8.帰宅。
家に帰ってきてからポツポツと雨が降り始めた。
夜になって雷を伴い激しく降り始めたその雨は、
なかなか止みそうにない。
せっかく明日も咲良と約束してたのに、これじゃ
行けそうもない。
これは断りのメールでも打たなくちゃいけないかな。
私はガッカリして口を開く。
「恭ちゃん、この天気じゃ、明日は探せそうにないよ」
ポツリと言うと、恭ちゃんは笑った。
その笑いに私は少し、ムッとする。
「ちょ、なんで笑うの」
聞くと恭ちゃんは更に笑い転げる。
何その態度。ムカつくんですけど。
私が睨むと、恭ちゃんはごめんごめんと謝った。
「だけど乃維? 嫌ならもういいんだぞ?
最初、面倒くさがってただろ? 良かったじゃん。
雨で行けないならさ」
恭ちゃんは、自分の目の端に浮かんだ涙を指で
掬い取りながら、私にそう言った。
──嫌なら、もういい。
その言葉に私はそっぽを向く。
確かにそうだ。面倒くさいって思ってた。
でも、今は違う。
宝探し……と言うか、咲良と一緒に何かをする事に
興味を持ち始めた。今更やめたくない。
「嫌……じゃない」
だけど素直に認めるのもなんだか癪で、私はうつむいて
その言葉を絞り出す。
「ん? 今、なんてった?」
「……」
聞こえてたクセに。
私は唇を突き出す。
分かってるよ。これは恭ちゃんの戦略だ。
私はまんまと、その罠に引っかかった。
私から宝探しを申し出るように、咲良をエサに使った
んだ。
でも、恭ちゃんの思惑がどこにあるのかは分からない。
私と咲良が仲良くなる為なのか、それとも純粋に
自分の隠した宝物を見つけたいだけなのか。
でも最初面倒くさいって思っていた宝探しだけど
今は嫌じゃない。むしろ楽しかった。
久しぶりに咲良と遊んだ。
宝探しは出来なかったけれど、楽しかった。
やっぱり、好きだ──と思う。咲良が。
小さい頃は、男の子だと勘違いして、再開した時は
驚きもしたけれど、でもすぐに受け入れられた。
女の子の格好をした咲良は、とても可愛くて綺麗で
それからスタイルだって良くって、私よりもずっと
ずっと女の子やってて、ズルいって思った。
羨ましくて咲良みたいになりたくて、でも多分
私が真似したって、到底咲良みたいになれはしない。
で……なんとなく距離を置いた。
──ショック?
……そう。ショックだった。
だってあの頃と全然違うんだもん。
私の知らない、咲良。九年って歳月は人をここまで
変えてしまうんだって思って、恐ろしかった。
──不安。
漠然とした不安。
咲良を見ていると、何故なのか不安になる。
何でそう思うんだろ? 何が不安なんだろ?
咲良が泣くから? 倒れたから?
違う。
あの時の感情は、『不安』じゃない。むしろ──
「……」
私は、咲良が廊下で泣いていた時の事を、
思い返してみる。
あの時の感情ってなんだ?
少しムッとした気分。それからちょっとホッとした?
何故、ムッとしたのか。
何故、ホッとしたのか。
理由はよく分からない。分からないけれど、
あの時の感情はなんだか変だった。
そう。『モヤモヤ』って言うのがしっくり来る
ような、そんな感じ?
咲良が倒れた時だってそう。
もちろん心配はしたけれど、心の中でどこか
ホッとする自分がいた。
何で?
あ。
──そっか。
咲良に手を差し伸べられるのが、
私しかいないって確信したから──。
「──」
その事に気づいて、息を呑む。
ゾワッと嫌悪感が増した。
咲良に対してじゃない。
自分に対して。
嫌な奴。
私って、嫌なヤツだ。
咲良は必死だったのに。
悲しくて辛くて、泣きもしたし倒れもした。
それなのに、私は密かに喜んでた。
憎んでた?
可愛いから。
綺麗に変身してたから?
ううん。違う。そんなんじゃない。
私だけだよって。
傍にいるのは、私だけなんだよって言いたかった。
だから、私を見てって──!
「乃維──?」
強くなる雨音に負けまいとするかのように、
恭ちゃんの声が響く。その声に、私はハッとした。
慌てて恭ちゃんを見る。
途端、私の目から、何かが零れ落ちた。
──え、なに?
「乃維? なんで泣いて──」
「」
その言葉で、初めて自分が泣いてることに気づいた。
「あ。私……」
泣いてる──?
