1.溢れ出る涙。
「でさ、いったい何を考えてるの? 咲良」
二人きりになった教室で、机に置かれた例のノートを
撫でながら、楓真はわたしに尋ねてくる。
わたしは軽く下唇を噛む。
「楓真には関係ない」
ムスッとしながら言うと、楓真は軽く笑った。
「あれ? いいの? そんなぞんざいな言葉使って。
『楓ちゃん』って言ってくれないと、乃維ちゃんどっかで
聞いてるかもだよ?」
ニヤッと笑う楓真が憎たらしい。
「……まさか同じクラスになるとか、思ってなかった」
「ふふ。キョータロと? それとも乃維ちゃんと?」
言いながら楓真はいたずらっぽく笑う。
「まさか、ね? そんなわけない。
俺と、同じクラスになるって思ってなかったんだろ?
あの俺が城峰の特進クラスとか有り得ないってさ。
俺だって必死なんだよ? しがみつくのに」
なににしがみつくの? なんて聞かない。しがみつく
対象は分かりきってる。
わたしは口を開く。
「楓真──きもちわるい」
「それ、お前だけには言われたくない。その言葉そっくり
そのまま返してやるよ。
それともまさかの宗旨替え? 確か『太郎ちゃん』
だっけか? あんなに嫌ってたのに、ここにきて
あんな呼び方すんの? 乃維に言われたから?
まさかお前、キョータロ狙ってるんじゃないだろな。
あぁ……それとも、別の意味で狙ってるの?
そんなの、俺が許すとか思ったの?」
楓真の顔が途端厳しくなる。
わたしのこめかみがそれに反応して、ピクリ……と
不快感を示す。
相変わらず楓真の言葉には、棘がある。
ホント嫌味なやつ。
「そんなんじゃ、ない……」
唸るようにわたしは言う。
宗旨替え?
キョータロを狙ってる?
そんなの、冗談にもならない。
楓真だって分かってるでしょ? わたしの想いは
小さい頃からずっと変わらない。
ずっとずっと想い続けて、やっとここに来たん
だから……!
楓真は、そんなわたしを静かに見る。
「あぁそっか、確か親友と受験した──んだっけ?
目的なんてあるわけないよな?
その友だちがここ城峰に来たかったんだろ? お前
じゃなくて、その友だちが」
やけに『友だち』を強調する。そんな楓真のやり方に、
わたしの不快感は更に募る。
「……っ」
「あぁそれとも、やっぱりそのお友だちは隠れ蓑?
お前もよくやるよね?
普通に素直に言えないの?わたしは乃維ちゃんが
好──」「──やめて!」
思わず声を荒らげた。
それ以上言われるのには耐えられない。
嫌味半分、からかい半分で、わたしがずっと想い続けて
きたこの気持ちを茶化すなんて、そんなの許さない。
黙れ黙れ黙れ、それ以上絶対なにも言わさない……っ!
だけど、睨むつもりで見上げたその目から、ポロポロと
涙が零れた。
──「あ」
誰が言った『あ』なのか分からない。
わたし自身、自分が出したその涙に戸惑った。泣くとか
思ってなかったし、泣きたいとも思ってなかった。
だから目の前の楓真だって、わたしが泣くなんて、
これっぽっちも思っていなかったと思う。
楓真との付き合いは長いけれど、鬼みたいなわたしが
涙を流すとこなんて、楓真は一度も見たことがない。
見せたこともない。
驚いて当然だ。
わたしだって驚いたから。
わたしが泣くとか、有り得ない。
そう──有り得ない。
だってずっと、そうならないように頑張ってきたから。
「……」
必死になってその涙を隠そうと手のひらで拭った。
だけど涙は、後から後から溢れてきて止まって
くれそうにない。わたしは手の指の間から、楓真の
様子をそっと覗き見る。目を見張る楓真の顔が見えた。
変な顔。
柄にもなく困ってる。
……そう──だよね。
可笑しいよね?
うん。笑いたければ笑えばいいよ。
自分だって、この気持ちが何なのか分からない。
言葉にしてしまったら、何もかもが壊れてしまうような
そんな想い。
だから言えない。
言う訳にはいかない。
ずっと言えなかった。
言えばきっと壊れてしまう。
でも、壊したくない。
そんな──『想い』。
もちろん、勘違いだって思おうともした。
気のせいだって。
離れ離れになって、音信が途絶えたら、きっと忘れ
られるって。
だから苦しくないよって。
自分に、言い聞かせて……。
だけど、そうはならなかった。
逢えないって分かると胸が締め付けられた。
逢いたくてどうしようもなくて、叫びたくって
泣きたくって、でも、あの時子どもだったわたしに何が
出来るっていうの?
どうしたらいいのか分からなくて、結局ここに来た。
来てしまった──。
「咲良──」
柄にもなく、気遣わしげな言葉を掛けてくる楓真が
憎い。
その声に、自分が情けなくなる。
自分は同情される側なんだ。……そう実感した。
笑われる事すらなくて、ただ同情されるだけの存在。
それが許せない。
そんな声を出す楓真が憎い。
らしくないじゃん。そんな楓真は見たくない。
だけど、
自分がもっと憎い──。
「……」
R6.5.12書き直ししてます。半分に分けました。




