15.桜の木の下で。
あの子に出会ったのは、校門を入ってすぐの桜並木道。
本当は、校門を入るずっと前から近くを歩いていたん
だけど、オレは今朝の乃維の事だとか、これから
みんなの前で挨拶しなくちゃいけない事とかで頭が
いっぱいだったから、近くを歩いている人間なんか
気にもとめていなかった。
溜め息つきながら、どうしたものかなーなんて考え
ながら歩いていたら、突然風が吹き荒れる。
びゅうぅぅうぅぅ。
──うわっ、目にゴミ入った……っ。
オレは慌てて風に背を向けて、目を擦る。
あれって……あれかな? 春一番?
あ。いや、でも違うかも。
春一番は、春一番って言うくらいだから、もっと早くに
吹くんだと思う。冬と春の境目くらい? 二月とか
三月末とか。
でも今はもう完全に春だから、あれはただの季節風……?
そういや国語で先生が教えてくれた。春風とか花嵐とか
花風とか言うやつ?
そういや、東風も春風だよね。百人一首で
菅原道真公が詠んだやつ。
──東風吹かば にほいおこせよ 梅の花
主なしとて 春な忘れそ
だっけか? 大宰府に左遷される時の歌。
……いやいや待て待て。梅の花って詠んでるから
これも今じゃない。
だって、今はもう梅の花なんか咲いてない。咲いて
いるのは桜だけど、その桜だってもうチラホラ緑の
葉っぱが見え出している。季節はどちらかと言うと
春から初夏に移ろうとしている季節。
だから春一番って言うのには、もう遅いかも。
でもあの時の風は、そう思うほどに強い風で、
ついでに目の中にゴミまで入って、オレはなんで
こんな目に合うんだよ! って少し情けなくなって
いた。
世の中、全く上手くいかない。
所詮はオレって、まんがとかゲームとかで
言う『モブ』って役回りなんだろーなーなんて
一人静かに思ったりして。
だって、主役だったらこんな、地味な不幸はふって
来ない気がするんだよね。
で、そのとき吹き荒れたその風に、もうほとんど葉桜
って言った方がいいような桜の木の花が、たまらず
乱れ舞う。
『──!』
まるで吹雪。
見事なまでの、桜の嵐。
──『わぁ……』
悪態をついてたオレのすぐそばで、小さな感嘆の声が
上がる。
驚いて目をあげると、更に風が吹いた。
ぶわっ──!
校門の桜並木が風に揺られて、桃色の小さな花吹雪が
降りしきる。
木にしがみつく桜の花を、全てもぎ取って行くかの
ような、強い風。息を持っていかれそうな程の──。
風はまるで下から吹き上げるような、そんな風だった。
一瞬体が軽くなった気がした。
『すご。綺麗──』
思わず呟いてしまう。
まるで一枚の絵画みたいなその光景。
ほとんど咲いていないと思われた桜は、意外にもまだ
たくさん木にしがみついていたようで、雪のように
降りしきるその桜の花弁に、思わず息を呑む。
あぁ……乃維も一緒に来ればよかったのに。
そしたらこの桜吹雪を一緒に見られたのに。
乃維と一緒にいなかったことが少し残念で、だったら
他の誰かと想いを共有したい気持ちに駆られる。
『すごいね』とか『綺麗だね』とか、そんな言葉を
交わすわけじゃなくって、ただ、運良くこの場に
居合わせたもの同士、ささやかな『一緒だね』を
実感したくて、オレは辺りを見回した。
その時に見つけた。
あの子を。
『──っ、』
ささやかな一緒を共有するだけを求めていた
オレは、思わず息を呑んだ。
桜の花吹雪の事なんか、いっぺんに吹き飛んだ。そんな
光景だった。
だって、すごく綺麗だったから。
あ……えっと、その子が……とかじゃなくて、桜吹雪と
その子がすごくマッチしてて、綺麗だったの。語彙力
なくてゴメンね。
でもとにかく、たくさんの花吹雪の中、驚くほど
サラサラの長い髪がふわりと宙に舞って、微笑む
その姿はまさに『桜の精』。
その子は目を細めながら、自分の髪を耳にかけた。
その仕草が少し色っぽい。
それはまるで、絵の中から飛び出てきたような
そんな光景。
言葉を失うって、ことことを言うんだって初めて
実感する。
まぁ、今思えば、イタイ状況だったんだけどね。
だって、じっと女子高生見てるんだよ? 桜じゃなくて。
でもあの時はホント、言葉を失った。
うわぁ。オレってホント、まじで恥ずかしい……。
相手は、オレに気づいていないようだったから
いいようなものの、いくら何でも無遠慮すぎたよね。
見過ぎって言われるくらい、オレはガッツリその子を
見てた。
……うん。無意識って、ホント恐ろしい。気をつけよう。
乃維だったら絶対『恭ちゃん! なにやってんの?
