、リンドはたじろいで眉を顰めた。


「えっと……何です?」


 天幕は臨時の私室であり寝室であり、ある意味では密室である。たとえ相手がクロノであっても、大人の男と正面から対峙するのに、僅かの動揺もなしというのは難しい。


 思い返せば、普通に結婚生活……のようなものを送っていた当時も、きちんとクロノと向き合ったことはなかった。


 夜中に、灯りも点けない暗い部屋で会うばかりだった。理由はわかっている。その頃はまだ、リンドは自分の力をまるで制御できていなかった。直に視線を交えてしまうと、クロノであれ垂れ流された魅了の力に囚われる虞がある。


 周囲が皆、輪堂花蓮を聖女と勘違いしていたとしても、クロノは危険を嗅ぎ取っていた。王宮の奥に閉じ込め、殆ど誰にも会わせないで、自身が訪れる際も徹底して闇に紛れた。だからこそ、かつてリンドは元の世界の神話――プシュケーとクピドに擬えて語った。


 神話のそれに似た夫婦関係は、三年前、真の聖女であるサユの登場により、容易に破綻した。


 再会に至るまで、三年を数えた。

 ずっと二度と道が交わることはないと信じて、各々の人生を歩んできた。


 互いの顔もろくに見ないまま。

 愛も恋も秘して語らないまま。


(あんなに虚しかったのに)


 本当はずっと、何も気づかず幼い少女(リンド)の姿でいられれば良かったのだ。クロノの苦悩や葛藤などに思い至らなければ、自分の本心にも目を背けていられただろう。


 けれど今のリンドは、捨てた名を再び拾わなければならない。クロノが話をしたいのは、おそらく己の妻(カレン)であるのだから。


「クロノ様……」

「構えなくていい。ただ訊きたいだけだ」

「クロノ、さま」

「……君が」


 そう言って一歩近づいてきたクロノの相貌が、深く翳る。天幕内は別に暗くなっていないのに、まるで灯りが小さく消えかかったかのようだった。



「君が、……いつまでここにいるつもりなのか」



「いつまでって……」

「王都の人々を助けてくれて、本当に感謝している。我々が君にした仕打ちを思えば」

「それは別に。私は地震列島で生まれ育ってるんで。こういうときの助け合いは当然ですよ。あの……いつまで、っていうのは?」

 リンドは首を傾げた。

「今の状況で私が出て行くのは、あんまり都合が良くないですよね。むしろ今後を考えたら」

「そう、君はすでに思い至っているだろうけど」

「少し考えればわかりますよ」


 もう一歩進んで来たクロノを避けるように、リンドは横に逸れる。どうにも落ち着かない感情を誤魔化すために、卓上の水差しを掴んで杯に注いだ。


「私の……」


「魅了の力を利用した方が、王様としては楽ですよね。道義的な問題は置いとけば」

「……否定はしない」

「常に人心を操るとかじゃなくて、最低限の使い方でいい。何かを決断する節目ごとに、都合のいい方向に誘導することができたら、それで」


 水の入った銀の杯を両手の中で揺らしながら、リンドは続けた。自ら危険な可能性を口にするのは、想像以上に落ち着かなかった。


「今の私は、聖女様以上に政治の道具としてお役立ちでしょう。クロノ様がわざと私を持ち上げてるのは、そういう理由だと思ってました」

「早急だな。理性的に考えたら、君を一方的に利用するなんて無理だよ。無茶というか」

 クロノは再び苦笑した。

「今の君は、現状が心底嫌だったら、それこそ能力を駆使してどこにでも逃げられるだろう? だから君を拘束するつもりは端からないよ」


 少女姿の時分に散々脅して振り回してきたとは思えないほどあっさりと、クロノは首を横に振った。


「あと……もうひとつ」


「個人的に、国の都合で君にこれ以上負荷を掛けたくない。これは私の立場で大っぴらには言えないことだけれどね。でも、どうにかするよ。信じてほしい」

「クロノ様……」


 真摯に響く声音から、リンドはクロノが本心を語っていると悟った。

 元より疑うつもりはない。三年前に別れたときも再会して以降も、両者の間で積み重ねてきたものは確かにある。だからこそ、リンドはクロノを忘れられなかったのだ。




 ――どうしてプシュケーは



(どうして、忘れてしまわなかったんだろう)



 自問の答えはもう出ていた。

 多分、クロノが敢えてリンドを遠ざけよう決断したのも、同じ感情に起因するのだろう。

 

「私には自由を与えて……クロノ様はお独りでやっていくんですか。国のため民のためって、自分を犠牲にして」

「犠牲ではないよ。生まれは自分で決められるものではないが、王になった以上は力を尽くすだけだ。けれど君はそうじゃない。この世界に来たのは不可抗力だ。国のために負う責任は何もない」

