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3.朽葉色の憂鬱2

 リンドの暮らしていたケムビの街は、オルフェン王国の片隅にある。


 いくつかの小さな田舎の集落の中心に位置しているが、流通の要になるべくして配されたわりには、暗く貧しい街だった。赤煉瓦が積まれた外壁はところどころ崩れて、家屋も街を取り巻く空気すらもくすんで見えた。


 街を出て裏手を少し歩くと、深い森に辿り着く。ろくな産業も発展しない街の人々にとって、森の裾野は貴重な食糧庫だった。

 しかし暗黙の了解で、地元民はあまり森の奥の方までは入り込まない。当然の話、迷って戻れなかったり、獰猛な野性動物に遭ったりする危険性が高いからだ。


 無論、例外はある。ごく稀ではあるが、住人の中には森の奥にこそ目的を持つ者もいた。そのためには危機を回避する手段を持っていなければならない。リンドには()()がある。


 ただ、その日は勝手が違った。


 常であれば軽装で獣道を突き進むのも厭わないリンドであったが、森に近い街外れで普段は見かけない人々を目にして、不審を抱くのと同時に嫌な予感を覚えていた。


(貴族……? こんな田舎に?)


 鄙びた街には似つかわしくない、いやに煌びやかな騎士服の集団は、数にして二十名前後くらいだろうか。

 やがて場違いな騎士たちは、おべんちゃらを使う街の大人たちに馬を預けて、ずかずかと徒歩で森に踏み入っていった。用心も警戒も薄いように見えた。


(物見遊山か度胸試しか……さすがお貴族様。物好きな連中もいるものだなあ)


 多少の不安は拭い切れなかったものの、リンドは呑気に構えていた。それが誤りだった。


 次に彼らを見つけたとき――リンドは瞬時に踵を返そうとした。


 なんと、如何にも怪しげな覆面の集団が騎士たちを襲撃していたのである。

 通りかかった形のリンドは、予期せずして血濡れた剣や事切れた死体を目撃してしまう。


(な……)


 悲鳴は上げなかった。

 けれど手遅れだった。不運な少女は隠れる間もなく見つかって、逃走の機会を失った。


(ヤバイこれ、目撃者が消されるヤツ!?)


 案の定、子どもに対しても容赦することなく、覆面連中のひとりが口封じとばかりにリンドへと剣を向ける――。


「!」


 だがリンド以外の誰にとっても想定外だったのは、彼女が見た目通りの()()()()()()()()()()()という事実だ。己を守るより迎え撃つように、リンドは右腕を前面に突き出した。


 空気の裂ける音が響いた。


 雲に似て霧にも近い白い煙が、瞬く間に広がっていく。

 その場にいる全員が現象の意味を知っていた。


()()……!?」


 そう叫んだのは誰だったのか。

 刃を向けてきた襲撃者の一味か、はたまた抵抗を続けている騎士団の生き残りか。

 いや、そこまでを気に掛ける余裕はない。リンドは今までに経験のない事態に直面して、殆ど無我夢中だった。


 誰もが固唾を飲んで白煙を注視する。

 白さは純度を増し、段々と濃くなっていった。


 そして――突如として、()()は顕現した。

 その名称が示す通り、現実には()()()()()()はずの生き物が。


 まるで凝縮した煙が固まって形を成したかのようだった。現れたのは鋭い牙と爪を持つ獣に見えた。角があるのを除けば虎によく似ていた。体毛は白く、他の色彩を持たない。実体のような存在感にも拘らず、輪郭は朧気に揺れる。

 まさしく異相の生き物たる「幻獣」の特徴である。目にしたことはなくとも、聞き知っている者は多いはずだ。


()()使()()……だと!? こんな子どもが!?」


 まさか、という声が敵対する陣営双方から異口同音に発せられる。

(その通り。お生憎さま)

