6.過度な保護本能?
翌日、私が学校に着くと、咲良は既に登校していた。
……相変わらず、早いなぁ。
入学式の時もだけど、何故だか咲良は朝が早い。
部活でもしてるのかな?
一応私も、中学からやっていた吹奏楽をしよっかなって
思いはしてるんだけど、未だに音楽室には行って
いない。
せっかく高校に入ったんだから、高校にしかない部活
ってのもいいかなーなんて思ってて、他の部活を見て
回ってる。可笑しいよね。この前恭ちゃんに吹奏楽部に
入んないかって勧誘したのに。
本当はね、ここ城峰を出て、別の高校もいいかな
って、思いもしたの。
動物が好きで、乗馬に興味があったから、外部受験も
視野に入れていたんだけど、部活のために高校決める
のもどうかなって思って、結局やめたんだよね。つまり
いくじがなかったの。
そりゃね、中学からやってる部活の強豪校とかなら
分かるけど、やったことも無い部活の為に高校決める
なんて、やっぱり違うかなって。そんなんで高校
決めたら、後々絶対後悔するような気がして、だから
受験は諦めた。
それに、恭ちゃん心配だし。
何をしでかすか、危なっかしくて目が離せない。
乗馬をしたいだけならどこだって出来る。なにも高校
じゃなきゃダメってこともない。だけど恭ちゃんは
ここにしかいない。恭ちゃんは一人きりだから。
だから城峰。
そのまま居座ることに決めた。
後悔はしてない。
だって咲良に逢えたもの。
もしも違う学校に行ってたら、咲良とはずっと接点が
ないまま大人になったかもしれない。
恭ちゃんの記憶は元に戻らないままで、ずっと子どもの
頃の事を引きずって、ふとした時に思い出すの。あぁ、
あの子は今、どうしてるのかなって。
それは何だか、つまらない。
だから良かった。
城峰で。
チャンスを貰えた。そう感じた。
私は微笑みながら手を振った。
「おはよう! 咲良。あれから調子はどう?」
「あ、乃維ちゃん。おはよう。
あー……昨日はごめんね。まさか、倒れるとは思わな
かったから、自分でも焦っちゃったよ」
咲良はテヘヘと笑う。
「もう、すっかりいいの。
今日なんて、味噌汁と卵かけご飯と、トースト二枚にフ
ルーツヨーグルトとリンゴを食べて来たのよ」
「ぶふ……っ! それ、食べ過ぎ。何それ、ごはん
食べてるのにパンも食べたの? それって何枚切り?」
「五枚だよー。うちは厚めのやつが好きなの。食べ応え
あるでしょ?」
「あるけどそれ、太るやつだよ?
……まさか、何か塗った?」
「うん。あんバタトースト」
「うわっ、ダメなやつだ」
「何言ってるの! あんこはね、食物繊維たっぷり
なんだよ? 美容と健康の申し子なんだよぉー」
「はいはい。分かりました分かりました。
そんなに食べてて、そんなに細い咲良は、謎生物って
事が」
「ひどいなぁ。
でもまあ、太りはしないかな。食べるの好きだから
太って当たり前なんだけどねー」
「出ました。咲良の訳の分からない自信。知らないよー
これからブクブク太るから」
「……やっぱり? ちょっと気になっているんだけどね」
言って咲良は自分のお腹をムニムニとつねりだす。
「ぷ。ちょ、お腹見える。しまいなさい」
「はぁい」
何気ない会話が心地いい。
ほんと良かった。城峰で──
「──ぶっ……」
どこかで変な音がした。
「「『ぶ』?」」
これはアレだ。誰かが吹き出した音だ。
私と咲良は音のした方へと目をやる。
音の発生源なんて、分かりきっている。だって今は、
かなり早めの時間。教室にはまだ、ほとんど人が
いない。
いるのは私と咲良と、それから──
見ると恭ちゃんがわざとらしく咳き込んで、下を向く
ところだった。
ほらね。……さては聞いてたな、さっきの話。
なにも聞いてませんみたいな素振りを一生懸命
してるけど、遅いから。もうバレバレだから。
「──あ」
恭ちゃんを睨んでいたら、咲良が微かに声を上げた。
「……」
待て待て、もしかしなくても、これはチャンスかも
しれない。
確かに恭ちゃんは咲良を無視してた。
いや別にね、無視してたって言うか、恭ちゃんは
咲良のことを覚えていなくって、無視したみたいに
なってはいたけれど、恭ちゃん自身に悪意は
ひとかけらも無い。
でも、はたから見たらそれは、立派な無視であって
咲良はその事に、傷ついていたかもしれない。
ううん。百歩譲って、そうじゃなかったとしても
子どもの頃にあったあの事件のせいで、恭ちゃん
相手に一歩引いてたのは確かだ、
誰にも何も言えずに自分だけで悩んで心押し殺して
きっと咲良は、辛かったと思う。
でもこの状況。
状況を説明する、絶好のタイミングなんじゃ
ないのかな? 恭ちゃん、咲良の事分からなかった
んだよ? バカだねーみたいな。ちょっとおどけた
感じで、二人の間を取り持ってやればいいんだ……!
