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砂と孤独  作者: 雪華堕
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砂漠に立っていた。

彼は砂漠に立っていた。

一面のと言うにはあまりにも起伏に富んだ歪な砂漠に彼はたっていた。

崩れかけ、ガラスの禿げたビルを背に、彼は砂漠にたっていた。

地面はところどころ元のアスファルトをのぞかせていて、それでいてどうしようもなく砂に覆われた砂漠に、彼はたっていた。


Time→20✕811✕618✕61


いつも通りに日が暮れる。

名前も忘れてしまったこの街に日が暮れる。俺の知らない哲学を隠した空間が、世界を支配する。世界が落陽へと至る。

俺はそれを古ぼけたポットに詰めた茶葉を取り出しながら眺める。世界はやがて悉く闇に呑まれるだろう。星の煌めきを他所に、俺は取り出した茶葉を缶に詰める。ポットを傾け、マグカップへと注ぐ。微かな湯気にポットの表面が僅かに曇る。

夜が来た。

闇が来た。

俺はアールグレイをほんの僅かに啜ると、大きく息を吐いた。

クソッタレな夜が来たのだった。

俺の一日は終わって行った。


Time→20✕811✕708✕61


不思議なもので砂漠にも新聞というのは届くようで、俺はいつの間にか住処の前に置かれた新聞を手に取る。砂に半分埋まった摩天楼の住所について僅かに考えるが、直ぐに面倒くさくなった俺は周りの摩天楼に見下ろされながら新聞を開く。

『組合』、『ギルド』などと呼ばれる組織が発行するこの新聞は、異能力に満ちたこの塩漬けの惑星において唯一無二の信用に値するメディアである。

異能力。そう、異能力である。忌々しい限りだが、いまから12年前、ある国が開発に成功したそれは、人間に人間を超えた力を与えた。能力はその影響力においてランク付けされた。能力者自身にのみ影響し、降りしきる雨など気にならなくなるような『怪奇級』。能力者と付近の空間に影響する、降りしきる雨などには一滴たりとも濡れることなく出歩けるような『超常級』。能力者と世界の法則に影響する、降りしきる雨など無かったことにできる『改変級』。これらの三段階の異能力を生み出すことに成功した人類だったが、その栄光は長くは持たなかった。能力者の暴走。危険な実験。非能力者と能力者の確執。世界の不安定化。様々な要因が簡単に絡まりあった結果、能力者を生み出したある国は、世界連合を称する68カ国からなる国家連合に急襲されたことにより消失。しかしその際に世界連合側は加盟国3つが国土を含め惑星上から消失。7つが深刻な情報汚染により認識不能、記録消去措置を取らねばならないクラス4の情報災害の犠牲となり、派遣された連合軍の損耗率は71.6%という結果に終わった。更に能力者に対して非人道的な行為が確認されたとしてこれらの加盟国と非加盟国における亀裂が決定的になった。

そうして世界は戦争の狂気へと突き進んだ。能力者が大規模に投入されたこの戦争は最早、公式と呼べるような記録すら残っておらず、確かなことは世界の秩序が崩壊した、と言うだけである。

そんな世界にも朝は来て新聞は届く。素敵なことである。

さほど厚くない新聞を開く。くだらない四コマ漫画を飛ばす。暴走した改変級、さらに値段を上げたガソリン、多くの記事が悲観的な情報ばかり上げている。俺はざっと新聞に目を通すと、ねぐらの中へと戻る。