 リンドは不敵に笑ってみせた。子どもだからといって、理不尽や暴力を甘受するいわれはないのだ。


 この世にあらざるべき幻獣は、当然ながら人間には持ち得ない力を発揮する。


 白い虎もどきの属性は風である。実は使い手の間では火の属性の幻獣が一番扱いやすいと言われているのだが、森の中では大惨事になる虞がある。喚び出す際、リンドは慌てながらも理性的に判断していた。

 虎もどきはリンドを狙った襲撃者を吹き飛ばすと、勢いを持て余して進んだ。騎士団とやり合っている覆面連中へと爪を伸ばす。


「退け……!!」

「!」


 覆面たちは不利を悟ったのか、一転して逃走体勢になり身を翻した。騎士団もリンドも幻獣も置き去りに、一目散に退散していく。


(え……逃げた? こんな簡単に?)


 敢えて虎の幻獣は追わせず、リンドは動きを止めた。相手の行動に引っ掛かりを覚えたからだ。


 確かに騎士団は不意打ちで半数は殺されているものの、未だ容易に全滅させられるほどの人数差や実力差ではない。さらに幻獣を扱う闖入者など完全に計算外だったに違いない。


 とはいえ、幻獣で戦える時間など短ければ数秒、長くても五分くらいだろう。どのくらい幻獣を具現化し続けられるかは()()()()()により異なる。何しろ元々がこの世に在ってはならない異形である。万能の武力ではなく、制限も不自由も多いと知られているはずだ。


 相手が僅かな時間すら戦って凌ぐのを避けたということは即ち、現場に自分たちの素性が割れる死体ものを残したくなかったのではないか、とリンドはふと思いつく。


(用心深い……立場や地位のある人間?)


 そこまで推察を進めて、リンドは余計だとばかりに思考を振り払った。自分は巻き込まれて自衛したに過ぎない。都会の騎士団にしろ怪しげな覆面集団にしろ、リンドにとって煩わしさに大差はない。関わり合うのは真っ平御免だった。






 ▼△▼△▼△



「……まっぴらごめん、だったんですよ。なんだって私のような幼気な女の子がこんな状況に……」


 一晩経って翌日。

 リンドはさらに森の奥深くへと向かいながら、後をついてくる青年ふたりにぐちぐちと文句を言っていた。


 彼ら――クロノとエドと名乗った二人は、先の騎士団のうち、幸運か実力か襲撃に抗い無傷で残った面子である。

 あともうひとり、彼らより少し年上の赤毛の男が比較的軽傷だったが、今は生き残った怪我人を連れて行ったり遺体を搬送したりするために、馬を求めて街に戻っている。


 金髪の若い騎士たちは歩幅の短いリンドに合わせて、のんびりと背中を追う。一対一なら兎も角、複数では撒けないのが残念だとリンドは内心で舌打ちした。


「幼気な子は自分で言わないよ。そして君は、そんなに殊勝な性格じゃなさそうだ」

「煩いですよ、クロノ様。だいたい大の大人の、それもお偉い騎士様が、こんなド田舎の小娘に頭を下げるなんて、普通あり得ないですよ? 恥ずかしいとは思わないんですか?」

「君しか頼る相手がいない」

「そんなキリッって感じで言われてもですね……開き直らないでくださいよ」

「いやしかし、道案内程度でそこまで言われる筋じゃなくないか?」

「案内がなきゃ辿り着けないのはどなた様ですか」

「経緯はどうあれ、引き受けた以上は子どもでも務めを果たすべきだろう?」


 爽やかにすら思える笑顔でクロノが主張すると、リンドは不快そうに眉根を寄せた。

 この金髪の青年は見た目こそ甘やかで人当たりも良さそうだが、おそらく内実は結構キツイ性格をしている。飽くまでもリンドの一方的な人物評ではあるが。


(お願い、じゃなくて脅しだったし)


