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12.群青の港町5

(この()が……)


 不運な落人ともいうべき異世界人の娘を、リンドは遠慮気味に観察した。

 結んでも束ねてもいない漆黒の髪は随分と長い。かなり癖が酷く、腰の付近まで波打っている。明らかに異国風の顔立ちはどこか幼けなかった。全体的には地味な印象だ。


 リンドは相手の警戒を和らげるべく、丸腰であることを示しながらゆっくりと入室した。


「ええっと……カスガ、様?」

「……!」


 びくり、と娘の肩が揺れた。

 黒い瞳が怯えを孕んだままリンドを捉える。


「あ……」


「私はリンド……といいます。見ての通り非力な子どもなので、落ち着いてください。食事はなさいましたか?」

「あ、えっと、その」

 ガタガタと椅子が鳴る。

 娘は立ったり座ったりを繰り返しながら、何かを言いた気に口を動かしていた。

「わわ私、あの」


「大丈夫。何もしないですよ」

「ごごご、ごめんなさい。よ、良くして、もらって。あの、ご飯……いただいて。汁物と、お肉、焼いたの……あと、甘くない、肉まんの皮みたいな」

「甘くない?」

「小麦っぽい穀物の粉……を練って、蒸したもの。でもね味が、ちょっと。知ってる感じと違って。もっとあま、甘みがあるの。その、私の世界では」

「ああ、なるほど。砂糖は貴重品なんですよ。普段の食事にはあまり多くは使われないんです」


 リンドは根気よく相手の話を聞いた。

 些かズレている感はあるが、話が全く通じない訳ではなさそうだ。緊張しているせいもあろうが、他人と話すのが苦手な性格なのかもしれない。


「甘味が欲しいのでしたら、水菓子をお願いしてみます。お金持ちの後ろ盾がおりますからね。多少強請っても問題ないでしょう」

「果物は、少し食べたい……かも。そっか、さ、さ、砂糖、あんまり流通して、ない? そのくらいの文明水準……なんだ。蜂蜜は? 塩とか胡椒は?」

「蜂蜜は砂糖同様、貴重品というか嗜好品ですね。塩は国の管理ですよ。胡椒は国内では産出しないので、輸入品でやはり貴重です」

「そっかぁ……あああ、そうだ。か、紙は、あるのかな。羊皮? パピルス? あと、書くもの。ペン、筆。まさか木簡竹簡……じゃ、ないよね?」

「ありますよ、紙」


 そう言うと、リンドは半開きの扉から中を窺う赤毛の騎士を振り返った。

「セイン様、何か書く物を持ってきていただいてもいいですか? 聖女、じゃない、こちらのお嬢様がご所望です」

「了解です」

 セインはすぐに対応してくれた。

 聖女候補の要請だからかもしれないが、庶民の小娘に過ぎぬリンドへの態度も丁寧だ。


「……お持ちしました、カスガ様。あー、その、自分も入ってよろしいですか?」

「どうですかね? カスガ……様、こちらはセイン様。王都の騎士様ですが、見ての通りというか一応、多分、怖い方じゃないですよ」

「ですよー……多分ってリンドちゃん酷いなぁ。でもカスガ様、無理にとは申しませんので、もし大丈夫だったらで結構ですよ。如何ですか?」

「え…え、あ、ハイ」


 セインは巧みに引いて相手の警戒心を解く。

 知ってはいたが、見掛けよりもずっとやり手である。気の弱そうな態度は意図的だろう。


(まあ、いきなりクロノ様やエド様みたいなキラキラしたお顔に近づかれるなんて、普通の女の子からしたら威圧感ヤバイもんね。セイン様で正解)


 許可を取ったセインが入室する。

 卓の上に求められた筆記用具――ごわごわした紙と、毛筆と墨汁が置かれた。

「ま、まさかのお習字道具」

 黒髪の娘は恐る恐るそれを手にした。

「服とか建物とか名前とか西洋風なのに……なんで? ところどころ、東洋」

「問題ありましたか?」

「い、え。過不足ない、です。ありがと、ございます」

「そんな、勿体ないお言葉です。それで、如何いたしましょう? こちらの文字はおわかりになりますか?」


 素直な礼に気を良くして、セインはにこにこと丁寧に対応する。接待相手が傲岸に振る舞わないのは、目下にとって幸運なことだ。リンドにも理解できるが、上位貴族にしては随分とあざとい性格のようだ。

(尤も為人なんか殆ど知らないし、偏見だけどね)

 リンドはこれまでの知識と経験から貴族に対する色眼鏡でセインを見ている。逆に、育ちが良さそうな異世界の娘は、疑うこともなく多少気を許した様子だった。


「こ、こちらの文字は、わかりませんが」


 紙の上を筆が滑る。

 黒い墨は角張った細かい形を描いた。




『後藤 春日』




「こ、こ、これ、私の名前です。こっち……左側が姓、家の名前でゴトウ、右側が個人の名前でカスガ、です」

「おお! 知ってますよ。これ『漢字』ですよね?」

 セインがぽんと掌を軽く拳で叩いた。

「そうです! 漢字! し、知ってるんですか?」

「ええ。昔、王妃様にちょっとだけ教わったことがあるんですよ。王妃様はもともと貴女の世界の方ですからね。少し筆をお借りしても?」

「あ、はい」


 カスガが筆を渡すと、セインは紙にゆっくりと文字を書いていった。母国語ではないため、さすがに苦心している。




『諫早 那美』




「イサハヤ……ナミ、さん?」

「そう、ナミ様。恐れ多くも王妃様のご尊名です。他にも習ったんですが、昔過ぎてもう憶えてなくて」

「セイン様、王妃様と懇意にされていたんですか?」

「や、懇意などとは」

 リンドが尋ねると、セインは大きく首を振った。

 王都騎士団に所属するくらいの身分であれば、面識があっても別に不思議ではない。ただ、セインの口調からは気安さが感じられた。

「王子……エディアラード殿下がご幼少のみぎり、遊び相手兼護衛を仰せつかっていたんです。ま、何人かいたうちのひとりに過ぎないんですが、お母君である王妃様にお声を掛けていただいたこともありました」