『見せて』

正直、焚き火の焚き付けのついでに取っている(と言っても、いらないと言ったって勝手に届くのだが)と言っても過言ではない新聞を読みがる声がした。

「ほらよ」

俺は新聞を投げてよこすと、部屋の隅で横になる。両腕を枕に天井を見つめながら、俺はポケットのウォークマンを付け、イヤホンをする。

さて、もう一眠りするか。そう思い目を閉じようとした刹那だった。

『お腹空いた』

せっかく横になり、華麗な二度寝を決めたい俺としては正直無視も考えたが、無視をしたあとが怖いのも事実である。俺はウォークマンをポケットに突っ込むと身体を起こした。

「……何が食いたい?」

『ハンバーグ』

「朝からかよ……」

俺はうんざりしながら雑嚢に突っ込んであったフライパンを取り出す。部屋の真ん中に作ったかまどに幾許かの薪を放り込みながら、俺はどうしてこうなったのかを考えていた。

ハンバーグ食べたいこと、彼女、ネームレス、通称ネムと出会ったのは、三日前の事だった。野暮用で寄った近くのコロニーの帰り道で彼女を見つけた。

砂漠のど真ん中、横殴りの雨の中で、彼女は一滴たりとも濡れること無く、その色の抜けた白髪と透けるような紅い目で俺を見ていた。そして、「飼い主募集」というプラカードを掲げていた。俺はどうにもすることも出来ず、取り敢えず根城にしている廃墟に連れてきた結果、飼い主にされてしまった。これで俺も晴れて女の子の飼い主である。……別にやましいこともやらしいことも何も無い。逆に砂漠に女の子一人棄てて来る方が咎められるべきことだと思う。だからなし崩し的に飼い主にされた俺をそんな目で見ないで欲しい。

とにかく結果とし飼い主になってしまった俺に対し、飼い主にはペットに人道的な(ペットに人道って何?人をペットって、それが一番人の道に反してないか?)暮らしを保証する義務があるとして、彼女は声の代わりに、度々手持ちのスケッチブックを使い、俺にあれやこれやを要求して来るようになった。全く、住まわしてやってるだけでも感謝して欲しい。少しでいいから。

俺は鍋に油をしくと、簡易食材の詰まった備蓄箱の中から、簡易調理食品のハンバーグを取り出す。上手くて日持ちする最高の食糧たるこれを一つ使い、彼女のためのハンバーグを焼く。その間も彼女は何かをスケッチブックに描きつつ、時たま俺の顔を覗き込むを繰り返していた。

適当に焼けたところで、雑嚢から皿を取り出すとそこに焼けたハンバーグを置く。

『いただきます』

彼女は俺の雑嚢から勝手に雑穀パンを取り出すと、ハンバーグと共に食べだした。

俺は再びポケットに手を伸ばすと、ウォークマンを取り出す。耳に突っ込んだイヤフォンから、気切れた機械音が流れ出す。

『ケチャップ』

彼女が俺の方にスケッチブックを見せる。

「悪い、俺ハンバーグに醤油かける派だから。ケチャップ持ってないわ。醤油いる?」

『要らない……』

あっそ、と呟くと壁にもたれながらポケットから擦り切れた本を取り出す。何回と読んだ本の内容は頭に染み付いていて、すんなりと読み進められる。

『ご馳走様』

「……おう」

ハンバーグを食べ終わった彼女はそう書くと、食器を片付け始める。それを見た俺も文庫本を畳む。本来なら昼過ぎに、起きたタイミングでここを出ようと思っていたが、もう眠気も冷めてしまっていたのでもろもろの準備をする。中継拠点として使っているこの廃墟に置いているものを素早くまとめると、いつもの場所にそれらを隠す。

『出発?』

「もう少ししたらな」

俺はカーキのコートを羽織ると、持っていくものを雑嚢に突っ込む。ナイフや鉈、安い金属のポットや耐熱プラスチックのマグカップをいつも通りにしまう。

「新聞は持ってくからくれ」

俺は彼女に向けて手を伸ばす。渡された新聞は多少よれており、俺はそれを適当に伸ばすともう一度よく開く。再度、全体に素早く目を通し、大規模なスコールや、異能災害、暴走能力者報告の欄を確認する。どうやら今日は平和な一日のようで帝国の空間侵食も僅かに後退している上に、天気も安定しており、危惧していた大きな障害はなかった。

「……出るぞ」

『大丈夫』

俺は彼女に声をかけると、カーキの軍帽から砂を払い頭に被る。手袋とゴーグルをつけ、口に黒いスカーフをまく。砂漠を往くための装備に身を包んだ俺は雑嚢を背負い込む。一方彼女はその白い髪同様に白いワンピースとスケッチブックだけを手にしていた。

「いつ見ても凄いなりだな」

砂漠は愚か、この塩漬けの地球においては、もうどこに行こうと見ることの出来ないような格好である。

そんなわけで、俺たち歪な二人は砂漠へと繰り出したのだった。



昼下がり。少し風の出てきた砂漠を往く俺たちは、目的地への折り返し地点へと差し変わっていた。

「……風、吹いてきたな」

砂漠を吹き荒ぶ風に、俺はゴーグルの砂を払う。先程から少しづつ、緩い空気を纏った風は強くなっていた。

「こんな事なら1日寝ていきゃ良かったか?」

俺はこの辺りの地図を頭に思い浮かべながら考える。しかし残念なことにここいらは、先程の廃墟があったあたりのように、摩天楼たちの立ち並ぶ光景は見ることは出来ず、ほとんど瓦解してしまった民家の瓦礫を僅かに見れるばかりであった。

