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27.真白の未来図2

 口づけは甘くも切なくもなかったが、クロノの強い意思が込められている。少なくともリンドにはそう感じられた。


(クロノ様……)


 リンドは半眼となる。

 己の中にある本来の異能(ちから)が甦るのがわかった。






 三年前――。


 サユはカレンを魔女と糾弾し、その異端の力を封印することで、自分を真の聖女だと知らしめた。

 間違ってはいない。

 確かにサユは歴代聖女と同じ力を持ち、十全にそれを揮った。ただし聖女もその血を引く王族も、個人によって力量の差はある。例えば、クロノの力は両親よりも強い。

 サユは当時、まだ年齢的にも肉体的にも発展途上にあったはずだ。現地人の異能が概ね成人前後で目覚めるのを考慮すれば、成熟には程遠かった。


 カレンはこの世界に降り立ったとき、すでに十九歳だった。異能者として完成し切っているうえに、通常ではあり得ない()()()()()()()()()を有していた。結果としてサユは、()()()()()()()その力を封じた。だからカレンは()()()()()()()()()()残された力を使うことができたのだ。


 一言に封じの力と言っても、強弱もあれば特質も異なる。国王が魔獣に施した封印はその死によって効力を失った。サユの力は強いものではなかったが、カスガやアルテ同様に継続性はあり、殺された後も緩くリンドを縛り続けた。


 リンドにとって僥倖だったのは、封じられずに済んだ力の一部が、幻獣使いのそれとして残されたことだった。

 強過ぎるが故に周囲に忌避される魅了の力は、小さく薄くなったおかげで便利な能力に落ち着いた。制御も可能となり、むしろ現地の少女として生きるのには都合が良かった。こんなことがなければ、一生そのままで構わなかったのだ。


 しかし、今一度リンドは取り戻さなければならない。皮肉にも、彼女を疎んだ王国の民を救うために。


(それでも、私は――)






「離れて……クロノ様」


 半分伏せた視線を上げずに、リンドはクロノの胸部を手で軽く押しやった。その手を掴もうとしたクロノの指が、するりとすり抜ける。


「っ……リンド!」


「無闇に動くな、王太子殿下」

 負傷を顧みずリンドを追おうとするクロノを、傍らでルードルフが制止した。

「……わかっている。リンドは自分の力を理解しているし、ちゃんと制御できるだろう。ルードルフ殿は知っていたんだな。だから彼女を攫おうとしたのか」

「その通りだ」

 悪びれもせず、ルードルフは首肯した。

「ろくに説明もせず悪かったな。何しろ、あの時点では誰が聖女殺しの下手人か判断がつき兼ねた」


 ルグレイでの不審な行動について、ルードルフは今更ながらに弁明する。どうやら彼には彼なりの思惑があり、警戒を巡らしてしていたらしかった。


「お嬢ちゃんの異能は聖女のものとは種類がまるで違うが、もしかしたら魔獣にすら効くかもしれん。その可能性を連中(あいつら)に悟られる訳にはいかなかったってことだ」

「リンドの……異能は」


(私が幻獣使いというのは間違ってない。正確に言えば、力の一部を封じられたから、()()()()()()()()()()()()()()()だけ)


 リンドはクロノとルードルフの会話を拾いつつ苦笑した。サユに一部を封じられたからこそ、リンドは現地の人間として生きるために異能を役立たせることができた。運命の皮肉を改めて実感する。


「幻獣使いとは……この次元には存在しない異形の生き物を喚び、使役する力だと言われている。だがな王太子殿下、どうして幻獣のような虚ろな生き物が人間の呼び掛けに応じ、僅かな時間とはいえその意に操られると思う?」


 クロノがハッとしてリンドに強く視線を寄せる。とうの昔に彼は知っていたはずだ。滑らかな肌を取り巻く空気は、容易に他者の精神を狂わせ惑わせる。


 魅了。


 かつて王宮より禍々しきものと忌避されたそれは、聖女を騙った魔女固有の能力である――と思われていた。


 実際は違う。

 リンドは本能で、ルードルフは研究の結果、その本質に辿り着いた。クロノもまた、示唆された事象から真実を悟っただろう。


「つまり幻獣使いの異能の正体は――魅了の力だったと? それが幻獣に効果を及ぼした結果、召喚と使役が可能になると、ルードルフ殿はそう結論づけたのか」

「その通りだ。諸々の実験の詳細は省くけどな」

「そして一般の幻獣使いの魅了の力はごく弱いものだ。その理解でいいか?」

「実際に力の強い幻獣使いは、幻獣のみならず現存する小動物を従えることができる。複数の事例が公表されてるから、専門家なら誰でも知ってるが、一般的ではなかったかもな」

「それでは……王宮がもっと幻獣使いの異能を把握していれば、三年前のカレンの扱いも違っていたのか」


「……いや、止そう」


 悔やみながらも、クロノは自ら仮定を禁じた。その気持ちはリンドにもよく理解できる。

 タラレバを言い出したらキリがない。

 確かに王宮はリンドの異能を見誤ったのだろう。既知の能力の延長線上にあるものでなく、かつて誰も出会ったことのない恐怖として扱った。それ自体は責められない。国を治める者には警戒が必要なのだから。


