21.緋色の恋情2
障碍ついての描写があります
不快な方は申し訳ありません
エドがジャン少年と会話をしたのは一度だけだ。
ルグレイの街で――ルードルフが無理矢理リンドを連れて出奔した、と真っ先に報せてきたのは彼だった。
その後、二人が向かった先が王都だと知るや否や、クロノは相談もなしに勝手にひとりで動いた。正直、身分や立場を考えたら軽挙に過ぎるが、今更言っても詮無きことなので、ここでは置いておく。
クロノを追って強行軍に出ようとしたエドに、ジャン少年は躊躇せずに尋ねた。
『あいつを助けてくれるんだよな、貴族様』
社会の底辺で育った少年にとって、身分は理不尽の象徴であり、貴族は己を虐げる者であっても頼るべき相手ではないだろう。
無下にされるのも覚悟のうえで願うジャン少年は、真剣そのものの表情だった。彼にとって少女が特別なのだと判る。
『鋭意努力する。……しかし意外だな。リンドとはただの顔見知りではなかったのか』
『リンド……あいつ、そんな名前だったっけ。まあいーや。顔見知りっつーか、オレが一方的に気にしてたっつーか。弱かったから、あいつ』
『弱い? とてもそうは見えないが』
『だからオレも最初会ったとき、びっくりしたんだよ。別人みてーで。でもあいつなんだよな』
『リンドもお前のことなどまったく気に留めてはいないようだったな』
『そりゃそうさ』
ジャン少年は微妙に苦笑して肩を竦めた。
『あいつは……オレの顔、わかんねーもん』
確かに、ジャン少年がケムビからルグレイに移ってきたのは、三年近く前だという。それだけ離れていれば、子ども同士が互いを忘れても無理はない。
『妙だな』
しかしエドはジャン少年の言い方が少し気になった。他人の記憶について言及するには、やけに断定的だったからだ。
『お前、本当にリンドと面識があるのか?』
子どもを責めたり疑ったりするのはそもそもエドの趣味ではないが、立て続けに不審な出来事が起こる現状では、警戒せざるを得なかった。そして、数日とはいえ旅路を共にしているリンドより、初対面に等しいジャン少年にどうしても厳しくなる。
『……! んだよ、ざけんなよ』
凄まれたと思ったのか、ジャン少年はエドを睨み返した。ただでさえ、貧しく育った子どもは大人への反発心が強い。クロノやセインであれば上手く言い含められたかもしれないが、エドの話術にその技倆は欠けていた。
『どーせオレの言うことなんか信じてねーんだろっ』
『馬っ鹿じゃねーの! 勝手に嘘つき呼ばわりすんじゃねーよ。あいつ生まれつき目が見えなかったんだぜ? オレの顔とか知る訳ねーじゃん』
『――何だと?』
一瞬、エドは耳を疑った。
告げられた内容が事実ならば、常識的に考えてあり得ない。エドは思わずジャン少年の胸ぐらを掴んだ。普段は絶対にしない乱暴な動作だった。
『……ッ! 離せよ!!』
『リンドが……盲目だと?』
『そーだよっ!』
非力なながらもエドの腕を跳ね除けようと、ジャン少年は藻掻いた。ハッとしてエドは手を緩める。
『……すまない』
『んだよ……畜生。オレは嘘は言ってない』
『わかった』
『疑うならケムビで調べろよ。ジジィんとこの親無し子、何にも見えない役立たずってみんなに嘲笑われてたんだ、あいつ。今は……治ったみたいだけど』
――それもあり得ない。
エドは言葉を呑み込む。言えば再びジャン少年の虚言を疑い、その矜持を傷つけることになるからだ。
とはいえ、俄には信じ難い。
リンドという少女は幻獣使いの資質を抜きにしても、むしろ同年代の平均より優れていると感じていた。運動能力は不明だが、知識もあり、会話の応酬からも頭の回転が早さが窺える。過去であっても、障碍を負っていたようにはとても見えない。
そもそも生来の盲人が、そう易々と視力を得ることができるものか。
無論、この世には治癒の異能者も存在する。多少の怪我や軽い病を治したり、体力を回復させるのが主で、欠損を補えたりはしない。