「おい!聞こえるか!少し荒れてきたが、ここから二キロ位先に俺の隠れ家がある!そこまで急ぐぞ!!」

俺はそうそうに頭の中の地図を畳むと後ろを歩くネムに伝える。

『分かった』

俺の言葉を聞いた彼女は素早く手持ちのスケッチブックにそう書き込む。

「……相変わらず傍から見ると凄いな」

俺は襲い来る砂粒から、透明な膜のようなものに守られているネムを見る。

『何?』

少しジロジロと見すぎたか、彼女は怪訝そうな顔でそう書いたスケッチブックをこちらに向けてきた。

「いや、何でもねーよ」

初めてあった日もそうだったが、彼女は自身を中心としてバリアのようなものを出すことの出来る能力を持っているようだった。朝のように食事をとっていることから、恐らくは任意でオンオフができる、もしくはそれに近い事ができるようだ。強度の方は不明だが、どうやら砂嵐程度ではビクともしないようで、ネムの顔に襲い来る砂粒達に対して特に脅えた様子はなかった。

「あれ?今日は一人じゃないの?」

刹那だった。

コートに砂が擦れる音に紛れて、微かに誰かの声が聞こえた。

「ネム!!逃げろ!!」

俺は咄嗟に彼女を突き飛ばすと、自分は逆側に跳ねる。間一髪、二人のいた場所は紅蓮の炎に包まれ、足元に散らばっていた砂が溶け、硝子に変質していく。

「くそ、やっぱあてになんねーな、あの新聞!!」

やはりタダより高いものは無いを地で行くとは思わなかったが、無料でばら撒かれているあれを信じた俺が馬鹿だった。これは立派な。

「暴走能力者か!!」

「失礼だなぁ、暴走なんてしてないよぉ」

炎と砂で姿の見えない襲撃者は、気の抜けるような声でそう言う。

「道端歩いてるパンピー襲っておいて暴走じゃねぇだなんてそうは問屋が卸さなねーよ」

どうやら炎と砂嵐せいで相手もこちらを見えていないのか、次の攻撃が飛んでこない。俺は低い姿勢のまま、背中のバックを静かに前に回すと、中から手の中に収まるくらいの筒を取り出す。

「ねぇ、隠れてないで出て来てよぉ」

「嫌だね!」

俺は能力者の戯言にそう返すと、手の中の筒を放り投げた。そう、硝子になった砂の指し示すその先に。

直後、辺りに閃光と爆音が満ちる。

「!!」

かすかに聞こえた悲鳴のようなものを無視し、俺は硝子の川を飛び越えると、対岸で蹲っていたネムの身体を掴むと、一目散に駆けだした。

「ちきしょう、今日はついてねーな!」

砂に足を取られながらも俺は必死に走る。幸いにもまだ混乱しているのか、能力者は追っては来ていなかった。

『ねぇ!腕!!』

小脇に抱えたネムが唐突にそう書かれたスケッチブックを目の前に出してくる。

「腕?」

俺はそう言って自分の腕を見やる。ネムを抱える左腕はどうにもなっていない。そうして、逆側の手を見やる。

「……マジ?」

俺は走りながら絶句する。そこにあったのは、ボロボロと今も少しづつ崩れている炭になった俺の右腕だった。

気づいたが最後、俺の右腕に激痛が走る。正しく焼けるような痛みが頭蓋を叩く。俺は倒れそうになるのを必死に押え、次の一歩を踏み出す。

「これくらい大丈夫だ!!気にすんな、ネム!!それよりお前は大丈夫か!?」

自分から跳んだ俺が交わしきれていなかった、となるともしや、という考えが頭をよぎる。

『私は大丈夫!走れる!』

俺の声に返すように彼女はそうスケッチブックを差し出す。

「ならいい!」

俺はスケッチブックの後半を無視すると、それ以降は何も言わずに走った。幸いなことに、能力者は俺たちを見失ったのか、あれ以上襲ってくることは無かった。



『もう大丈夫』

しばらく走った後、彼女は再びそう書かれたスケッチブックを差し出してきた。確かにかなり走ったし、幸いなことに砂嵐をやり過ごすために目指していたエリアの近くに来れていたこともあって、一度立ち止まると俺は彼女を下ろした。

