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28.真白の未来図3

 白い巨龍は長く封じられた挙げ句、ほぼ無理矢理に覚醒を促され、怒気を漲らせていた。

 微震が続く。

 眷属も際限なく増えていく。

 地下にいるリンドたちには与り知らぬことだったが、地上では民間人が襲われ始め、クロノの指揮下にあって多少規律を取り戻した騎士団が戦っていた。


 目覚め切っていない今でさえ被害は拡大しつつある。このまま魔獣が解放されれば、鬱憤を晴らさんとばかりに国中を荒らしまくることは想像に難くなかった。


 低い唸り声が地を這う。

 空気は熱を帯び、地下の温度が徐々に高まる。

 一刻の猶予もない。


「……エド様」

「何だ」

「生命を懸けていただけますか」

「今更それを問うのか」

 リンドは傍らで控えるエドに訊いたが、確認するまでもないことようだった。

「イチかバチかになります」

「ああ」

 覚悟の決まっているエドは容易に頷く。

「クロノ様だけは……無事でいただかないと」


 最後の科白はさすがにクロノには聞かれないよう小声になる。生命を賭すことと自己犠牲は同義ではなくとも、自分のために誰かが貧乏くじを引くと知れば、きっと彼は止めるだろう。

 もちろんリンドとて死ぬ気はない。ただ現状ですべての危険を回避するのは不可能と知っている。


(やるしかない)


 大きく呼吸を整えると、リンドはエドに合図の目配せをした。足は竦んでいない。震えてもいない。大丈夫だと己に言い聞かせる。


「――行きます」


 ここから先は瞬発力の勝負だ。

 覚悟を決めて言い終えるや否や、リンドとエドはほぼ同時にその場から走り出した。

 そう、荒ぶる魔獣に向かって一直線に――。



 +++++



「……っ!」


 突如駆け出したリンドとエドを見て、クロノは即座にその意図を悟った。


 異能はそれぞれ特性があるとはいえ、多くは距離と効果が比例する。亡くなったカスガは時と場所を選ばず守護の力を発現させたが、それも媒介があってのことだ。

 クロノの封じの力は歴代でも強い方だが、あまり広範囲に行使するのは難しい。サユのように強度は今ひとつでも、遠く離れた対象だろうと維持される場合もある。


 魅了の力は比較できる前例を持たないが、リンドに関して言えば範囲にある程度の制限はあると思われた。

 実はかつてリンドが王子妃(カレン)として王宮に暮らしていたときに証明されている。クロノは半ば無理矢理に、彼女を他人と相対させなかった。だからこそ魅了の力に影響された者は限られ、サユの登場まで表沙汰にならなかったのだ。


 夫であるクロノは常に彼女と接する立場にあったが、最初に会った瞬間、すでに不審を抱いていた。

 (おっと)(つま)を愛するのはごく自然だ。相手に独占欲を抱いても不思議ではなかったが、次期国王として自分を律するよう育てられたクロノは、容易に恋愛(その)感情を信じられなかった。人柄も把握せず、言葉もろくに交わさぬうちから、顔を合わせただけで心を揺さぶられるのはあり得ない。


 魅了の力という異能を、当時のクロノは――否、王宮にいるすべての者が知らなかった。政治の中枢において極めて危険なその力を、聖女として妻に充てがわれた異世界人は無意識に揮っていた。


 誰も気づかない。しかしクロノだけはどうしても違和感を拭い切れず、監禁に近い形で彼女を王宮の奥に閉じ込めた。

 婚姻を結んだ段階で、直感的に悟っていた。彼女と視線を交わす度、徐々に精神が侵食されるのだ。


 周囲に漏らさず当人にも追求せず、ただ外から隠すのが対処として正しかったのかはわからない。そのときはまだ異世界の聖女と信じられ崇められていた相手に、確たる証拠もなしに何が言えるだろう。


 クロノは迷った末、最も影響が少ない手法を選んだ。彼女に会わせる人員を最小限にする。多少無理をすれば希望は叶った。

 無論、夫婦である以上クロノ自身は接触を避け切れない。仕方なしに、クロノは二人で過ごす時間を夜だけに限定した。部屋では灯りを消し、抱き合っても決して目を合わせずに過ごした。



 ――どうしてプシュケーは



 リンドからプシュケーに纏わる物語を聞き、彼女が己に重ねた理由は明らかだった。

 日中訪れない夫は、常に夜の帳の中で姿を晒さず、妻を孤独に置き去りとした。互いに顔も朧気のまま送る結婚生活で、彼女が不安を募らせていたことは想像に難くない。


 一方で、クロノは時間を重ねていくうちに、真の意味で彼女に惹かれた。妻として女として、カレンを想うようになっていた。

 もともと次代の王として、生まれたときから聖女を娶り妃とするものと教えられてきた。クロノの価値観では、妻を慈しみ愛するのは当然のことだ。況してや当時まだ成人したばかりの男が、謎めいた雰囲気を持つ年上の女性に魅力を感じない道理がなかった。