「同じ、ことでしょ……いや、違うのかも、ですけど。私は王族の価値観なんて存じませんし、責任とか義務とか、確かにないですけども」


 リンドは口をつけてもいない杯を置くと、揺れる声で言った。卓上に残された指先も、無意識に震えていた。


「クロノ様……は」

「私のことは心配しなくていい」

 少し逡巡した後、クロノはリンドの手に自分の手を僅かに重ねた。強さも熱もない、軽い接触だった。

「どこかで君が普通に、幸せにやっていけるならいいんだ。本当はもっと早くにそうしていれば良かった。すまない。三年前、君を守れず傷つけた」


 謝罪を伝えるクロノの顔を、リンドは正面から仰ぎ見る。今更改めて言われても何と返していいかわからず、ただ瞠目した。


「そんなの……」

「あのときは仕方がなかったと、君は言うかもしれない。許すかどうかは置いても、私を責めたり恨んだりはしないのだろうね。何と言ったらいいのかな。そういう風に生きようとする、君の心が好きだよ」




「君が――好きだよ」




 今度こそリンドは息を呑んだ。

 もちろん告白されるまでもなく知っていた。

 それなのに、心臓が早鐘を打つ。


「だから、私は君を手放せる。遠く離れたところで、二度と会うことはなくとも。君が大事なんだ」



(……馬鹿だ)



 リンドは泣きそうになる。

 クロノにではなく、情に振り回される自分自身に対して、どうしようもない愚かしさを感じていた。



(ああ、もう。なんで)



「いったい何なんですか……貴方は」

「え?」

「そんなんじゃ、絆されるじゃないですか。信じらんないですよ。意味わかんない。こんなこと言われて……見捨てられる訳、ないでしょ」

「……え? 何て?」


 独白のように呟いた声は小さかったため、クロノの耳には届かなかったらしい。

 しかし再び口にするのは躊躇われた。気恥ずかしさに負けて俯きながら、リンドは触れられていた指を動かす。そして位置を変え、今度はリンドからクロノの手を握った。


「カレン……いや、リンド」

「正直、もうどっちでもいいですよ」


 呼び名はそもそも便宜上のものだ。

 つまらない拘りに固執するのは止める、とリンドはクロノに伝えることで自ら覚悟を決める。

 クロノはじっとリンドを見つめていた。


「君は……」

「なんて顔してるんですか。腹黒のくせに」


「本当はこれが計算だったって意外じゃないくらいには、強かな性格してるでしょう、貴方は。しおらしくされても対応に困るんですよ。らしくないです。どうせなら、もう逃げられないから観念しろ、くらい言ってください。面倒です」


 憎まれ口を叩くと、リンドは唐突にクロノの胸の中へ飛び込んだ。そのまま――反応できずにいるクロノの背中に、両腕を回す。


「!? ……何、を」

「黙って。いいじゃないですか。絆されたって言ったでしょう。それだけです。それだけなんです」


「まさか……そんな」

「馬鹿ですね、クロノ様」

 腕の力を強め、リンドは再び悪態を吐く。

「全っ然、駄目です」

「駄目?」

「そういう大事なこと、ちゃんと話さないで、勝手に決めちゃうところです。三年前は状況的にしょうがなかったとしても、今は違いますよ。私も、貴方も」


「だいたい私たち、あんな顔も見えない環境でしか会わなかったのに、お互いに忘れるなんてできなかった。どうして放っておけると思うんですか」

「でも君は、忘れてしまえばよかったと」

「……そうですね」


 リンドはクロノの腕の中で、小さく首を左右に振った。そのまま硬い胸板に額を押し付ける。


「じゃあクロノ様は……どうしてプシュケーは忘れてしまわなかったんだと思いますか?」

「――……」


 クロノは答えなかった。

 代わりに、抱きついているリンドの髪をそっと撫でた。心が通じている。もう言葉は要らなかった。






(プシュケーは、きっと、忘れたくなかった)











 ◇◇◇◇◇






 エディアラード王の在位は二十年足らずと短かった。退位のとき、彼はまだ四十歳(しじゅう)にもなっていなかった。


 彼は決して暗愚ではなかったが、当時のオルフェン王国は政情不安が続き、国力は低下した。そんな中、遷都を強行したエディアラード王の政策は、専門家のうちでも賛否が分かれるところである。

 やがて落ち着いた頃、エディアラード王は従兄弟にあたるエドヴァルト・イシュラ公爵(即位前)に王座を譲った。中興の祖として知られるエドヴァルト王の系譜は今もなお続いている。


 エディアラード王の妃は異世界から来た人間と記録されているが、詳細は残っていない。周知の通り、かつてオルフェン王国では聖女と呼ばれる界渡りの異能者を、王の妃に迎える慣習があった。

 建国の故事にある魔獣を封じる名目で、歴代のオルフェン国王は異世界人の血を取り入れた。異質過ぎる血は王室の出生率に悪影響を及ぼした。

 事実、エディアラード王には兄弟もおらず、妃との間に子は生まれなかった。退位もそれが理由と言われる。早い時期にエドヴァルト王とその息子に権威を移譲したのだ。


 王位を退いた後のエディアラード王は、離宮でひっそりと余生を過ごしたとも、妃と共に各地を漫遊したとも伝えられている。後者の説は大衆に好まれ、聖女伝説と相俟って、後世、多くの創作の題材となった。



 彼らの真実を知る者は、もう誰もいない。

次話ラスト

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