「何だったんだ、あいつ」

俺は砂漠で出会った不気味な襲撃者を思い返していた。

『腕、大丈夫?』

そんな俺を他所に、彼女はおずおずとそう聞き出した。

「あー……、あれか?なら大丈夫だよ。ほら」

俺は俯きがちな彼女の前に右腕を差し出す。そこにあったのは、左腕同様にコートに包まれ指の5本着いた人間の腕だった。

『でも、確かに炭に』

「能力だよ、能力。クソッタレな俺の能力で治ったから大丈夫だ。元通りにしか動かないから大丈夫だ」

俺は右腕をブンブン振り回す。ほら、取れたりしないだろ?そんなふざけたことを言っていると、ネムは俺の右腕を掴んだ。ネムはほんのりと冷たく色素の薄いその腕で俺の右腕を一通り押したり引っ張ったりすると、とりあえず納得したのか手を離した。

「納得できたか?行くぞ?見つかってねぇうちに隠れ家を見つけねぇと……」

立ち上がりながらそう言うと、俺は辺りの建物をざっと見回す。そんな俺を見上げる少女の顔はどこかまだ不安げだった。

「……ま、いいや。そこの廃墟にお邪魔しよう。少しボロいけどその方が帰って見つかりにくいだろ」

本当はもう少ししっかりとしたところを探したかったが、どうでも良くなった俺は、両手を上げてそう言うと、手近な廃墟に向かって歩き出した。何も言わない少女はやはり、何も言わないのだった。

そうして上がり込んだ廃墟は大昔にゲーセンと呼ばれた場所の廃墟だった。だだっ広いホールにはいくつかのゲームの筐体が放置されており、照明の落ちた今でさえ、当時の賑やかさを僅かにだが感じることが出来た。

「中は結構綺麗に残ってんなぁ……」

半分崩れたように見えた外見とは裏腹に、天井も壁もほとんど残っており、数少ない崩れた箇所も外側から瓦礫や砂に塞がれており最低限雨風はしのげそうだった。

『ここは、何?』

ゲーセンに来るのは初めてなのか、ネムは物珍しそうに筐体を見回しながらそう聞いてきた。

「ん?ゲーセン来たことないのか?ここはゲーセンつー娯楽のための施設だったんだよ。いろんな遊びがこの機械で出来たんだ」

俺は床に落ちていた1枚のコインを拾い上げながらそう言った。

「こーゆーのももうどこにもなくなっちまったけどな。懐かしいねぇ」

適当にコインを指で弾きながら店内をうろつく。彼女はそう、とだけ書くと再び動かなくなったゲーム機達を睨み始めた。

「なんかねーかな……」

俺は手持ち無沙汰にコインを弾きながらカウンターを覗く。そこには制服を着た骸骨が横たわっていた。

「あらま。これは失礼を。ちょっとどいてくれよ……」

俺は骸骨を横にどけるとそこの下にあった落とし戸を開けた。中はいくつかの配線が入り交じっており、俺はポケットのサバイバルナイフを手にそれらを少しいじった。

ブォン、という低い音と共に店内に光が満ちた。ネムは驚いたように後ずさると目を窄め、骸骨は心無しか先程よりもよりくすんで見えた。

「騒がしくして悪いけどさ、あんたもこんな所で死んだくらいだ、文句はないだろ」

俺は落とし戸を閉めると骸骨を元あった場所に戻し、近くにあった骸骨が使っていたものと思われる古ぼけた毛布を上から被せた。

俺はカウンターから出ると賑やかに騒ぐゲーム機たちを眺めた。

『これ、どう遊ぶ?』

ぼーっとしていた俺の袖を掴むとネムは興味津々、っと言ったような顔でこちらを見上げていた。

「どうって……」

俺はたまらずに彼女の指し示す先を見るとそこにあったのはクレーンゲームだった。中には中くらいの大きさのシロクマの人形がぽつんと一つだけ入っていた。

『これ、どうやる?』

「まずコインを入れて……」

俺は急かす彼女に気圧されながらも持っていたコインを筐体に入れると、筐体はけたたましい音とともに若干の軋みを感じさせる音を出しながらも動き始めた。

「こーやって」

俺は慎重にアームを動かす。ここだ、と思ったタイミングで一度ボタンを押し、 再びアームを動かす。

「で、ここまで来たら今度はこっちを合わせて」

そう言いながら今度は機会の逆側に回りながら距離を図るようにしてアームを動かす。

「で、出来たらここを押すと」

俺は調整を終えるとアームの降下ボタンを押す。ガタガタと震えるアームが降りてくる。アームは弱々しい動きで1度はぬいぐるみを掴んだが、直ぐに取り落としてしまった。

「とまぁ、こういうゲームだ」

空中で吊られてていた熊が揺れながらこちらを見るようにネムもこちらを見ていた。俺はそれを無視すると再びカウンターに戻り、そこに無造作に突っ込んであったコインケースを引き出してきた。

