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さくらのさくら  作者: YUQARI
第3章 恭太郎
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7.『お兄ちゃん』

「ねぇ、ねぇ、お兄ちゃん」

 午後の授業もあらかた済んで、そろそろ帰る時間に

 なる頃、乃維がそう言ってオレにまとわりついて来た。

 出たよ。乃維の『お兄ちゃん』攻撃。

 乃維のその口調に、オレはぴくりと反応する。


 こいつが『お兄ちゃん』と言うときは、何かをオレに

 ねだる合図だ。

 何故かって?

 弱いんだよね、オレ、こう言われるの。

 オレたちはいつも基本、名前で呼びあってる。オレは

 乃維って呼んでるし、乃維はオレの事を恭ちゃんって

 呼ぶ。だけど乃維は、たまにオレの事を『お兄ちゃん』

 って呼ぶことがある。

 ホントはずっとそう呼んで欲しい。だってオレにとって

『お兄ちゃん』は、憧れだから。


 オレと乃維はこの世に産まれた時間は、ほんの数分しか

 違いがない。でもね、それでもオレはその数分違いで

 お兄ちゃんなの。だから、お兄ちゃんぶりたいって

 思ってる。

 最初はそんなの気にもとめなかった。だけどさ『お兄

 ちゃん』って言われるのに、ちょっと憧れた。

 なんで憧れたんだっけ? その理由はもう覚えていない。

 だけどカッコイイよね。『お兄ちゃん』。守って

 やらなくっちゃって思ってしまう。


 そんな気持ちが高じて、オレは小さい頃なにかと乃維

 に『オレはお兄ちゃんだぞ』って言ってた。

 その頃はまだ乃維も素直だったから、そう呼んでくれて

 たのに、小学校高学年くらいから『恭ちゃん』って

 呼ぶようになった。

 理由?

 理由は簡単だ。

 同級生なのに『お兄ちゃん』って呼ぶのが恥ずかしい。

 乃維ちゃん、可笑しいよって友だちに言われたのが原因。

 ホント余計な事言ってくれたよねって思う。

 些細なきっかけだったけど、それが理由。

 そしてそれ以降、乃維は特別な時にしか『お兄ちゃん』

 って言わなくなった。それはちょっと寂しい気もする。


 そして今がまさに、その特別な時(・・・・)らしい。




 ──お兄ちゃん。




 言いながら乃維は、オレの首に腕を巻き付ける。

「なに? 重たいんだけど。やめろ」

「ひどいなぁ。……ねぇ、ねぇ、お兄ちゃん。吹奏楽部に

 入ってよぅ」

「入らないし。興味ないし。そこの楓真を誘えばいいし」

 言いながら、腕をほどく。

 乃維は楓真を見ると、ムッと顔を歪ませた。


「お兄ちゃん、知らないの? 楓ちゃん、もう

 弓道部に入ってるんだよ」

 乃維の言葉に、オレは驚く。

「え? なにそれ。お前、部活やんの? 中学のときは

 しなかったのに?」

 言うと楓真は爽やかに笑う。

「うん。知り合いの先輩に誘われた。お前も入る?」

「え、ちょ、ダメだって! 私が先に勧誘してるの!」

 慌てて乃維が、参戦する。

「……いや、だから、どこにも入らないって。今まで

 だって、入ってなかったろ?」

「何言ってるの? もう高校生になったんだから、部活

 くらい体験してもいいと思うの。

 だいたいお兄ちゃんは、色、白すぎだよ? も少し

 焼けた方がいいって。

 その点、吹部は無理せず活動できる文化系だから。

 ね?」

「乃維ちやん。ダメだよ。キョータロだってもう

 知ってる。吹部が異常なまでの体育会系だって。

 あんな筋トレ、弓道部じゃやんないからね?

 キョータロ、入るなら弓道部だよ?

 弓道はね、子どもからお年寄りまで、誰だってできる

 優れモノなんだか──」

 楓真がそう言ったその時──




 ──ガタッ。



 不意に上がった物音に、辺りが一瞬ザワつく。

「……!」

 見ると、机にしがみつくような姿で、長い髪の

 女の子が、床にへたり込んでいるのが見えた。

 あれは──。


「え、咲良(さくら)!?」

 乃維が叫び、橘の傍へと駆け寄った。


「ご、ごめん……大きな音、出したり、して。

 大丈夫……目の前、チカチカするだけ──」

 それだけ言って、咲良は気持ち悪そうに目を閉じる。

 顔色がかなり悪い。

 チカチカって……それ貧血じゃ? オレは眉を寄せる。


 ずっと前、まさにオレは貧血で倒れたことがある。

 お風呂から上がって脱衣場まで行って、急に目の前が

 暗くなって倒れた。すぐに回復したけど、その時の

 目の前のチカチカだとか、脱力感とか気持ち悪さが

 蘇ってきて、少しゾッとする。

 あの時は何が何だか分からなかった。分からなかった

 から怖かった。わけの分からない病気だったら

 どうしようって。

 でも、理由は単純だった。

 翌日行った病院で、それ貧血ですよって言われた。

 成長期には多いんですよって。急激な成長で、鉄分が

 足りなくなってしまうらしい。多分、橘のはソレだ。


 必死に笑おうとしているけれど、顔色の悪さは

 隠せない。明らかに血が足りてない証拠だ。見れば

 すぐに分かる。


「大丈夫って……顔色、かなり悪いぞ。それって貧血だろ?」

 オレは乃維に顔を向ける。

 貧血は軽いものなら横になってれば治るけど、酷いもの

 だとそうはいかない。

「乃維、保健室に連れていってやれ。先生には言って

 おくから」

「分かった。……ほら咲良、歩ける?」

 乃維の言葉に咲良は力なく頷くと、ゆっくり立ち

 上がる。


「ごめんね。迷惑かけてしまって……」

 泣きそうな顔で咲良が言う。さっきより少し顔色が

 戻ってきてるみたいだ。

「なに言ってるの! 歩くの無理そうなら、途中で

 休むから言ってね」

「……うん」

 頷いて咲良は乃維と、教室を後にした。



「あーあ。あれはかなり、精神的に参ってるよね……」

 楓真がポツリと呟いた。

「……キョータロ? これって、チャンスだよね」

 ニヤリと笑う。

「チャンスってなんの──」

「たから、好印象を持ってもらうための」

「だから、違うって言ってるだろ?」

 言いながら、ふと思う。

 ん? いやいや、ちょっと待てよ? 楓真じゃないけど

 これはもしかしなくても、チャンスかも……?

 頭をよぎったその考えに、オレは人知れず微笑んだ。

 上手くいくかは分からない。でも上手くいったら

 かなり美味しいかも。

 不謹慎にもオレは、そんな事を人知れず思っていた。

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