10.群青の港町3
「セイン!」
「クロノ様っ! エド様も!」
「お前、何故こんなところに」
「追いかけたに決まっているじゃあないですか! お二人ともご無事で本当に良かったです……」
「そんな大袈裟な」
「いやいやいや! お二人を森に残しただけでも気が気じゃあなかったのに、まさか知らない間にルグレイまで移動されるなんて」
「セインはバッハマン伯爵家に助力を求めに行って不在だったろう? だからちゃんと立つ前に伝言を残したはずだ。なあ、エド」
「そうだな、馬を手配した際に」
「ええ、ええ、確かに重傷者が相当いましたから、ケムビの医師だけで対処が難しいと判断して近隣の領主の別邸まで行ってましたけど!」
セインと呼ばれた赤毛の男は、クロノやエドよりも歳上であっても大分弱い立場のようだった。平身低頭で阿っている体ではないが、主従関係がはっきりと態度に表れていた。
「へぇ、あいつも王宮騎士か。待てよ、見た顔だな。どっかの家の三男坊か四男坊だったか」
「あー……名家のご子息サマなんですね。ルードルフ先生、意外と顔が広い。本当に王宮勤めだったんですね」
「信じてなかったのかよ」
「だって想像できませんて」
ルードルフとひそひそ話しながら、リンドは横目でセインを観察する。
森にいた騎士のうち、襲撃時に無事だったひとりだ。負傷した仲間の救護のためクロノたちとは別行動をしていたが、ルグレイまで大急ぎで追い掛けてきたらしい。
ひょろっとした身体つきで、一見すると、騎士にしては頼りな気な印象である。また、目上であるクロノらの前とはいえ、貴族の子弟にしては随分と腰が低い。
尤もさすがに訓練された騎士だけあり、隙は少ないように思えた。実際、どうにか逃げ出そうとする少年をしっかり捕まえたままだ。
「おい、放せよこの野郎!!」
「戻って伝言を聞いたときには、本っ気で肝を冷やしましたよ。勘弁してください……お二人に何かあったら、僕の馘が飛ぶだけでは済まないんですから」
「無視すんなッ!!」
「……セイン、この子どもは憲兵にでも預けて、場所を変えようか?」
じたばたと騒がしい悪餓鬼が鬱陶しくなったのか、クロノは投げ遣りにに提案した。
「未遂だ。放してやってもいいのではないか?」
子どもに甘いエドが、貧しい生まれを憐れんで情けを掛けようとする。暴れていた少年は困惑した様子を見せた。
「何だよ、気色わりーな……」
「残念ながらエド、反省はしなさそうだな。やはり無罪放免とはいかないか」
「っ! ざけんな、待てよ!!」
クロノは年端もいかない子どもに対するにしては、どうにも意地の悪い笑みを浮かべた。相手を黙らせるためにわざとやっているのはわかるが、似た立場のリンドは多少は気の毒になる。
「そんな些事に手間を掛けてたら、時間が勿体ないんじゃないですか、クロノ様。これから人捜しするんですよね」
「……意外だな、リンド。君がそんな仕事熱心なことを言うなんて」
思わず口を挟むと、クロノは碧眼を瞬かせた。
「私だってさっさと終わらせて解放されたいんですよ」
「ええっとクロノ様、こちらのお嬢さんは……もしかして、あのとき森にいた?」
「? お前……」
セインと捕らわれの少年は、ここで初めてリンドを――騎士と行動を共にする貧乏臭い小娘の存在を認識したようだった。
「ああ、その後も色々あってね。協力してもらうことになった。リンドだ。そして隣の御仁が我々の目的だったこちらのルードルフ殿だ」
「えっ……この方がバッハマン家のルードルフ殿!?」
騎士団が訪ねようとしていた相手は、王宮にも出入りした高名な研究者である。ルードルフの容姿は一般的に想像するような学者然とは程遠い。セインが面喰らうのも無理はなかった。
「顔見知りじゃないんですか、ルードルフ先生」
「付き合いが面倒で目立たねぇようにしてたからな。もともと学者の顔なんざ、仕事で関わってもなけりゃ普通知らねぇだろ。騎士団の連中は逆で、若手の花形だ。王宮にいたら嫌でも目に付く」
「先生の方がよっぽど戦闘職っぽく見えますけど、本当に目立たず振る舞えてたんなら、ある意味尊敬します」
「あっ……いや、すみません。情けない話ですが、学問的なことは苦手でして……ルードルフ殿のご高名はうかがっていたものの、剣しか能がないため、当時は特にお会いする機会にも恵まれず」
ルードルフの言葉を皮肉と受け取ったのか、セインは慌てて取り繕った。