俺はコインケースをネムの前に置く。

「ほら、これ、入れれば出来るから。好きなだけやれよ」

俺はそう言うとケースの蓋を開け、そのうちの一枚を取り出すと、再び指で弾き始めた。

ネムはコインをいくつか手に持つと、機械の前に立った。

最初、彼女は慣れるために少しずつ慎重に操作をしていたが、少しするともう人並みにできるようになり、何回かに一回は持ち上げられるようになっていた。

『これ、むずかしい』

彼女は不貞腐れたようにこちらを向いてそう言った。

「そりゃ簡単じゃねーよ。簡単だったら景品取られ放題だろ?」

俺はそう言いながら全く落ちる様子のないシロクマを見つめる。

「五回に一回くらい掴めれば上出来じゃないか?」

そんなことを言っている間にも、アームは再び動き出す。そして今度もシロクマの顔を握りつぶす。

「お、また掴んだ」

しかし、余程アームの力が弱いのか、アームはシロクマを置き去りに元の位置に戻ってしまった。

「ま、古い機械だしな、メンテもしてなきゃ」

ドン!!

こんなもんだろ、とつづけようとした口を閉じる俺。癇癪を起こし、台をぶん殴った当の彼女は、リンゴみたいに真っ赤に脹れていた。

ボト。

「……こんなもんだろ」

俺は台パンの衝撃で落ちたシロクマを見ながらそう言った。ついでに言うと落ちたのはシロクマだけではなく、ゲーセン全体の電気も連動するように落ちてしまった。

ネムは少し不満げな顔をしながら筐体の下からシロクマの人形を取りだした。

『ほら、あげる。さっき、助けてくれたから』

ネムは何度か俺とシロクマを交互に見るとシロクマを俺に差し出した。

「は?俺に?」

『うん』

「いや、でもお前これ欲しかったんじゃ」

『ペットに私物はいらない』

「欲しかったのは否定しねぇのかよ」

『でも貴方も欲しかったんでしょ?』

「俺が?これを?」

『ちらちら見てるの、気づいてないと思ったの?』

その言葉に俺は少したじろぐ。見てた?俺が?

「まぁ別にいらないってんなら貰うけどよ……」

俺は抱えるくらいのシロクマを受け取る。少しくすんだそれはじっとこちらを見ていた。

『うん、そうするべき』

「……」

『それ、だいじなもの?』

「……」

『取り方も知ってた』

「別に。昔似たようなのを一度やった事があるだけだ」

『そう』

「これ、やるよ。荷物が増えるのはゴメンだ。俺にそーゆーのは気にしなくていいよ」

続きそうになった言葉をかみ殺すと、俺は雑嚢を床に置き腰を下ろす。

彼女は俺から返されたそれを少し驚いたように見ると、少し逡巡した後に顔を埋めた。

『……ありがと』

「気にすんな。お互い様だ」

『けど、それなら』

「おう」

『私のことも気にしないで』

彼女はそこで迷ったように一度ペンを止めて、そしてこう書き加えた。

『私のことは大丈夫だから。私のせいて傷つく人はいなくていい』

それ以来、彼女はもう何も書かなかった。俺はカウンターの奥にいる誰かに思いを馳せ、砂嵐ばかり眺めていた。


結局嵐は朝まで開けることはなく、そして追っ手の姿もなかった。或いはゲーセンの電源が落ちた事で追跡を巻けていたのかもしれない、ということに途中で気づいた俺は物言わぬネムに静かな感謝をしていた。

「起きろ。出るぞ」

俺はコインを指で弾きながら、ネムを起こす。砂嵐が開ければ視界が開ける。そうすれば追っ手に有利だ。それに嵐のうちはある程度足跡が誤魔化せる。まだ少し強い風が吹いていたが、俺は割と早くここをあとにしたかった。

(追っ手なんて居ないのかもしれないが……)