「そもそもこれは取引、だからね」

「クロノ様、性格悪いって言われますよね? またはいい性格してるって」

「どうかなあ。そんなことないよなあ、エド」

「間違いないな」

「おい……」


 クロノの相棒であるはずのエドは、適当に取り繕うことはしない性格らしい。仏頂面に近い無表情は如何にも堅苦しいが、単にあまり器用に人付き合いができる質ではないのだろう。

 それにクロノの言葉を借りるなら、エドは「女子どもには甘い」らしいので、リンドはその点では多少マシかと思っている。


「ほら、エド様もそう仰ってる。まあ子どもを脅迫して言うことを聞かせようとするんですから、人でなし呼ばわりされても仕方ないでしょうが」

「人聞きの悪い……」

 わざとらしく肩を竦めると、クロノは心外だとぼやいた。

「私は、もしかしたら君が国に届けを出してないんじゃないかなあ、って訊いただけだよ。召喚士は基本的に管理対象だからね」

「わざとじゃないです。子どもが幻獣を呼び出せるなんて想定されてなかったので、今まで誰も気づかなかっただけなんですよ」

「まあ普通、()()()()は成人年齢の十五歳前後で目覚めるものだからなあ」

「確かに例外的だ」


 エドの視線がやや心配気にリンドの小柄な身体に向く。未熟な肉体で無理をしていないか、不調はないか気に掛けているようだ。


善人よいひと、なんだろうか。いや……幻獣使い自体は兎も角、私みたいな子どもはいないだろうから、誰でも気にするかな)


 リンドのような幻獣使い――オルフェン王国での正式名称は「幻獣召喚士」という――は特殊能力者ではあるが、そこまで稀少とは言い難い。ケムビのような田舎はさておき、大きな街や王都においてはそれなりに見かけることもあるらしい。

 人口からするとおおよそ百人に一人の割合で発現する、あまり珍しくはない異能だった。家系ではなく個人に備わる力で、未だ要因や原理は解明できていない。


 幻獣という謎の生体は、通常は目にも見えず触れることもできない不可視の存在である。大気中に隠れているとも、薄皮一枚隔てた異相の次元に漂っているとも言われる。

 形状や大きさは個体によって様々で、多くは実際の動物と似て非なる姿をしていた。そう、昨日リンドが呼び出した虎もどきのように。色彩は判で押したように同じで、何物にも染まらない白を纏う。


 幻獣使いの能力を持つ者は、それを召喚し、実体化できた。ただし、ほんの短い時間だけであるが。


 幻獣には多様な種類がある。それぞれ属性を有し、不思議な力を持っていた。風を起こす。火を舞わせる。水を湧き出たせる。地を揺らす。幻獣使いは顕現させた幻獣の力を意のままに操れる。

 尤も実際に使いこなせるまでの練度に達するかというと、生まれ持った力の強弱がかなり左右するらしい。逆に一説によれば、力の強い使い手は幻獣のみならず、実在の動物を従えることさえ可能と言われる。


 異能者はもともと、危険性を鑑み、国への届出と登録が義務付けられている。

 他者に危害を加えたり犯罪行使に幻獣の力を使った場合、幻獣使いは一般人よりも重い罪が課せられる。加えて届出漏れはそれ自体が厳罰の対象なのだ。


 能力を持つからと言って、生活や職業に制約がある訳ではない。すでに職に就いている者や家庭に入った婦女でなければ、都市部の軍や大貴族に雇用を求める割合は多い。地域で人数が偏っているのはそのためである。


(国にバレるなんて冗談じゃない)


 リンドの資質は今まで誰にも――殆ど誰にも見つかっていなかった。どんな異能者も成人の時点では検査を受けさせられ発見されるが、まだ年端もいかぬ子どもの資質など、端から度外視されている。これ幸いと能力を隠して生きていたのに、現状は予想の範疇を超えていた。


(いやいやいや、未来予知の異能でも持ってなければ無理ゲだよ。あり得ないってば)


 王都の騎士団も謎の刺客も、普通に生活して遭遇する相手ではない。後悔先に立たずとわかってはいるものの、リンドは陰鬱な表情で天を仰いだ。

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