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13.群青の港町6

 リンドは使用人部屋の棟の片隅に寝床を与えられている。狭いが個室であり、貴族の屋敷の設備なので、今まで住んでいたあばら家とは比較にならない。住環境が良いのは素直に嬉しかった。


 聖女候補――カスガとの他愛もない話は夕刻まで続いた。当初クロノに依頼された通り、警戒を解くという任務は果たせたはずだ。

 そう言ってとりあえずの報告を終えたリンドは、食事とお湯を貰ってさっさと休みに行こうとした。



 が、唐突にクロノに呼び止められた。


「リンド、ちょっと私の客室(へや)においで」

「ええ?」

「いい子だから。うん、お菓子をあげよう」

「いやいやいや、それ完全にアレなヤツですよ」

「あれ?」

「あー……いえ、ううんと、あの、お菓子より普通にご飯いただきたいんですが。私、別に甘い物好きじゃないですし」

「……珍しいね」


 クロノは面食らったような顔をしていたが、部屋に食事を用意すると言って、リンドを逃さなかった。

 呼ばれた部屋は屋敷でも最上級の客室である。持ち主の地方貴族より、出自からして王宮騎士であるクロノの方が格上なのだ。当然の待遇と言える。

 室内にはいつも一緒にいるエドも、部下のセインもいなかった。給仕をする使用人がいなければ二人きりだ。


(何だこれ。微妙……)


 何だか食欲が引っ込んでしまったリンドは、高級料理を前にしても気分が上がらなかった。

 卓を挟んで対面の席に座ったクロノは、リンドの胸中などお構いなしに優雅にお茶だけを飲んでいた。隙のない所作に圧力を感じる。


「どうぞ? 遠慮しないで」

「クロノ様は? エド様やセイン様、ルードルフ先生はいらっしゃらないんですか?」

「私とエド、それにルードルフ殿は、ここの主人と晩餐を済ませている。面白くもなかったけど、屋敷を提供してもらっている以上、義理は果たさないとね。セインはまだ細々した仕事が終わらないと思うよ」


 下っ端がこき使われるのは貴族社会も一般社会も変わらないらしい。人遣いの荒い上司を持ったセインに幾許かの同情心を抱きつつ、リンドは致し方ないと食事を始めた。


 最初は無理をして口をつけたにも拘らず、リンドの瞳にはすぐに喜色が浮かんだ。

 魚介の粗で出汁を取った羹は現地でないと味わえないコクの深さで、胃の腑に染み渡る。独特の発酵調味料で煮込んだ肉は、口の中で蕩けるような柔らかさだ。海老や蟹の炒め物も香ばしく、味蕾を刺激する。

 生きているうちに、こんな贅沢な食事を堪能できるとは思わなかった。不満の多い道程だったが、これだけは文句なしの幸運である。リンドはいつの間にか恍惚の表情で皿の料理を平らげていた。