あの襲撃者。暴走した能力者やある種の異能災害の可能性も充分にあったが、どうにもあの人影は追ってくるような気がしてならなかった。

(どこかで見たきがする。けど、どうしても)

思い出せない。まるで幽霊を探しているような気分だった。

『起きた』

「よし、出るぞ」

俺はゲーセンの扉を開ける。ざー、という砂の音が鳴り響き、俺のコートもゴーグルも直ぐに砂まみれになった。俺は振り返りネムの様子を見たが、彼女の透明な膜はしろくまにも適用されているようで、その白さを放ち続けていた。

砂嵐はゲーセンを出てしばらくすると弱くなりはじめ、1時間もすると殆ど止んでしまった。

「チッ、もうちょい吹いていてくれりゃ家だったってのに」

目的地まではあと一時間ほどで着くが、俺としては存在するかわからない追っ手はこの辺で確実に巻いたと確信しておきたかった。

(っつてもつけられてる気がするってだけなんだけどな……。さすがに被害妄想だったか?)

焼かれた右腕がちらりと疼いた気がした。

『大丈夫?』

「あぁ。気にしてもどうにもなんねぇし、先いくぞ」

そうして俺たちは幾分か不穏な空気を感じながらも何も無いままにいくつかの谷を超えて目的地に着いていた。

「やっと着いた」

俺は 一昨日にいた拠点ほどでは無いものの大きな町の残骸に入った。

『ここが家?』

「いや。ここには仕事の報告に寄っただけだよ。家も近いけどな」

俺は街中を足早にゆくと廃墟になったターミナル駅にやってきた。崩れかけて砂まみれになった改札を超え、俺は4番線のホームに降りる。半分以上砂に埋まったそこには無愛想な鉄の扉が砂に埋まっていた。それを見たネムが微かに強ばるのが目の端に見えた。

「俺の用はあの先だ。怖ければ待っててもいいぞ」

『ううん』

「いいや、その必要は無い」

大丈夫、と続けようとしたであろうネムのペンを食い止めたその声は、俺のよく知る声だった。

「どうやら厄介なことになっているようだな。詳しく聞かせてもらおうか」

有無を言わせぬ低く響く声に、ネムが俺の袖の端を掴む。

「いや、怖がらせる気はなかったんだがな……。はは、参ったな」

男はその様子を見て少し焦ったようで、珍しく狼狽えていた。

「あんたがそんな顔するなんて思わなかったよ」

苦笑いで頭をかく男は、黒いコートに身を包んではいたが、そのコートには砂粒一つついておらず、頭には品のいい中折帽を被っていた。

「そうか?どんな顔をしているのか気になるとこではあるが、どうだった?」

「西の方からの連絡はあんたの読み通りなし。一応港の方まで足は伸ばしたがこっちも収穫はゼロ。一応導入のギルドで聞き込みもしたがそれも空振り。ゴーストは完全に消息を絶ったみたいだな。これじゃいよいよ幽霊探しだ、長くなるぞ」

ゴースト。それはとある能力者の通り名で、オレは二ヶ月ほど前からそいつと対立していた。

「そうか……。ゴーストは地下に潜ったか……」

そして目の前に立っている男がその対立の原因だった。

「で?どうする?Mr.ドガ。まだ探すか?」

「いや、やつの能力じゃ見つけるのは無理だろう。とにかくしばらくはやつがこの国で動けないようになっててくれればそれでいい。お前とトラブったって話が生きてる間は大丈夫だろう。御苦労だったな御徒」

ドガはそう言うとポケットから、封筒を取り出す。俺は差し出されたそれを受け取ると、中身を確認する。いつもと同じ額がギルドの通貨で入っていることを確認すると、俺はそこから何枚か引き抜く。

