5.邪気のない瞳。
放課後、わたしは一人図書館に来て、あの日のこと
について考えた。
──あの日の事。
あの日何が起こったのか、正確に話せる人間は誰ひとり
としていない。
当の太郎ちゃんは記憶が無い。
昼間『記憶を戻す会』なるものを楓ちゃんが発足した
けれど、でもそれはカタチだけだ。結局なにも思い
出さなかった。そもそも太郎ちゃん自身に、過去の
記憶なんて興味がないみたいだった。
そうだよね。嫌な記憶だろうし。
だから忘れたんだろうし。
今更思い出したとして、何になるんだろ?
楓ちゃんは、わたしと太郎ちゃんのわだかまりを取る
みたいな事言っていたけれど、わだかまりがあるのは
むしろわたしの方で、太郎ちゃんは昔のことを覚えて
いない分、今はわたしに対して、とても好感触。
申し訳ないくらいに。
「……」
楓ちゃんが開いたあの会で分かったのは、わたし
だけが、未だにあの事故のことを引きずっていて、加害
妄想に取り憑かれているって事だけ。でも謝らなくちゃ
いけない。このまま放っておいていいはずもなくて、
わたしはあの時の事を、勇気を振り絞って言った。
……そりゃね、やっぱり怖い。
きっとみんな怒るに違いない。
きっとみんな、わたしを非難するに決まってる。
そう、思った。
だけど──このままではいたくない。
『何言ってんの? 結局、交通事故じゃないしね。
車にすらぶつかってないし。
例え、オレが車にぶつかってたとしても、子どもの
咲良に何かが出来た……なんて思えないんだけど?』
太郎ちゃんは言った。
『ううん。わたし、ひどいこと言って傷つけた』
『ひどいこと?』
本題が来た。
わたしはごくりと唾を飲む。
このままではいられない。ちゃんと言わなくちゃ。
見ると楓ちゃんが真面目な顔で頷いた。
わたしは大きく息を吸って、太郎ちゃんを見る。
『……きょ、恭太郎はお兄ちゃんに相応しくない!
咲が乃維のお兄ちゃんになる!
──ってそんな事言った、の。わたし……』
また傷つけると思った。
語尾が小さくなる。太郎ちゃんの目が見開かれて、
わたしはドキッとする。
怖かった。
あの時の状況が甦る。
色々あった。
忙しくてイライラしていたわたし。
大好きだった乃維。
そんな乃維と無邪気に笑う太郎ちゃん。
何も知らない楓ちゃん。
いつも自信満々だった太郎ちゃんは、わたしにそんな
ことを言われて、ひどく傷ついた顔をした。
子ども心にも、これは言っちゃいけないヤツだった
って、言った後に後悔した。でも、謝れなかった。
フォローだってしてない。
だって羨ましかったんだもん。
太郎ちゃんが。
だから心の中で『いい気味』って思った──だから。
謝りたくなかった。
わたしがそう告白した途端、乃維と太郎ちゃんが
ブハッと笑う。
わたしはハッとする。
顔を上げた。
みんなの反応が気になった。
わたしって、そんなにおかしな事を言ったっけ?
『やだ何それ。可愛いんだけど。いやいやいや、咲良?
そんなんで傷つけた事にはならないよ?
きっと当時の恭ちゃんだって、どぞどぞって言ってたと
思うし』
『だな。それにさ、そもそも咲良は女の子だから、
お兄ちゃんにはなれないし。むしろそこ、突っ込む
とこだろ?』
『……』
あの日の出来事を知らない二人は、きゃらきゃらと
笑う。
楓ちゃんだけが困ったように眉間に皺を寄せて、
わたしを睨んだ。
分かってる。分かってるって。
わたしがした事は、そんな可愛いものじゃない。
太郎ちゃんはただ、気づいてないだけ。自分が
どれだけ乃維に執着してるか──なんて。
あの時はホント色々あった。
小学入学前なんて、今思えば本当にちっちゃな子ども
なんだけど、子どもは子どもなりに考えて、ちゃんと
悩みもあった。
あの頃のわたしは、友だち関係とか恋愛とか、習い事
とかで気忙しくて、精神状態は普通じゃなかった。
やらなくちゃいけない事はいっぱいあって、
プレッシャーだってあって、その上妙な嫉妬まで
してた。
太郎ちゃんにあんな事言ったのだって、面白半分で
言ったんじゃない。それなりの背景がちゃんとある。
わたしは真剣に言ったし、太郎ちゃんだってそれを
真剣に受け止めた。
今みたいな適当さなんてなかった。
だけど二人はその事を覚えてないし、知らない。
だから笑って済ませられるんだと、そう思った。