自覚すると止まらない。
後から後から涙が出た。
声は出ない。
何故だか涙だけが溢れてくる。
声をあげなくっても、涙って出るんだ。
そんな事をぼんやりと思う。
傍でワタワタしている恭ちゃんが、面白い。
いい気味。いつも私をイジめるからだよ?
私は笑う。
泣きながら笑う。
そしたら恭ちゃん、冷静さを取り戻す。
ホッとしたみたいな、困ったような笑顔。
なんだ。つまんない。
もっと心配してくれたらいいのに。
でも心配してくれるのが咲良だったのなら、
もっと嬉しいのに。
──少しずつ気づき始めたこの気持ち。
だけど気づいたからには、この『想い』が
止まらない──
「え、なに? 何笑ってんの? 泣いてるの? 笑って
るの? どっちなの?」
困ったように笑いながら、恭ちゃんは箱ティッシュを
見つけ出し、バババッと数枚のティッシュを引っこ
抜く。それからくしゃくしゃになったそれを、私に
渡した。
私はそれをふわふわって受け取って、それから
自分の涙を拭く。
多すぎるそのティッシュが、恭ちゃんの優しさの
カタチなんだと、妙に納得する。
「恭ちゃん」
「ん?」
「私ってね、嫌な奴なの」
「……」
「咲良にね、嫌なことしてた」
告白をする私を、恭ちゃんは黙って私を見る。
私は続けた。
「咲良がね、中学校の友だちと離れ離れになった時
正直、良かったって思ったの」
「」
「傍にいるのは私だよって。だから離れていく
友だちなんて忘れちゃえって、そう心の奥底で
思ってた」
恭ちゃんは静かに話を聞いた。
それが少し有難い。否定されたら自分が保てない。
私は震えるように息を吸って、先を続ける。
「私ね、変なの。咲良のこと、独り占めしたいって
思ってる……」
言って後悔する。
あぁ、これは言っちゃダメなやつかな?
変なヤツって思われるかな?
だけど事実だ。
誰かに言ってしまいたい。
そして、楽になりたい。
だって苦しいんだもん。
私は目をつぶる。
ポロポロと涙が溢れた。
感情も溢れてくる。
こんなにも私、我慢してたのかな?
「ひっく、……っ、だ……だから私っ、良かっ……たって」
これって明らかに変だよね?
ホント嫌な奴。
好きって言う想いを言うのは変な事じゃないって
思うけれど、でも歪んだ『好き』は変だと思う。
『好き』には色々あって、家族が好きとか友だちが好き
とか、好きな食べ物とか、好きな風景とか色々ある。
だけどこの感情は、そんな『好き』とは違う。
だって、独り占めしたいんだもん。普通じゃない。
度を越した『好き』は『変』だと思う。
みんなが眉をひそめるヤツだ。
だから言えない。
誰にも言えない。
もちろん、本人になんて、とてもじゃないけど言える
わけがない。
度を越した『変』な『好き』。そうじゃないって
本当は私だってそう思いたい。
でもこの想いが、単なる『好き』なのか『変』なのか
区別がつかない。だって必死だもん。
その好きなものの傍で、生きていたいから。
でも多分、私のは、明らかに
変──
「乃維? なんで泣くんだ? 乃維……」
泣きじゃくる私の背中を、恭ちゃんは優しく撫でて
くれる。
「ごめん、忘れて──」
「──良かった」
「……え?」
私は自分の耳を疑う。
「良かった。乃維が咲良を好きでいてくれて」
「」
そうだった。
恭ちゃんは基本、天然だ。
『好き』は純粋に『好き』で、『変』な『好き』は
多分恭ちゃんの中には存在しない。
知ってた。
だから私は言ったのかもしれない。
咲良が好きって。
恭ちゃんなら分かってくれるって。
だから言った。
誰かに認めて貰いたくって。
「いや、だからね、恭ちゃん。そうじゃなくて──」
でも、今は違う──。
本当に私のことを理解して欲しくて認めて欲しくて
私は必死になる。
けれど説明しようとして、言葉を濁る。
どう言えばいい?
自分の腹黒さを、変だって事を、あえて説明するの?
それってかなりハードルが高い。
自分のことはつい守りたくなる。だからどこかで
綺麗な言い訳が出てしまう。
うぐっと言葉に詰まった私を見て、恭ちゃんは
無邪気にも微笑む。
そして言ったの。
──「オレも、咲良が大好きだよ」
って。
──ぴかっ。
バリバリバリ──ッ!!
ものすごい音を立てて、雷が近くに落ちた。
雷鳴の光に照らされた恭ちゃんのその笑顔が、悪魔の
微笑みに見えた。