「で、だ。厄介なことになった」

「だろうな。あの御徒旅人に連れがいる。どういう心境の変化だ?」

「そっちは大したことは無い。成り行きってやつで仕方なく。それより砂漠で襲われた」

「誰に?」

「わからないからあんたに聞いてる。背丈は150くらいのパイロキネシスト。暴走能力者や異能災害の可能性もあるが、意思の疎通は取れた」

「場所は?」

「ここから南に10キロとか?何せ砂漠のど真ん中。それにここいらは『帝国』の影響を微妙に受けてるから距離って概念は当てにならん。わかるか?」

「それだけわかっていれば。ただ時間はかかる。明日来てくれれば情報はまとめておく」

「なるべく早めで頼む」

「金を貰った以上は仕事だ。情報屋として手は抜かない」

「助かる」

「それとなんだが……」

「あ?足下見る気なら他所当たるぞ。俺の懐の寒さはあんたがいちばんよく知ってるよな?」

「違う。金は充分だが、その子だ。能力者か?」

「あぁ。規模から見て超越級以上は確定」

「気をつけろ。その子のためにもな。能力は時に暴走するものだ」

「肝に銘じとくよ」

俺はネムに行くぞ、と声を掛ける。

「それじゃ……」

頼んだぞ、と言おうとした時にはもうドガはそこにいなかった。

「相変わらずせっかちだな」

俺は未だに警戒心を解いていないネムを見ながらそう呟いた。だから怖がられてるってわかんねーかな。

『誰?仕事って何?』

ホームを抜け改札を出たあたりでネムは移動しながら書いては消していたスケッチブックを見せてきた。

「あれか?あれは俺の依頼主。仕事は情報屋ってやつだよ」

そう、情報屋。金を積まれて情報を集める人物。更にやつは金次第で情報を集めて流すまでやる一流だ。

「んでもってその情報のいくらかは俺が仕入れてる」

やつはハンドラーと呼ばれる統括役だ。実際にはその下に俺のような犬を何匹も飼っており、その犬の優秀さと犬をまとめあげる手際の良さがドガの売りだった。

『貴方は何をしてるの?』

「俺か?街のやつに話聞いたりだよ。ギルドとか酒場とか人が集まるところに出向いて情報を集める。そんなもんだよ」

これは嘘だ。実際はこんなぬるいものだけでなく、もっと後暗い仕事も多くあった。ドガを通した依頼もあれば俺がソロで受けたものもあり、ゴーストとの対立はドガを通して受けたものが原因だった。

「まぁ心配すんな。ゴーストは当分この国にはいられないようにしてやった。襲われるようなことはねーよ」

実際、道中で襲ってきたやつがゴースト絡みの可能性もあったが、裏切りが十八番の裏切られた男が他人を雇って襲撃してくるのは違和感があり、やはりやつの脅威はもう去ったものだと俺は判断していた。

