8.お願い事。
「でさ……」
と、太郎ちゃんが呟いた。
わたしは顔をあげずに耳を傾ける。
「カッコイイからカワイイに変貌した咲良にお願い
があるんだけど」
「……」
なんなの。妙に改まっていて気持ちが悪い。
わたしは返事をせずに地面をつついた。
どうせこのまま帰れとか、そんな訳の分からない事を
言うに違いない。
太郎ちゃんは多分、ほとんど記憶を取り戻してる。
部分的?
太郎ちゃんはそう言ったけど、部分的なのは
思い出していない方であって、ほとんど思い出して
いるんじゃないかなって思う。
現に、わたしと太郎ちゃんが、そんなに仲良く
なかったって自ら言ってのけたもの。
それを思い出しただけで十分じゃない。
「……」
がわたしとの関係を漠然とでも、思い出して
いるのなら、わたしが乃維の傍にいるのは
太郎ちゃんにとって面白くないはず。そうなると
太郎ちゃんの言う『お願い事』の内容は自ずと察しが
つく。
はぁ……とわたしは小さく溜め息をつく。
またあの時みたいに、乃維に近づくな! とか
言うのかも。今度は確実に関係が崩れちゃうのかな?
事故のせいとかそんなんじゃなくって、人為的な事で。
それに今度は、あの時とは状況が違う。
同じ高校の同じクラス。
どこにいるのか分からなかったあの時とは違って、
乃維は目の前にいる。
それなのに話せなくなる?
そんなの耐えられるのかな?
そんな事を思った。
「あのさ、咲良。オレ、どうやらもう……
限界、みたいなんだ」
ガクッと太郎ちゃんの頭が下がる。
え、なに? どした?
想像とは違う状況を感じて、わたしは思わず
太郎ちゃんを見る。
太郎ちゃんは苦しげに呻きながら、頭を抱えていた。
「え……太郎ちゃん? 太郎ちゃん、どうしたの!?」
わたしは動揺する。
確かに太郎ちゃんはニガテだ。乃維との仲を引き裂く
存在。そう思っていたから。
今もそうかもしれない。
でも、物理的にいなくなって欲しいとか思ったわけじゃ
ない。太郎ちゃんだって、乃維にとって
かけがえのない存在であるのは確かだから。
だから嫉妬した。
羨ましいと思った。
わたしもそんな存在になりたいって思った。
立場を変わって欲しいとは思ったけれど、いなくなれ
って思ったことは一度もない。
そんな太郎ちゃんが今、とても苦しそうに呻いてる。
「太郎ちゃん、太郎ちゃん。
やだどうしよう」
見回してみてもいるのは子どもばかり。
もう! ここの大人はどうなってんの? ちゃんと
子どものこと見てなさいよ! だから太郎ちゃん
みたいな子が出るんだよ!
妙なとこで腹が立つ。
でも怒ったところで状況が良くなる訳でもない。
「太郎ちゃん待ってて、乃維を……乃維がいなかったら
誰かを呼んでくるから」
とここまで言って気づく。
そうだ。救急車、救急車を呼べばいい。
「……」
思ってスマホを取り出した。
取り出して考える。
電話番号は覚えてる一一九番。
いや、そんな事じゃない。わたし、救急車なんて
呼んだことない。
この状況って、ホントに呼ぶべきなのかな?
そう躊躇した時、スマホの上に細い手が伸びて
きた。
うわ。色、白すぎ。
と言うか、顔色が悪い。白いって言うか、土色って表現
するのかもしれない。
わたしは不安になる。
「いい。
誰も呼ばなくていい。
……ちょっとした、貧血。
横になれば治るから──」
言って太郎ちゃんは、何の躊躇もなく木の傍の
クローバーに身を沈めた。
「はぁ。気持ちいい。
クローバーってさ、冷たくて柔らかくって、オレ
好きなんだよね」
いや、そんなのどうでもいい。
「太郎ちゃん、そんな事行ってる場合じゃ──」
「こんなのしょっちゅうだから、大丈夫」
しょっちゅう!?
いや、ダメでしょ!
「しょっちゅうって……病院は?」
「病院? 行ったよ。
心的外傷後ストレス障害だって」
は?
心的外傷──って? あぁ、つまりトラウマね。
トラウマ。
わたしは納得する。
「」
納得して頭を振る。
いやいやいや、記憶ほぼ戻ってても、ストレス抱えて
いるって事ですよね? という事は、わたしも
近づかない方がいいって事だよね?
そう言うと太郎ちゃんは慌てたように頭を上げる
「ちょ、なんでそうなるの。
咲良意外と自虐的なの?」
言ってイテテテテ……と頭を抱えた。
何でって。わたしがその心的外傷の原因でしょうが。
だけど太郎ちゃんは頭を振る。
「違う。オレのストレスは──」
言って太郎ちゃんは、あーもう! と唸りながら再び
クローバーに寝そべった。
「オレね、いい加減コレ克服したいの」
その言葉にドキリとする。
それって過去を完全に思い出すことで、わたしを
排除するってことと同意語だと思う。
わたしは後ずさる。
──いや、出来なかった。何故ってこの場から逃げ
ようとするわたしの袖を、太郎ちゃんが引っ張って
いるから。
青白い顔して倒れてるくせに、指なんてわたしより
細いくせに、力だけは異様に強い。
「なに。離して──」
「お願い!」
「」
「お願い聞いてくれる約束だった。
お前にしか出来ない。だから、お願い聞いて」
太郎ちゃんは剥がれない。
わたしは仕方なく、太郎ちゃんの話を黙って聞いた。