恭ちゃんが咲良の事を忘れているのなら話は別だけど
今は違う。おぼろげかもしれないけれど、恭ちゃんは
咲良の事思い出した訳だし、今なら挽回する事が
できる!
私はそう思って、すかさず咲良に声を掛けた。
「ねぇ咲良、覚えてる? 私のふたごの兄の──」
そこまで言うと、咲良は頷いた。
「ん。覚えている。恭……水野くんでしょ?
ふふ。やっぱり今でも乃維ちゃんに似てる。
えっと……水野くんは、私のこと……覚えている?」
恐る恐る咲良は恭ちゃんを見上げた。
──らしくない。
思わずそんな言葉が頭をよぎる。
人の成長って恐ろしい。
咲良はどちらかと言うと、ハキハキタイプで、他人を
言い負かすような、そんな子だったと思う。何が
あったのかは知らないけれど、人ってこんなにも
変わるもんなのかなって、思ってしまう。
「……ごふっ」
恭ちゃんの口から、変な息が漏れた。
『ごふっ』? なに焦ってんの恭ちゃん。
「あ。いや、ごめ……。咲──あ、いや橘さんに『水野
くん』って言われると、何だか新鮮で。
だって子どもの時、呼び捨てだったろ?」
恭ちゃんは、困った顔でそう言った。
お。ナイス恭ちゃん。私も思いましたよ。そこ。
そして他にも気づいた。
咲良だって、恭ちゃんが『橘さん』って言った時
少し反応してた。きっと違和感を感じたからだ。
だって二人はケンカ友だちだったんだもん。
橘さん、水野くんって言い合うような仲じゃない。
恭ちゃんは続けた。だけど、とーぜんだよね? だって
オレたちもう、子どもじゃないし。高校生だし。名前
呼びはないよねー。なんて言ってる傍で、咲良が
両手を握り締めてるのが見えた。
ほらほら咲良? 素直になるのが一番だよ?
そんな私の想いが咲良に通じたのか通じなかったのか、
咲良は大きく息を吸うと、思い切ったように口を開いた。
「きょ、きょ……太郎…………ちゃ、ん」
「きょ──」
思わず私は目を見張る。
『恭太郎』って呼び捨てするにはハードルが高すぎて、
まさかの『ちゃん』付け?
え、それって。
「ぶふ……っ」
思わず笑いそうになって、私は慌てて口を塞ぐ。
やだ可愛い。どうしたの? 咲良。子どもの頃と全然、
違う……っ。
耳まで真っ赤になる咲良を見て、私は思わず『可愛い』
って思ってしまった。
だって、本当に可愛いんだもん。
子どもの頃の咲良は、可愛いには程遠い。
どちらかと言うと頼りがいがあって、真っ直ぐで、
それから力強い。そんな感じ。
どうしてこんなに変わっちゃったんだろ? ううん。
変われたんだろう?
短かった髪はすごくサラサラで長くって、それから
優しいいい匂いがする。
照れる……なんて似合わなかったあの咲良が、真っ赤に
なって恭ちゃんの名前呼んでるとか、これはもう、
萌え要素しかない。
うん。これはアレだ。更なるチャンスだ。
恭ちゃんはこーゆータイプには弱い。守らなくちゃ
いけない対象には、とことん尽くすタイプ。だから
私が『お兄ちゃん』って言うと、途端何でも言う事を
聞いてくれる。
自分が年上とか、年下とか優越感とか劣等感とか、
そーゆー意味じゃなくて、純粋に何かを守りたいって
いうその願望がかなり強い。
……だから失敗すると、殻に閉じこもり易くも
あるんだけどね。
だけど、これはチャンスだ。
ここは一つ、この乃維さまが人肌脱いでやろう!




