2.曖昧な記憶。
「うわ……ほんっと、おっきー……」
咲良が木を振り仰ぐように見る。
恭ちゃんが言ってた、大きな栗の木。
実際には栗の木なんかじゃなくって、プラタナスの木。
別名スズカケノキ。
「ねー。おっきいよねー。プラタナスって、ほっとくと
すぐにおっきくなるんだって。前に楓ちゃんが
そう言ってた。しかも公園にあるから伸び放題だよね?
剪定とかされるかもだけど、環境は抜群にいいはず」
私がそう言うと、咲良がその言葉に笑う。
「ホントそうだよね。
あ、でもね楓ちゃんはね、ホントは勉強嫌いなんだよ?」
言いながらふふふと笑う。
展望エリアには遊具がないので、あまり遊びに
来たことがなかったけれど、おおきな木が何本も
生えていて、隠れんぼには丁度いい。たまに来て
遊ぶ程度だったから、恭ちゃんじゃないけど、私の
記憶も曖昧。咲良もそうかな? 咲良は懐かしそうに
近くの木の幹に触れながら歩いている。
私はそれを少し小走りになって追う。
二人で木の周りをぐるりと回る。
なんでもない行動が、何だか嬉しい。
告白した返事はもらえてない。
でも、それでもいっかって思う。
九年前の話だけど、お守りの中のラブレター? も
見つけたし。
咲良は、私がそれを見たのを知っているのに、否定は
しなかった。
それにこうして今、私は咲良の後ろをついて行っている
けれど、来るな! とは言われない。嫌な顔ひとつせず
時々私を待っててくれる。
これって、嫌われてないって事だよね?
付き合う事が無理でも、私はやっぱり咲良の傍にいたい。
それがたとえ恋人同士じゃなくって、友だち同士でも
この際構わない。
一緒にいられたら、それでいい。
私が今みたいに、追いかければいいんだもん。
咲良の話は続いた。
「勉強、嫌いなはずなのに、何故か楓ちゃん、急に勉強
し始めて、『キョータロのとこ行くんだーっ』て
叫んでた。可笑しいよね? その時にはもう小学校の
五年生だったかな? わたし、絶対無理って思ってた。
ほら、城峰ってさ、すっごい人数募集するけど、県外
からも来るから、結構偏差値高いじゃん。
だから無理って、そう言ったの 」
「ぶふ。なに、それ? そんなこと言ったの?」
「そ。わたし、あの頃は嫌なヤツだった。
わたし、四人兄妹の末っ子で、いつも比べ
られてた。お兄ちゃん達みたいに頑張りなさいって
言うくせに、女の子だからお淑やかにしなさいって。
いつもどっちだよ! って思ってた」
咲良は顔をしかめる。
私は、──そんな事言われたことがない。
恭ちゃんみたいにしなさいって言うよりも、じゃあ
乃維はどうする? って聞いてくれた。
恭ちゃんは恭ちゃん。乃維は乃維。分けて考えて
くれたから、不満はあまりない。
どちらかと言うと恭ちゃんの方が、意識してたように
思う。
前から?
……ううん。そう、確かあの事故の日から。
──あ。いや、違うか。
事故のちょっと前。
そう言えば恭ちゃん、すごく泣いてた日があった。
あれってなんだっけ?
私は首を捻る。
思い出せない。
とにかく恭ちゃんは、前から『オレは乃維の兄ちゃん
なんだぞ!』って言ってた。家にいる時はそんな事
言わなかったのに、遊びに出ると途端威張ってた。
だから私も面白くって、つい相手してた。
ふたごだったから、兄とか妹とかあまり意識しては
いなかったけれど、憧れはあった。
『お兄ちゃん』って呼ぶと恭ちゃんが嬉しそうだったから
それだけで嬉しかった。
──だけど、それがおかしな方向にネジ曲がる。
顕著になったのは事故が起こる数日前。
そう、恭ちゃん泣いてた。
何でだっけ?
よく、思い出せない──。
──ズキッ。
「痛っ」
「! 乃維? どうしたの? ケガした?」
頭を押さえた私を見て、咲良が心配気に私の顔を覗く。
頭の痛みはすぐに引いた。
だけど胸の中のモヤモヤが残る。
なに──この気持ち。
ギュッと胸の服を掴む。
「大、丈夫。ちょっと、昔のこと思い出してた」
「昔のこと?」
「うん。……咲良、あの時悩んでたんだなって。
あんなに楽しそうだったのにって」
話をズラして、少し笑う。
あー、笑えてるかな?
だけど咲良は、ホッとしたように息を吐いた。
「ま。それなりにね。
みんなそうでしょ? 今思うとバカみたいな悩みなのに
あの時は必死なの。
必死でしがみつこうとするから、傷つけなくていい人
まで傷つけた。
わたしの場合は太郎ちゃん。
わたしが乃維のお兄ちゃんになるって、そう言った
から──」
そこで咲良は言葉を切った。
咲良はまだその言葉を後悔してる。
言わなきゃ良かったって。
言わなきゃ恭ちゃんは、事故にあわなかったって。
でも私は──私は記憶にない。
でも何か、別のことをしてる。
そんな気がした。




