14.群青の港町7
カスガは自室で殺されていた。
発見したのはセインで、明日の予定を伝えようと伺ったところ、扉を叩いても返事がなかった。時間は早いが就寝したのかと思ったが――妙な違和感があった。
セインは勘の良いところがあり、その精度は異能に近い。自身の能力を把握しているセインは、違和感の正体を探るべく、無礼を承知で断りなく扉を開ける。鍵は掛かっていなかった。
部屋に立ち入ると、無惨な姿となったカスガの肢体がセインの視界に飛び込んできた。
赤い軌跡が床に不規則な紋様を描いている。
服が血で汚れるのも顧みずセインはカスガを抱き起こしたが、すでに事切れていた。急所に一突き――手練の犯行だとすぐにわかった。直接の死因は失血死だろうか。凶器の短剣は抜かれ、床に転がっていた。
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リンドは現場への入室を許されなかったため、すべては断片的に聞かされた話である。
屋敷内は一時混乱を極めたが、強権的なクロノの采配により、夜半には静かになった。自室に籠もっていたエドと、外出していたらしいルードルフも後から加わり、現場検証は概ね済んだようだ。
特に役にも立たないから、とリンドは使用人部屋でしばらく待機するよう命じられた。子どもに知人の凄惨な遺体を見せたくないという配慮はありがたく受け取った。
(ちょっと話しただけのひとだったけど)
情が移るにはまだ短過ぎる。
とは言っても、昼間貰った紙を見るとやる瀬ない気分になった。真ん中に『竜胆』と大きく書いてある。彼女の故国の文字だ。
見知らぬ世界で理由も何もわからず殺される。そんな理不尽があるだろうか。
この世は優しくない。それはリンドも知っている。
だからといって、聖女も魔女も関係なく利用され貶められていいものか。挙げ句、簡単に排除されるのがこの国の道理と、誰が受け入れられるのか。まったく何という身勝手さ、何という罪深さだろう。
(やっぱりもう関わるのは止めよう)
グダグダと巻き込まれて、危険なヤマに首を突っ込んでしまった自覚はある。なりふり構わず逃げる選択肢もあったはずだ。リンドは自分の状況判断の甘さを悔いた。
生命に代わるものはない。何としても離脱したいところだが、下手に動くと逆に犯人だか刺客だかの関係者と疑われてしまうかもしれない。
(エド様あたりなら……怖がる素振りを見せたら、これ以上女子どもを巻き込めないって言ってくれそうかな。うん、そうしよう。明日の朝になったら……)
説得する相手を決めて、リンドは明日に備えるべく寝台に入ろうとした。身体は拭いたが寝間着には着替えなかった。念のためだ。不逞の輩がまだ邸内にいるとは思わないが、用心に越したことはない。
地方の小貴族の邸宅とはいえ、私兵も番犬もいる屋敷に忍び込み、誰にも悟られず標的を抹殺する。その手際は専門家の仕業に違いない。
屋敷の主人にはカスガについての詳細は伏せていたので、あまり表立って警備を置けなかったのも災いした。定期巡回の見張り兵がいるだけで、隙をつくのは容易だったろう。
クロノたちは歯噛みしていた。ケムビで襲撃されたため、備えていなかった訳ではない。むしろ再び集団で仕掛けてくるものと予測していた。
不意打ち狙いで聖女候補だけに的を絞ったのか。
いや、そもそもの発端は当代の聖女サユが殺された事件にある。つまり敵は最初から聖女をこそ狙っていた可能性が高い。
ルードルフも言っていたが、現国王夫妻や王太子が健在であれば、国を損なうであろう魔獣の封印は解かれない。聖女を亡き者にして将来的なオルフェン王国の弱体化を企んでいるとしたら、気の長い計画である。
しかし国境線沿いは近年安定しており、戦端を開く気配はないと聞く。そこまで遠回りな戦略を実行に移す外敵があるだろうか。
国内の勢力争いだとすれば、考えられるのは別の聖女候補――他にも異世界人がいるとして――を擁する陣営である。サユでもなくカスガでもなく、もっと都合のいい御輿を担いで、権力を握らんとしている。如何にもありそうだ。
最初はカスガがその御輿になるのかとも思ったが、彼女自身が殺されている。こうなると、カスガが乗せられていた船の火災も怪しい。
(兎に角、聖女が邪魔なんだよね。別の聖女なんて本当にいたりするのかな。それとも……)
魔女。
王宮が最も警戒しており、クロノも執拗なほどその行方を気に掛けている。未だ王太子妃であり、王宮との間に確執がある相手だ。疑惑の目を向けるのは当然だが、復讐を恐れるのは相応の後ろめたさがあるからだろう。
普通ならば三年もの間、何の痕跡も残さず生きることは難しい。いったい何の根拠で、クロノは魔女カレンが野垂れ死にもせず、逃亡を続けていると信じているのか。
とりとめのない思考が睡眠を妨げる。
白湯でも貰って身体を温めるかと思い立ち、リンドは厨房に向かうべく部屋を出ようとした。扉の引手を握ったとき、予期せず外から声が掛かった。
「お嬢ちゃん、まだ起きてるか?」
「……ルードルフ先生?」
声の主はルードルフだった。
こんな時間に何の用か――何かあったのか、とリンドは緊張しながら扉を開ける。
「入っていいか?」
隙間から顔を覗かせたルードルフは、珍しく遠慮がちに訊いてきた。さすがにこんな夜中なので気が引けるのかもしれない。
特に慌てた様子も異常も感じられなかったため、リンドはほっとしてルードルフを部屋に招き入れた。
