7.咲良の悩み。
「咲良、それいい!」
私は声を張り上げる。
展開の速さについていけてない恭ちゃんは、目を
丸くして、立ち上がった私を見た。咲良もキョトンと
している。
ふふ。恭ちゃん。覚悟はいいかしら?
不敵な笑いを見せると、恭ちゃんの血の気がサッと
引く。
あ。何か感じ取った。
慌てて私を静止しようと動き出す恭ちゃんを押し
のけて、私は先を続ける。
「『太郎ちゃん』!
今日から咲良は、恭ちゃんの事を太郎ちゃんって呼ぶ
ことになりましたー! パチパチパチパチパチ……」
「『パチパチ』じゃねぇよ。勝手に決めんな!」
「えー、だって可愛いじゃん。
私が『恭ちゃん』。咲良が『太郎ちゃん』。
合わせて『恭太郎ちゃん』!」
あまりの事に恭ちゃんは不意をつかれ、げほんげほん
と咳をした。
ふふん。いい気味。
でも、恭太郎ちゃんはともかくとして、『太郎ちゃん』
は可愛い。それを咲良が言うとか、ウハウハもので
しょうが。感謝してよね。
「よっ! おは〜。みんな今日はいつになく元気そう
だね」
「楓真ぁ」
「あれ? キョータロだけゾンビみたい。
どした? 何があった?
乃維ちゃんにまたデザート取られたの」
「え、ちょひどい! 楓ちゃん、私そんなことしてない
からね?」
「え? だって聞いたよ、入学式の日のイチゴ
ヨーグルト事件」
事件になってたのか。
いや、あの時は勿体なかったから食べたわけで、
いつもは取らないのに。
ムスッとしてると、楓ちゃんは咲良がいることに
気づいて、あっと声を上げる。
「咲良、やっと話せたの?
言ったろ? ただ単に忘れてるだけだって。
あの時俺たち子どもだったけど、成長してんだよ?
分からなくて当たり前なの。
それにアレだよね、男よりも女の子って変わるよね。
俺、中学の時に乃維ちゃん見て驚いたもん。すっごく
綺麗になってたから」
やだ楓ちゃん。そんな風に思ってたの?
照れ隠しにそんな事ないよ〜なんて言おうと思って、
口を開いたんだけど、私が声を発する前に
恭ちゃんが私の言葉を奪う。
「またまた。お世辞もそこまで来ると犯罪だかんな?
綺麗? 凶暴になってたの間違いだろ」
「ちょ、恭ちゃん! それどーゆー意味!?」
「いやいや、どーもこーも、そのまんま」
「ひどーい」
「あはは。
でもあれだよ? ホント気にしなくて良かったん
だからね? だってこいつ、俺すら忘れてたんだぞ。
……ほら、小学校に上がる前、こいつ公園から帰る
途中で事故に遭ったの。咲良、覚えてる?」
楓ちゃんの言葉に、咲良は青くなる。
覚えていないわけがない。あの時はかなり大騒ぎに
なった。
それと同時に私たちは離れ離れ。
理由を説明する暇もなかった。
私たちは私たちでいっぱいいっぱいだったから。
でも──今なら思う。
一言説明しに行くべきだったって。
でも、気がついた時には遅かった。
私たちは小学生になっていたし、公園に行っても
咲良には逢えなかったから。
せめて、楓ちゃんに伝言頼めば良かった。学校、一緒
だって知ってたのに。でも、そこまで頭が回らな
かった。
「……」
「その時の事故のせいで、ぜーんぶパア! 綺麗さっぱり
自分の家族すら忘れてんだから」
おどけて楓ちゃんは、そう言った。
ま、家族の事と楓ちゃんの事は忘れていなかったけど
でもそこは言えないよね。咲良と公園と、それから
あの事故の事だけ忘れてるって。
まるで咲良の事、責めるみたいになっちゃうから。
案の定恭ちゃんも、楓ちゃんの言葉を否定しなかった。
「仕方ないだろ。思い出したくても、思い出せな
かったんだから……」
唸る恭ちゃんの頭を、楓ちゃんはポンポンと叩く。
「はいはい。今度は、もう忘れちゃダメだからね~」
言って、楓ちゃんは恭ちゃんの頭を両手で挟んで
咲良の方を向かせる。
ぽっぺが潰されて、なんか可愛い。
「はい。こちら『咲良』。……はい、言ってみて」
「…………咲良」
「ぶっ。『ひゃくら』だって! ひゃくら。
キョータロ、ウケる〜」
「『ウケる〜』じゃない! 楓真が手伝わなくても、
オレだってちゃんと思い出せてたし。
…………全部じゃ、ないけど」
言葉は尻つぼみだ。
「あ、そうなんだ?」
楓ちゃんが私を見る。
私は頷いた。
「うん。細かいところはまだ。
でも咲良は覚えてるって。男の子だって思ってたって」
私は苦笑いしながら咲良を見る。
有り得ないよね、こんな可愛い子前にして、男の子だと
思ってたーなんて。咲良、傷ついないよね?
様子をうかがうように咲良を見る。咲良は笑うどころか
真っ青な顔をしていた。
──咲良?
なんだか様子が変だ。
普通だったら膨れながら怒るとか、困った顔して苦笑
するとか、あの頃の話をするとかだろうけど、咲良の
その表情は強ばっていて、なにか別のことを気にして
いるような、そんな感じだった。
私は焦って楓ちゃんを見る。
楓ちゃんは困った顔をして、肩を上げる。
「あー、まぁしょうがないよね? 咲良とキョータロ
ってさ、どっちかって言うとライバルみたいな感じ
だったし? キョータロがあの時の事を全部思い
出したら、咲良にとって都合が悪いこともあるかも
だし、ね」
楓ちゃんのその言葉に、咲良の肩が微かに跳ねる。
都合の悪いこと──?
「なんだ、それ?」
恭ちゃんが聞いた。
楓ちゃんはハッとして、恭ちゃんを見る。
「あー、えっと。……俺に分かるわけないだろ?
それは咲良とキョータロだけの、ひ・み・つ
なんだから」
なんだよそれ……と恭ちゃんが言うと、楓ちゃんが
きゃー! キョーちゃんのエッチぃーと訳の
分からない事を言いながら逃げる。それを
恭ちゃんが追い掛けた。相変わらずのバカっぷり。
二人のおバカは不滅だよね。
そう思って、私は笑って二人を見送ったけれど
咲良は笑わなかった。
笑わずに、少し泣きそうな顔をしていた。
私はそれがとても気にはなったけれど、でもそっとして
おくことに決めた。
どう言葉を掛けたらいいのか分からなかったし、
どことなく触れない方がいいのかもって、そう
感じたから。