「気持ちのいい食べっぷりと言うべきかな?」

「……すみませんね、庶民なもので」

 欠食児童と憐れまれているのだろうが、リンドは悪びれもせず皿を空にした。

「日々の食事にも事欠く生活なんて、クロノ様には想像できないでしょうが」

「それなんだけど」

 お茶を飲み干したクロノが、不意に尋ねた。

「リンドは確か、ずっと病身のお祖父様と暮らしていたのだよね? 今まで生活はどうしてたのかな?」

「生活……ですか?」


 訊かれたリンドは怪訝そうに首を傾げた。珍しい幻獣使いの子どもが、能力を隠しながらどうやって身を立てていたのか気になるのだろうか。

「基本的にはルードルフ先生の研究のお手伝いですよ。あのひと破天荒ですけど、貴族だから金払いは良かったので色々助かりました。爺様の薬もいただけましたし」

 特に隠し立てもせず、リンドは答えた。

「まあルードルフ先生と出会う前は、例の()()様が持っていたお金も、ありがたく使わせてもらいましたけども。もしかして問題あります?」

「いいや? 君に色々な知識を与えたのが彼女と言うなら別だけれどもね」

「知識?」

「うん、何というか君ね……生まれ育ちのわりには教養があり過ぎる。今日のセインの報告を聞く限り」

「……は?」

「誉めているよ。リンドは賢い」


 にこやかな態度とは裏腹に、碧眼の奥は相変わらず笑っていない。素性を疑われているのだ。すぐに悟って、リンドは何をされるかと身震いした。


「読み書きもできるよね。教えたのはお祖父様? それともルードルフ殿かな?」

「……確かにルードルフ先生からは、何かと教えてもらっています。爺様は長いこと病気で……曲がりなりにも頼れる大人って、先生だけだったんです」


「リンドはルードルフ殿が……好きなのか?」

「はぃぃぃ!? 何ですかソレ!?」


 唐突な問い掛けに意表を突かれ、リンドはガシャンと空の皿を鳴らす。ひっくり返さなかっただけマシだろう。

「あのひと四十歳(しじゅう)のオッサンですよ!?」

「まだ三十代だって言っていたような」

「誤差ですよ!」

「でも女の子って年上が好きじゃないか? 彼は若く見えるし、君は随分と懐いてるし、心を許しているようだから」

「いやいやいや、ないです」


 意図の不明な邪推は気味が悪い。

 単にからかわれてるだけかもしれないが、そこはクロノである。当たり前に含むものがありそうで、リンドは楽観的にはなれなかった。


「別に懐いてもいません」

「そう? じゃあ十代の(わかい)子の方がいいのかな。ジャン少年とか。ケムビで顔見知り……だったんだろう?」

「先日も言いましたけど、私の記憶にはないんですよ。同じ街にいたなら、もしかしたらどこかですれ違っていたかもしれませんが」

 リンドは首を左右に動かして否定した。

 先日捕縛されたスリ未遂の少年は、幸か不幸か無理矢理に仕事を与えられ、成果を上げている。顔を見たのはあれきりだ。知り合いだったとしても、まったく思い出せていない。


「ふぅん……まあジャン少年がルグレイに移ったのは()()近く前だそうだから、リンドもさすがに忘れているのかもしれないね」

「そうですね。……ん? 三年?」

 最初はクロノがジャン少年の何を気に掛けているのかわからなかったが、その聞き覚えのある年数を聞いたとき、リンドにも察することができた。

「うん、三年」

「ええっと、それはまさか、魔女……と、関わりが?」


 今度はクロノが首を振った。

 そう簡単に手掛かりが見つかれば苦労はないと、皮肉げに上がった口端が語っている。


「ただジャン少年によると……当時ケムビで不審な女の目撃情報はあったようでね。容姿や特徴までは不明だから、それが例の彼女かどうかは判断がつかなかった」


 つまり探している魔女――聖女殺しの最有力容疑者と最後に会ったのは、依然リンドのままだということだ。しかし期待されてもリンドにはこれ以上提供する情報(ネタ)はない。

 そろそろクロノにも納得してもらえたかと思っていたが、執念深いと言うべきか、それほどに切羽詰まっていると見做すべきだろうか。


「逆にルグレイでは過去三年間――黒髪の女を見た者は誰もいない。あのカスガという娘が現れるまでは」

「そう……なんですか」

「国を出ようと思うなら、一番近い港のあるこの街を目指さないか?」

「陸路だったのでは?」

異世界(ニホン)人なら、陸路より海路を選ぶのが自然だ」

「えええ……それは偏見のような」


 表面的には平静を装っているが、クロノは内心でやや苛立っているようだった。余裕っぽく「焦りは禁物」などと宣ったのは、ある意味自戒だったのだろう。

 考えてみれば、国の将来を左右する重責を担わされ、どこぞの刺客に生命まで狙われたのだから、焦燥に駆られても無理はない。


「…………」


 沈黙が続いた。

 食事を終えても、容易に立ち去れる雰囲気ではない。気まずさに耐え切れなくなり、リンドは多少強引でも退室できる理由(いいわけ)がないか思案した。


(って言ってもなー……早くセイン様が仕事終わらせて来てくれないかな。ていうか、いつも一緒のエド様は何してるんだろ。ルードルフ先生……は、研究馬鹿だからどこにいたって好き勝手してるか)


 兎に角、何か話さなければ空気が重過ぎる。

 リンドが口を開きかけた、そのとき。



「!?」



 ――異変が起こった。



 +++++



 突然聞こえてきたのは何やら騒いでいるような人の声と、廊下を駆ける足音だった。

「……何だ?」

「セイン様の……声っぽいですけど」

 リンドが名を出した直後、その人物は扉を開けて現れた。礼も作法もない乱暴な入室に、非常事態を察してクロノが立ち上がる。


「……っ、クロノ様っ!」

「セイン、何があった!?」

「大変なことがッ……」


 全力で走って来たらしいセインは、息を整えながらクロノに訴えた。肩が震え、顔色は真っ青だった。騎士服は黒いので判別し難いが、血が付着している。


「カスガ様……聖女、候補様が」



(――まさか)



 嫌な予感と最悪の想像が、リンドの脳裏を巡る。それはクロノも同様だったようで、続くセインの言葉を待たずに最も当たってはほしくない推測を口にした。

「カスガがどうしたと……いや、()()()()()()()()()()()、とでも言うのか?」

「――っ」

 セインは息を呑んだが、否とは言わなかった。むしろ表情で肯定していた。さすがのクロノも動揺を禁じ得なかったのか、碧眼が大きく瞠かれる。


「……まさか、()()()()?」

「!?」


(殺……された? あの娘(カスガ)……が?)


 意味は理解できるが、実感がまるで伴わない。リンドの血の気は引いていた。そうだろう。つい先刻まで話をしていた相手が、そんな――。


「そうなのか、セイン」

「……はい」



「カスガ様は――何者かに刺殺されました」

【登場人物(名ありキャラすべて)】

・リンド…主人公。幼女?童女?

・クロノ…騎士。よく話す方

・エド…騎士。無口な方

・ルードルフ…研究者先生

・セイン…部下の騎士

・カスガ…聖女候補の異世界人

・ジャン…スリの少年

・カレン…追放された偽聖女

・サユ…殺された本物聖女

・国王…ファルフォード三世

・王妃…ナミ。異世界人

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