「どうぞ……って、お茶も出せないですが」
「構わんさ」
ルードルフは苦笑した。
その姿を見て、リンドは引っ掛かる。
(そっか服装が……)
「あれ? また……どこかにお出掛けだったんですか? それともまさか、これから? ていうか、今日どこに行ってたんです?」
「お嬢ちゃんだって着替えてないだろ」
「まあ、そうですね。あんなことがあったばかりですから。寝起きに襲撃でもあったら洒落になりません」
「賢明だな。俺もちょっとな……つーか最初からきな臭いと思ってたしな。だから今日は色々手配してきた。情報収集も兼ねてたから、遅くまで掛かっちまったが……戻って来たらこの騒ぎだ。すぐ動けるようにしとかねぇとヤバそうだと思ってな」
どうやらルードルフもリンド同様、このまま関わり続けるのは危険が大きいと判断しているらしい。
以前は王宮にも出仕していた貴族家の人間であれば、リンドのように漠然とではなく、もっと具体的に事態を把握していてもおかしくない。
「それで、ご用件は?」
不要不急の理由で、わざわざルードルフが使用人棟まで足を運ぶことはあるまい。まどろっこしい前置きはなしで、リンドは尋ねた。
「ああ……そうだな。お嬢ちゃん、今回の件、いったい誰が何のためにやったと考えてる?」
「……? 知る訳ありませんよ」
「憶測でいい」
「え、そりゃあ……」
ルードルフにしては真面目な表情だったが、リンドは素直に答える気にはなれなかった。
「例の魔女様じゃないんですか? 再び聖女の地位に就かんと、他の聖女様や候補様を邪魔に思ってやっちゃったんじゃないです?」
子どものリンドが物事を単純に捉えていても、不自然ではないはずだ。惚けてみれば、ルードルフは複雑そうな表情で嘆息した。
「三年近くの付き合いだってのに、お嬢ちゃんはちっとも俺のこと信用してねぇのな」
わざとらしく肩を竦めると、ルードルフは懐から何かを持ち出した。
(――小瓶?)
半透明の硝子製の瓶が、ルードルフの手でリンドの鼻先に提示される。水薬の容器に見えた。
「先生?」
「何だと思う?」
にやり、とルードルフは悦に入った笑みを浮かべた。悪戯が成功した小僧のそれに近い。
リンドが思案するよりも早く、ルードルフは瓶の栓を抜いた。どこかで嗅いだことのある香りと共に、中身がぶちまけられる。
「――っ!?」
「正解だ、お嬢ちゃん。いくら親しくとも、簡単に信用するもんじゃねぇよ」
「せ……ん、せい」
頭から水薬を被りつつ、リンドは瞠目する。
探らなければいけないほど、この匂いは古い記憶ではない。嗅覚がごく最近のものだと訴えている。
そうだ、これは幻獣の――。
「忌避剤!?」
「ああ、お嬢ちゃんはこれで無力だ」
ルードルフは勝ち誇ったように言った。
リンドは二の句が告げず、ただ立ち尽くすしかできなかった。いったい何が起こっているのか。ルードルフの意図が見えない。
「先生……」
「我が身が惜しければ静かにしていろ。お嬢ちゃんだって、こんなところで死にたくないだろう?」
「何、を」
「抵抗しなければ、別に傷つけるつもりはない。ただ一緒に来てほしいだけさ」
冷淡でもなく酷薄でもなく、ただ作業のように無情な口調でルードルフは告げた。
幻術使いとして抵抗する術を奪われたリンドは、勝算もなく逆らうことはできない。むしろ騒いだ方が状況を打破できたかもしれないが、リンドの理性がそれを阻んだ。
「目的は……いえ、私をどこに連れて行くと?」
リンドが問えば、ルードルフはゆっくりと口角を上げた。
態度や仕草は一見して粗野だが、容易に裏を読めるような単純な相手ではない。何故、これまで彼に何の疑いも抱かなかったのか。リンドは自身の迂闊さを後悔する。
ルードルフは在野の研究者とはいえ、今でも国の中枢と繋がっていてもおかしくはない。
(まさか)
最悪の想像に、リンドは慄然とする。
「ああ、多分お嬢ちゃんの推測は当たってるぜ?」
ルードルフは意地の悪い笑みを浮かべた。リンドの不意を付いたのが愉快でならない、といった風情だった。
「行き先は決まってる」
「――王都だ」
◇◇◇◇◇
昏く救いがない悪夢の中で、女は泣いていた。
女はかつて、自らの意思ではなく、偶発的な事故か神の気紛れによりこの世界にやって来た。
故郷を遠く離れ、家族には二度と会えない。
ろくな説明もないまま崇められ、期待され、お伽噺じみた力を求められた。自由はなかった。虜囚として閉じ込められたに等しい。
伴侶すら勝手に定められた。愛してもいない男に組み敷かれる。子を孕めと毎夜犯される。
地獄だった。逃げたかった。
けれど誰も助けてはくれなかった。
――わたしがいったい何をしたというの。
この世界、この国、この王宮の者は狂っている。
因果も責任もないはずの異世界の女に頼り切り、他者の人生を踏みつけ蔑ろにして自覚すらないなんて。
憎い。許せない。ああ、どうにかして己の痛みと同等の傷を与え、抉り抜きたい。
女は考えていた。
ずっとずっと考えていた。
機会が訪れたそのときは――躊躇も遠慮もなく復讐を果たすべく思考を巡らす。
協力者もいた。女にすべてを捧げると言って憚らないあの男は、きっと望みを叶えてくれるだろう。
理不尽に奪い、思うさま蹂躙し、徹底的に貶めるのだ。それはすべて、この国が女にした仕打ちに他ならなかった。
――見たい。この国の終焉を。
燻らせた黒い感情を、女は最早隠さない。
闇夜の果てはまだ、遠く遥か先に続いていた。
<群青の港町〜了>
次話より「紫の竜胆」