「このような場で恐縮ですが、お目にかかれて光栄です。今回はバッハマン家にもお世話になりまして」
「ああ、大変だったんだってな。ま、俺はそんな大したモンじゃねぇから、気にすんなよ。セイン殿」
遜るセインに対して、ルードルフは鷹揚に笑った。
「いえいえ、ご無礼を申し上げまして……」
ひとしきり頭を下げ終えると、セインはルードルフから傍らのリンドへと向き直った。
「お嬢さんにも、森では助けられました」
「え……いや、私は別に」
「よろしく、リンドちゃん」
身分の低い小娘相手でも、セインの態度は丁寧だった。一方で、スリ未遂の少年を拘束する手は微塵も緩めていない。表向きは優男に見えるが、エドのように子どもだからと手心を加える性格でもないのだろう。
(クロノ様みたいな腹黒を狙って失敗して、この食えなそうなセインってひとに捕まるなんて、運の悪い子だな……)
リンドは同情的な目で、未だ隙あらば逃れようとする悪餓鬼を見遣る。
ルグレイの港町はリンドの住んでいたケムビよりはいくらか豊かとはいえ、貧民層はそれなりにいるものだ。粗末な服装にも痩せこけた頬にも既視感しかない。
当然ながら、少年の方もリンドを同じように見ているはずだ。如何にも底辺で生きているような小娘は、貴族の伴には相応しくない。不審に思っているだろう。
不意に視線が合う。
と言うより、少年の方がリンドを凝視していた。
「……?」
「お前……ケムビから来た?」
「はい?」
「まさか……いや、でもやっぱ……もしかして、お前あの寝たきり爺ンとこの……」
今ひとつ確信が持てない、という口調で少年はリンドに問うた。唐突に尋ねられ、リンドはきょとんとして訊き返す。
「ええっと? 私のことをご存知で?」
「知り合いなのか、リンド?」
「さあ。私の記憶にはありませんが」
怪訝そうなクロノに、リンドは惚けるでもなく首を捻ってみせた。少なくともすぐに思いつくような知己ではない。
「ルグレイは初めてですし、知ってるひとなんかいませんよ。ていうか、言い方からして、そちらがケムビにいたってことですかね?」
「ケムビには以前……住んでた。ジャンだ」
ジャンと名乗った少年は、探る目でリンドを見た。しかしリンドはなおも頭を振る。
「うーん、まったく思い出せませんね。ろくに人付き合いとかしてなかったし。ごめんなさい」
「……ちっ、そーかよ……そーだな」
忘れられた事実に傷ついたのか、ジャン少年は口を結んで顔を背けた。リンドもさすがに申し訳ない気持ちになったが、知らないものは致し方ない。
「すみませんって。確かにケムビは辺鄙だから、街を出てルグレイに移るひとも少なくないんですよね。巧くすれば、船でもっと遠くにも行けるのは魅力的です」
「まあ……あの街は確かに、あまり栄えてはいなかったな。人口流出は当然か」
控えめ過ぎる物言いで、クロノはケムビの街を評した。一同すべて頷くところである。
(何年も前にこの子がケムビから出てったなら、私が憶えてなくても不思議じゃないよね)
そもそも人口の多い街ではなかった。ジャン少年が最近までケムビの住人で隣人だったなら、普通にリンドの脳裏にも引っ掛かっただろう。
「薄情だなあ、お嬢ちゃん」
呆れた声でルードルフが苦笑した。
「失礼ですね。そもそも知人だって証拠もないじゃないですか。この子が言っているだけで」
「いやしかし、これも縁というものではないですか? どうでしょう、クロノ様、彼にも協力してもらうというのは」
「セイン……?」
赤毛の騎士が名案を思い付いたとばかりに口を挟む。セインは優しげな顔立ちに似合わず、善良とは程遠い表情を浮かべていた。
「協力?」
「先程リンドちゃんも言ってましたけど……僕も概要は存じているつもりですが、人捜しをなさるんでしょう?」
目的語を濁しつつセインは続けた。
「なあ、少年? ジャン君でしたね」
「……んだよっ。馴れ馴れしくすんなっ」
「ははは、ごめん。でも大事なことです。さてさて、もしかしなくても君や……君の仲間たちはルグレイの地理には相当詳しいんじゃないかと思うんですが?」
「ああ? あんた、何言って」
「そう、それこそ憲兵や役人なんかが入り込めないような裏の裏まで知ってたりして?」
否定をさせぬ断定口調で、セインはずいとジャン少年に迫った。無論、捕えた腕を掴む力は微塵も緩めてはいない。
「これは悪くない取引なんですよ、少年」
「実はね、我々は君の安全と引き換えに――君たちの仲間の労力を売ってほしいんです」