 もともとクロノは国王に魔女の処罰を避けるよう提言し、離宮への幽閉に誘導した。ナミはクロノを冷酷な人間だと断定したが、リンドの評価は異なる。

 たとえ妻に迎えた相手であっても、統治機構を揺るがし兼ねない存在は容認し難い。王太子の立場では私情を優先できない。それでも彼は精一杯配慮してくれていたように、今は思える。


(わかってるよ、クロノ様はそういうひとだ)


 深く息を吐きながら、リンドはクロノと対極に位置する赤毛の騎士をちらりと見遣った。

 セインは何もかも捨てて身勝手な想いに溺れた。今はエドからも魔獣の眷属からも、ナミを守り続けている。滅びを望む割には矛盾した行動だが、当人の中では整合性が取れているのだろうか。


 いや、もともと論理的な思考のはずがない。

 リンドはすぐに理解を諦める。

 今は立ちはだかる壁だけを見据えるべきだ。

 リンドは強まっていく魅了の力を、巨大な白龍を従えるべく集中させた。


 国王が亡くなり、王妃が封印を解いた。最後の砦たる王太子は負傷してはいるが、魔獣はまだ完全に覚醒してはいない。

 その白い巨体を初めて目にしたとき、リンドは以前専門家(ルードルフ)に聞いたもうひとつの仮説を思い出した。魔獣とはやはり、幻獣使いが操る存在と同種ではなかろうか、と。


 無論、一般的な幻獣とは規模や凶暴さにおいて一線を画する。人間の手には余る。

 

 ――始祖の王はこの地に魔獣を封じた。


 とはいえ、伝承にもいつ魔獣が現れたのか、或いは何者かが召喚したのか、詳しい経緯は残っていない。初出の記録が初代国王の一時代以上は遡れないことから、おそらくは建国時期に強力な幻獣召喚士がいたのだと推察できる。

 彼ないし彼女は――多くの幻獣使いがするように、魅了の力で異形を喚び、顕現させた。

 そこに意思が介在したかは不明だが、後に魔獣と呼ばれた白い巨龍は、かつての大陸を蹂躙した。封印を施した男は英雄となり、オルフェン王国の建国に至る。


 それとも逆なのかもしれない。

 国を興すにあたり、誰も制御できなかった巨大な力を手中に収める必要があった。魔獣の力が王都付近の気候に影響を与え、今でもその恩恵にあやかっているのだ。

 だとしたら、発端となる魔獣召喚にも裏があっておかしくない。如何にも有り得そうな話であるが、最早この現代で確かめる術はなかった。


 ただ、もし本当に魔獣が幻獣であり、リンドの異能で操れると言うなら、可能性に賭ける根拠となる。信じて魅了の力を解放してくれたクロノに報いるためにも、負けてはいけないと強く願う。


「――エド! リンドを補助しろ」


 呼応するように、クロノが鋭く指示を出した。

 セインへの攻撃を優先していたエドが、クロノの意図を察したのか、ハッと息を呑んで頷く。

 眷属龍を薙ぎ倒しながら、エドは即座にリンドの傍まで移動した。その理由は彼女を守るためではなかった。


(エド様?)


「集中しろ。力を重ねる」

「は?」


 一瞬面喰らったリンドだったが、理由はすぐに知れた。エドが自身の異能の力を使ったからだ。

 淡い銀の輝きがリンドの全身を包む。


(これって、エド様の力……何? 強化?)


「心配するな、リンド。エドは他人の異能を増幅する力を持っている」

 疑問に答えたクロノの身体にも、銀光は及んでいた。離れた距離でセインが舌打ちしている。

 わざとらしい挑発や狂気も演技に過ぎず、エドを自分に引きつけ、異能を使わせないための誘導だったのだろう。

 クロノとナミの力は拮抗しているか、或いは些かクロノの方が不利ですらある。だがエドの力で底上げができるのであれば、戦況は変わってくる。


(そうか……エド様たちが王都に着くのが早過ぎると思ったけど、雇った幻獣使いの力を強くして、高速移動の手段を作ったんだ)


「でも、エド様……あまり私に近づき過ぎないで。魅了の力に当てられますよ」

「だから何だ。今、魔獣の復活を阻止するより優先すべきことはない」


 迷いなく、エドは言い切る。

 精神汚染は人格破壊を招くこともある。貴族の教養と知識があれば、その恐怖にすぐ思い至るだろうに、大した度胸である。

 彼もまた王族の血筋、クロノと同じく国に殉じる立場で生きているのだ。


 本音を言えば、所詮この国に縁の浅い、異邦人に過ぎないリンドには重過ぎる決意だった。それでも委ねられた以上、人として責任から逃げたくはない。


 かつて何も持たない盲目の少女ですら、見返りもなく庇ってくれた。曲がりなりにも能力のあるリンドが、どうして手を尽くさないでいられるだろう。



(私だって、やれるだけはやる――)

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