ジャン少年がケムビを去ってから現在までの間に、リンドの身に何らかの奇跡が起こったと見做すべきだろう。
心当たりはひとつしか浮かばなかった。
――三年前。ジャンがルグレイに移った後。会っている。リンドは彼女に会ったのだ。魔女と呼ばれた人物に。
この符号は何なのか。
偶然か、否、最悪の想像もしておくべきだ。
戦慄を抑えながら、エドは覚悟を決める。
今後は子どもであっても容赦はできない。
リンドがもしクロノやオルフェン王国に仇なす敵であるならば、両断するのがエドの仕事だった。
▼△▼△▼△
「今一度問う」
「彼女――カレン妃はお前に何をした? お前の目はいつから見えるようになった?」
「エド様……」
下手な返答はできない。
五体どころか生命の危機的状況にあって、リンドは今更ながらに憤慨する。
(ふざけるな、あのガキ! 何もしてくれなかったくせに、なんでこの期に及んで、そんな話が出てくるの)
ケムビの街で、リンドは周囲と関わってこなかった。大人であれ同世代であれ、誰も助けてはくれなかった。
買い物に行けばまだ生きてたのかとばかりに蔑まれ、道端では時折足を掛けられることもあった。病に臥していた老人が亡くなっても、お悔やみすら言われない。事務的に埋葬の手順を教えてくれた役所の方がまだマシだった。
貧しい街の住人に余裕がないのは理解している。そんな中で、ひとりの少女を気に掛けてくれたジャン少年を責めるのは、完全にお門違いだろう。しかし、わかっていても理不尽さは否めない。
エドの言う三年前のあの日――少女と出会った魔女には善意もなければ悪意もなかった。朽葉色の瞳に映った事実も、映らなかった幻想も、価値を決めるのは当事者だけだ。
「エド様は……私が魔女と通じて、意図的にあなた方に近づいて、挙げ句、今の事態を引き起こす片棒を担いだとでも仰るんですか?」
「それを訊いている。後ろめたいことがなければ、隠し立てする必要はあるまい」
「ルグレイに行くまで、私は何度もお断りしましたよ。ルードルフ先生に連れ去られたときだって、助けてもらえる確証なんてなかった。勝手に私のこと巻き込んでおいて、無茶振りです」
怒りを含ませて訴えると、エドも多少はたじろいだように見えた。それに、とリンドは続ける。
「クロノ様は件の魔女の関与自体に否定的だと、そう同意してくれました。今は揉めている時間はないんです」
リンドはわざと意味あり気に足元を指し示した。
エドたちもここに至るまで、人々の噂を聞いただろう。地震の原因である災厄は、未だ地下で胎動している。
「すでに地下に誰かいます。多分、それが――」
「国難を招こうとしている張本人だとでも?」
「はい。それが誰かも予想はできています」
「……っ」
黒幕を示唆され、エドは唸った。
「本気で言っているのか……? それとも詭弁を弄しているのか」
理性的に説得したかったが、どうやら逆効果に終わりそうで、リンドは歯痒く思う。
事は一刻を争うかもしれない。
エドもセインも騎士である以上、それなりの戦闘力はあるだろう。リンドが幻獣で抵抗すれば、互いに無事ではいられまい。
「お前が非力だとは思っていない」
「じゃあ穏便には済まないとわかっていますよね」
「ああ。しかし野放しにはできない。拘束する」
「お断りですよ」
「では……覚悟せよ」
場は一触即発を通り越して、物理的にぶつかり合うまで秒を数える状況に至った。双方不本意であろうが、ここまでくれば致し方ない。
「エド様、いいんですか。本当にリンドちゃんを、あんな子どもに攻撃を……?」
「必要なことだ。セイン、お前は下がっていろ」
「しかし……いえ、わかりました」
一応止めるような素振りを見せつつも、セインは最終的にはエドに逆らわなかった。誰も介入できず、どちらも退かないのであれば、選択肢はひとつだけだ。
リンドは呼吸を整えた。
エドもまた、一分の隙もなく身構える。
しかし――直前で、両者はすべての動きを止めた。否、正確に言えば、制止を余儀なくされた。
二度目の地震が王都を襲ったのだ。