キモイ!!』って言っていたに違いない。
いや──ホントいなくて良かったよ。あの時、乃維が。
改めて、そんな事を思う。
乃維はふたごで、確かにオレと同い年。
だけど一応オレはお兄ちゃんで、オレとしてはそこを
何とかして死守したい。
だから乃維には、乃維だけには、かっこ悪いところは
見せたくない。
……いや、まぁ見せてはいるけれど、そうじゃなくて
無防備に、不覚とってる姿は見せたくない。
そんな面倒臭いプライドが、オレにはあったりする。
幸いにも、あのとき乃維はオレの傍にはいなくって
オレは彼女に見とれて目が離せなくなっていて。
心の底から純粋に、綺麗だなって思ってた。
夢のような一場面。
ずっと見ていたいと思った。
いっそ写真に撮ればよかった。いや、そんな事したら
それこそ犯罪?
だけど本当に、目が──離せなかった。
もしかしたら、彼女は花の妖精なんじゃないかと
柄にもなく思ってしまう。
降り散る桜の花びらの中で、現実に存在するかも
疑わしいその子は、細くて白いその手を差し伸べて
花びらを掴み取ろうと試みる。
『……き、れい』
あの時オレは、その子をガッツリ見ながら気づけば
そう呟いていて、慌てて口を塞いだっけ。
聞かれてしまったか? と焦ったけれど、そんな事は
なくて、多分オレが慌てて口を塞ぐために動いたその
行動に、その子はやっとオレの存在に気づいたみたい
だった。
彼女は、オレと目が合って、それから一瞬ハッと息を
呑んだあと、少し深呼吸してから、八重桜のように
華やかに微笑みを返してくれた。
そして、おはようございます……って、とても丁寧に
挨拶をしてくれた。だからオレは──戸惑った。
『──え。あ、うん。おはよう、……ございます』
きっと、顔なんて真っ赤だったに違いない。
消え入るようにそれだけ必死になって言って、オレは
すぐにその場を離れた。
見ていた事が、あの子にバレて気まずかった。
未だかつてないほど、恥ずかしかった。
ホント……乃維がいなくて良かった。そう思った。
だから当然、学年も名前も分からない。
でもきっとあの人は、先輩なんだろうなって思ってた。
だって新入生だったら、あんなに早く学校に来る
わけがない。
だから会う機会も少ないだろうなって思った。
何だかんだ言っても、城峰学院は広い。同学年でも
クラスが違えばあまり会うこともない。学年違い
なら、更に会わない。そう思うと、少しホッとして
少し残念なような気もして──。
──それなのに、今、その子が目の前にいる。
まさかの同じ学年だったとか。
しかも同じクラス?
オレ思わず敬語、使っちゃったよ?
しかも噛んでたし。
無防備だったから、きっと変な顔してた。
何もかもが照れくさい。
どうしよう。
変な奴って思われたかも。
──でも少し、嬉しい……かな?
「……」
同じ学年、同じクラス。
それを思うだけで、憂鬱だった新学期が
少し楽しみになった。




