11.こじ開ける記憶。
「でもさ、お母さん? 恭ちゃんだって、あの時のこと
本当は知りたいって思ってるはずだよ?」
乃維が言った。
その言葉に、オレの肩が跳ねた。
え、そう来る──?
記憶が無いくせに、『あの時のことを知りたいはず』
なんて言われて、オレは青くなる。
オレは知りたいって、思ってる……のかな?
──いや違う。知りたくない。
絶っっっ対、知りたくないっ!
「……」
何故そう思うのか分からない。でも思い出したくない。
それはワガママなような気もする。思い出せば何か
いい事があるのかもしれない。
いい事? どんな?
そもそも記憶が無い。
無いものは無いわけで、取り戻そうと思う以前に、
そもそも土台すらない。
子どもの頃の記憶なんて、オレだけじゃなくって、
みんな曖昧なものだろ? しっかり全部覚えて
いるヤツなんて、そうそういないはずだ。
生活の全てを忘れているならアレだけど、当たり
障りのない一部だけを忘れているだけなら、別に
困ったことなんてなくて、記憶失くしてたって
言っても、その事実ですら今の今まで忘れてたくらい
なんだぞ……?
だからオレの中には、知ろうとか知りたいとか、そう
思うその思いすら、そもそもないわけで。
でもオレがそんな風に思っているなんて、微塵も思って
いない乃維は、言葉を続けた。
「あの時私たちはまだ子どもで、自分守るために忘れて
しまわなくちゃいけなかったことでも、高校生に
なった今なら、消化出来るって事もあるんじゃない?」
そんな最もらしい事を言っている。
あ、うん。まぁ、そうかも知んない。
言われて母さんは、困ったような顔をする。
「そう……かしら」
「そうだよ。
お母さんは恭ちゃんに甘いんだから。恭ちゃんだって
今のままじゃ嫌だよね?」
言って乃維は頬を膨らませながらオレを見る。
「え。オ、オレ?」
言葉を振られて戸惑う。
いや、そう言われても。
てかむしろ、ほじくり返して欲しくないというか
なんと言うか……。
慌てるオレを見て、母さんも溜め息をつく。
「そう、ね。避けてばかりはいられない──か」
言って母さんは立ち上がる。
「だけどあの時のことは、母さんにはよく分からない。
憶測だけで、それなりに行動はしたけれど、結局
何があったのか……。
だから追求するしないは、あんた達に任せる。
過去の事として受け入れるのか、それとももう完全に
断ち切るのか──」
母さん?
意味深な言い方に、オレは違和感を覚える。もしか
したら、母さんは何かを知っている?
けれど母さんはそれだけ言うと、台所の方へと姿を
消した。
乃維はそれを見送って、軽く息を吐く。
決心したような、そんな息の吐き方。
いや待って、そこにオレの決心はいらないの──?
いきなりの展開に、オレは戸惑いを隠せない。オレは
あとずさる。
乃維は話を進めた。
「恭ちゃん。咲良はね、恭ちゃんが事故になる前まで
私たちと一緒に遊んでいた一人だったの」
「え……」
ズキン──と胸が痛んだ。
その言葉で、記憶の奥底でぼやけてた残りの一人の
存在がが、一気に形になる。
「──っ、」
そう……だ。そうだった。
なんで今まで、忘れてたんだろ?
乃維のその言葉に、ずっと思い出せなかった
もう一人の存在が浮き彫りになって、途端
息苦しくなった。
長い髪?
いや、ショートカットだ。
橘?
違う……感じがする。
でも、多分、間違いない。橘だ。
本当に知り合いだった。
なんで忘れてた──? そこまでは、思い出せない。
でもそうだった。ずっと忘れてた。
いや──でもあの子は、正確には、男の子だってオレは
ずっとそう思ってた。
そっか。あれは橘だったんだ。
そう思うと、欠けていたピースがピタリと、はまり
込むように、記憶の中の欠けた部分が色を織り成す。
今とは違う、髪をショートカットにしたやけに
カッコイイ男の子。
そう言えば、男子……って言うにはちょっとませてた。
あ、女の子だったからか? そう思うと納得できた。
オレと楓真はいつも二人でバカやってたけど
そいつと乃維はそんなオレたちをいつも冷めた目で
見てたっけ。
あれが、橘──?
オレは息を呑む。
「あ……え? うそ。
あれ、橘。あ、いや咲良──か?」
「……っ、思い出したの? そう、咲良。咲良だよ!
変わったよね? 咲良。あの時とは全然違う。
小さい頃私ってね、咲良のこと男の子って思ってたの。
ふふ。可笑しいよね?
実はね、今だから言えるけど、私の初恋って咲良なん
だよね。だってかっこ良かったじゃん。あの頃の咲良」
「うん。かっこ……良かった」
言った途端、妙なモヤモヤが胸の中に生まれる。
嫌な──気持ちだ。
オレは自分の胸を掴む。
動悸が激しい。
ダメだ。思い出すな。きっとまた──
「ほら、覚えてる? あの公園ってさ大きな木が中央に
あって、四人で秘密基地つくったの」
乃維は無邪気に話を進めた。
ダメだと思う反面、知りたいと切望するもう一人の
オレがいた。
その二人のオレが、せめぎ合う。
思い出せ。
ダメだ。
思い出せ。
ダメだ。
思い出せ!
ダメだ!
ダメだダメだダメだ──っ!
「秘密、基地……?」
だけどオレは、喘ぐように尋ねる。
乃維は、オレが思い出す事を望んでいる。
ずっと我慢してた乃維。
もう、無理強いはできない。
その問いに、乃維は嬉しそうに微笑んだ。
「うん。公園のおおきな木にね、ちょうど私たちが
入れるような大きさの切れ込みが下の方にあってさ
その中に入ると、雨とかも遮ってくれて、なかなか
過ごしやすい場所だったんだよね。だからそこを
秘密基地にしようって、最初恭ちゃんがそう言ったの」
嬉しそうに話す乃維の声を聞きながら、オレは顔を
しかめる。
そう──だっけ?
咲良の事は、何となく思い出せた。だけどそれだけだ。
それ以外のことは思い出せない。
いや、思い出したくない。
思い出さない方がいい。
どこかで危険を知らせるベルが鳴った。
秘密基地──多分、思い出しちゃいけないやつ。
でも──
少しずつ重くなる頭の重みに、オレは耐えられなくなる。
そう、木はあった。あったんだ。
大きな木。
それから──
ズキッ──。
「い、痛い……」
鋭い痛みを感じて、オレは頭を抱えた。
痛い。耐えられない。
「え? ちょ、恭ちゃん? 大丈夫? どこか痛いの」
心配気に覗き込んでくる乃維ですら、鬱陶しく感じる。
嫌な汗が流れ出し、耳鳴りがする。
あぁ、でもあと少し。
あと少しで何か、思い出せそうな気がする──。
「え、ちょっと恭ちゃん? ……お母さん、お母さんっ!
恭ちゃんが、恭ちゃんがキツイって!
どうしよう、恭ちゃんを助けてっ!」
乃維の叫び声が聞こえた。
その声を聞きながら、オレはその場に倒れた。
母さんの短い悲鳴が聞こえて、それから何かを放り
出して、こっちに駆けてくるのが目の端に見えた。
ひどく気持ち悪くて、
それからひどく
悲しかった──。
書き直してます。2024.5.2.