「なるほど。ルードルフ先生にも聞いてますけど、やっぱりセイン様もそういうご身分なんですねぇ」

「いやあ、自分なんかクロノ様やエド様に比べたら全然下っ端ですよ。リンドちゃんもほら、もっと気さくに、ね」


 貴族に対する偏見がカスガに伝染るのを厭ってだろうが、セインは軽口を叩く。わざとらしいと思いつつも、リンドは仕方なく協力を続けた。

「まあセイン様は兎も角、私はド庶民ですから。カスガ……様も気楽になさってください」

「あ、うん。リンド……ちゃん」

 コクコクと頷くと、春日は再びセインから筆を受け取った。そのままもう一枚、白紙の紙に字を書く。




『竜胆』




「これは……」

 戸惑うリンドに、カスガが不器用に笑い掛ける。

「リンド……ちゃん、漢字だと、こ、これがいいかなって。リンドウって、は、花の名前。紫の。青紫? あ、他の色もある、か、な」

「私の……名前」

「そ、そう。わわわ私の言葉、日本語……皆さんに通じるのに、なんで文字は駄目なの、です?」

「さあ……どうしてでしょう?」


 互いに首を傾げて、二人の少女は顔を見合わせる。疑問に答えたのはセインだった。

「僕の知っている話では、何代も異世界から聖女様が降臨し続けた結果、口語はニホンという国の言語に近づいていったとか」

「えええええっ、そ、そ、そんなことって、普通あり得るんですか? つ、つまり? 話す言葉を異世界語に変えたってこと……で、ですよ、ね?」

「はい、もともと文法とか発音とか、他にも言語的に近かったんでしょうね。初代の王の母君が出生国の言葉しか解さなかったので、人口が少ない当時からニホン語に近づけようとして今に至る……らしいです」

「ううう、嘘ぉ……」

 カスガは大仰に驚いてみせた。

 リンドもまた、初めて聞く歴史に戸惑いを隠せず、セインにさらなる説明を求めた。


「へえ……全然知りませんでした。でも文字までは真似なかったんですね」

「それはどうも難しかったようで。ニホン語は確か、漢字の他にもひらがな、カタカナという文字があったり……するんですよね、カスガ様」

「え、ええ、はい、ええ、そそそうです」

「オルフェン語も表音文字と表意文字と二種類ありますが、昔はもっと文字を書ける層も少なかったみたいだし。多分当時のオルフェン文字で、ニホン語に近い音を当てたんじゃないかなー」

「なるほどー。それに人名や家名、あと土地の名前などの固有名詞は違う印象ですけど、対外的な問題もあるのでそのまま残ったんですかね」

「そうじゃないかと。ただ僕は専門家じゃないから、これ以上はちょっと……」


 リンドは興味深くセインの話を聞いたが、カスガは頭を抱えていた。

「え、えええ? じゃあ皆さん、まさか、に、日本語を喋ってる、ん、ですか?」

 セインは何が問題かわからないと怪訝そうにする。

「はあ。我々にとってはオルフェン語ですが。でないと会話できませんよね」

「え、や、だって……ファ、ファンタジーでよくある自動翻訳ってヤツ、じゃなく、て?」

「翻訳……できるんですか?」


 何か自分の中にある常識が当てはまらず、カスガは混乱しているようだった。セインにはまるで通じていない。

「いいいいえ、できませんけど、い、異世界転移って、そういうもの、じゃ、ないの? い、意外過ぎる……」

「?」

「ああ、いえ、そ、その……こちらの、話です。漫画とか小説、創作? とかで、そ、そういう設定、よくあって」

「うーん……すみません、よくわからなくて」

「いいえ、いいえ。わわわ私がいけないん、で、す」

 申し訳なさそうにするセインに対して、カスガは何度も吃りながら逆に謝っていた。


(大丈夫かな、この()


 異世界人ということを度外視しても、カスガが世慣れしていないのは、少し話しただけで明らかだった。リンドでさえ判るのだから、海千山千、魑魅魍魎じみた権力者たちが跋扈する王宮でどんな扱いを受けるか心配になる。

 聖女と見做されれば王宮にがっちり囲われ、違ったなら保護される前に逆戻りでは、あまりに哀れだろう。

 彼女の待遇ないし処遇はクロノやエドの采配、或いは専門家であるルードルフの口添えに期待するしかないが、関わった者として後味が悪いのはご免被りたい。


(詐欺の片棒担がされているみたいで嫌だなー)


「あ、良かったら僕の漢字も教えてくださいよ」

「え? え……セイン、さん、ですよね。えっと、えっと、で、出てくる単語がなくて、ああ宛字みたいになっちゃうんです、が」


 釈然としない気分で、リンドは幾分か打ち解けてきたらしいカスガを見遣る。セインに懐柔されているのが良いのか悪いのか、リンドの立場では判断がつかなかった。


世界設定は適当です

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