 恋情のきっかけは魅了の力の影響だったのかもしれない。ただ三年前のクロノは、確かに妻を愛していたと言える。カコラ湖畔でリンドに語った通りだ。



『好きなひと……か。いるよ。いたかな』

『もう諦めてるけど、本当はね。そのひとと、一緒に生きていきたかったよ』



 好きだった。

 夜闇にしか会えない妻を、ずっと愛していた。

 僅かな会話も少しの温もりも微かな吐息も、すべて憶えている。色褪せぬ想いがまだ心の奥に燻って、消そうにも消せそうにない。



 ――どうしてプシュケーは

 ――忘れてしまわなかったのだろう



 その言葉に隠された真意を、クロノは今一度考える。

 三年前、離宮行きの馬車から逃亡した彼女は、名前も姿も別人になった。文字通りカレンであることを忘れてしまえたはずだった。


 なのに……何故。


 その気になれば素知らぬ顔で、リンドはいつでも逃げられたはずだ。

 最初は巻き込まれただけかもしれない。うっかりして機会を逸したと、きっと悪びれずに言うだろう。

 見捨てられなかったのだ――と、きっと同じ調子で苦笑しながら状況を受け入れるのだろう。


 だから今、まさに彼女は走っている。

 恐怖の権化とも呼ぶべき、建国以来の脅威に向かって。


 忘れてしまえるのに……忘れてしまいたかったろうに、留めてくれている。半ば自惚れとは思いつつも、クロノは信じたかった。

 いいや、今更そんな虫のいい話をする権利も資格も、クロノにはすでにない。とうに自覚している。すべては三年前に自ら捨てた。真の聖女を選び、彼女を追放したときに。


 王子の立場を優先し、愛した相手を守らなかった。母であるナミが断罪した通りだ。

 故意の偽証ではない、彼女には聖女を騙り国を謀ろうとするつもりは毛頭ないと、庇うことができた唯一の立場であったにも拘らず、国を、政治を優先した。言い訳のしようもない。彼女の犠牲の上に安寧を求めた。



『クロノ様にはクロノ様にしか背負えない責務があるんでしょう? そのくらい前から承知してますよ』



 なのに何故、あんな風に言えるのか。

 理解か、寛容か。

 さらに今、身を危険に晒して他者を救おうとするのか。仇ばかりだろう相手を逆に慮れるのか。クロノは改めて彼女の強さを思い知る。


「……カレン! 駄目だ!」


 とうに捨てられた名を惜しんでいたのは、呼ばれる当人よりも、むしろ呼び掛ける側の方だったかもしれない。華奢な背中は見る間に遠ざかり、引き留める声を拒絶する。


「止めろ、無茶だ……!」


 黒髪が風圧で舞い広がる。

 今はリンドと名乗る愛しい女は振り返らない。


 従兄弟のエドが傍らで戦っていても、限界はある。どうして彼女の身を守るのがクロノ自身ではないのか。負傷した身でさえなければ、と歯噛みする。

 頭では、理性ではわかっている。

 クロノには唯一残された王族の直系として、為政者としての義務がある。国のために民のために、感情の赴くままには生きられない。リンドもエドも承知しているからこそ、この選択をしたのだ。

 

「出るな。王太子殿下、落ち着け」

 ルードルフが手で制する。

「殿下が負けたら元も子もない。二人を助けたいなら、封印が完全に解けないよう王妃に抗ってくれ」

「……言われるまでもない」

 元より無理に動けるような怪我ではない。ルードルフに頷きながら、クロノはぎり、と歯噛みして堪えた。


 襲い掛かる魔獣の眷属を何とか回避して、リンドとエドは進んで行く。ナミやセインも驚いているようだったが、妨害にまでは至れていない。


 視線の先では白い龍が巨体を震わせ、封印に抵抗していた。威嚇の咆哮が響き渡る。地揺れが激しさを増した。

 傷の痛みを気にしている余裕もない。クロノは眉間に力を入れ、精神を集中させた。リンドの賭けを成立させるためには、まだ堪える必要がある。傍で触れなくとも、ギリギリまで彼女の補助することはできる。


 強い光がクロノの体内の満ちる。

 心に満ちる。

 そのまま広がり、地下に満ちる。



 周囲が真白に染まっていく――……。

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