『名前、知らなかった』

「え?」

『貴方の名前。なんで言わなかったの?』

「聞かれなかったから」

『それは、そうだけど』

「だけど」

『嫌なの。貴方のことを知らないことが。私が傷つけたのに』

彼女はまるでそれが不誠実であるかのように綴った。

「……あれは偽名だ」

『え?』

「これでいいだろ。お前しか知らないことだ、誰にも言うなよ。俺が消される」

『うん』

少し嬉しそうにそう書いた彼女を見て、俺は何がそんなに嬉しいのかわからなかったが、適当に頷いていた。

「あと、もうひとつ」

『なに?』

「俺のことは信じるな。いいな」

その言葉に、彼女は少し傷ついたような顔をした。

『何故?』

「信用出来ない臆病者だからだ。だから、これを渡しとく」

俺はコートのを捲ると、腰に指した拳銃を手渡した。

『なにこれ』

「グロック17カスタム。セミオートピストル。9ミリのパラベラム弾が十七発はいる。落ち着いて狙えば必ず標的は黙らせられる」

『貴方も?』

「俺もだ」

この言葉に嘘はなかった。この銃は唯一、俺を殺せる銃だ。俺はそれほどにこの9ミリの拳銃を信頼していた。

「俺はお前を裏切ることがあってもそれは絶対にお前を裏切らない。だから信じていい」

『いらない』

「そうか」

ネムに押し戻されたそれを、俺はホルスターにしまう。

『私は貴方のことを信じてる』

「……おすすめはしない」

『それでも。信じるから。だから名前を知りたい』

「なんで?」

『信じてる人は名前で呼びたい』

「……名前は忘れた。呼びたきゃすきに呼べ」

この言葉は嘘だった。俺は何を言われてももう答えなかった。

シロクマが、恨めしそうに俺を見ていた。


駅を出たあと、俺たちは無言なままビル街をぬけ民家のある地区まで来ていた。そうしてしばらく歩いているうちに、目的地が見えてきた。

「……ただいま」

「にーさん!!」

古びた建物の扉を開くと、そこに待っていたのは黒神を腰の辺りまで伸ばした不健康そうな少女だった。

「よう、元気だったか?」

「はい!にいさんは?」

「ぼちぼちだな。ちび共は?」

「みんな元気ですよ」

「そうか」

「それで?そちらの人は?」

「あぁ、こいつか?ほら、そちらの人、自己紹介」

『ネム。この不審者のペット』

「……兄上、お話が」

「いや、ちょっと待ってくれ。本当にちょっと待ってくれ。これはさっき少し揉めたからで」

「ほう?妹の前で痴話喧嘩ですか?この歳で恋人のひとつもいない妹の前で」

「いや、そのホントに違う、待ってくれ。恋人が居ないのはさすがにお前のせいじゃなくて世界のせいだし、それにこいつは俺の恋人でもなくペットでもねぇ。砂漠で途方に暮れてたんだよ」

「まぁ、大変」

『貴女は誰?』

会話に置いていかれ、不機嫌そうなネムはそう書いたスケッチブックを見せつけてきた。

「これはこれは失礼を。私は御徒旅人の妹の御徒優依と言います」

「血は繋がってないけどな」

「酷い!わざわざ言わなくても!!これは後でお話ですね」

「へいへい」

『で?私はどうなる?』

「あぁ、ごめんなさい。なにぶんにいさんが人を連れてくるのは初めてで。是非ゆっくりしていってください。ここは貴方の家ですから。ね?にいさん?」

「さぁな。好きにしろ」

「まぁ酷い!ねぇネムさん、ゆっくりしていっていいですからね?行く宛てがないのなら住んでしまっても構いませんから」

勝手にはしゃぐ優依を他所に俺は中に入る。

「にいちゃん!!」

「にーちゃんだ!!」

「兄ちゃんが帰ってきた!!」

中に入るとワラワラとチビ達が飛び出してきた。

「ったく。元気だったか、お前ら」

「うん!」

「デンが腹壊した!!」

「でももう治った!!」

「あのねーちゃんなに?兄ちゃんの彼女?」

「あーうるせぇうるせぇ。デン!お前また腹壊したのか!大丈夫か?あと彼女とか言ったやつ!姉ちゃんにころされたくなきゃ二度と言うなよ」

「ありがとにいちゃん」

「もう言わないよにいちゃん」

俺は次々に群がってくるガキ共を掻き分けると、広間の奥の窓台に腰を下ろす。

「ほらほら、にいさん困っているでしょ?それにみんな今日のやることはまだまだありますよ?」

優依の言葉で、はーい!という声と共にガキ共は散り散りになる。

俺は窓台に置かれたクッションとブランケットを纏うとそのまま目を閉じた。


「にいさん、起きてください、にいさん」

そうやって起こしてきたのは優依だった。

「ん、どした?」

「もうじきご夕飯です。起きてください」

「ああそうか、それじゃ」

窓台を立とうとした俺の上に、優依が覆い被さる。

「……優依?」

「にいさん。私が妹ではダメですか?」

「……さっきのことか?」

「はい」

「ダメじゃないよ。ただ、血なんてどうでもいいだろ。そういう話だ。そんなものに頼らないといけないほど、俺たちは薄くない」

「それでも、わたしはにいさんの妹がいいです」

「ありがとな」

「ごめんなさい」

「あやまんな」

「ごめんなさい、困らせてしまいましたね」

彼女は短く鼻をすすると、俺の上から退いた。

「……もう、そろそろ行くか?」

「えぇ、そうですね」

「……みんな元気だったか?」

「ええ。大丈夫でしたよ。デンがいつものようにお腹を壊したくらいで。にいさんこそ、大変でしたね」

「何が……って、ネムから聞いたのか」

「はい。にいさん、私にいさんには傷ついては」

「わかってる。やばい橋は渡ってねーよ。約束したからな、俺たちは」

「……はい」

「……ごめんな」

「謝らないでください。優依まで悲しくなります」

「そうだな」

「それよりもネムさんは言い方ですね。おしゃべりさんでは無いみたいですが、みんなのために絵を描いて下さったり」

「へぇ。上手かったか?」

「それがもう下手っぴで、おかしくって。失礼とはわかっていたんですが、私」

優依は思い出したようにクスリと笑った。

「……へぇ。それは起きてればよかったかな?」

「是非見てください。コウが宝物にすると言って1枚貰ってましたから」

「それはいいこと聞いた」

そういえばあのスケッチブック、いつも白紙か何らかの文字しか見た事なかったな、とふと思った。

「はーい!みんな!ご飯ですよ!!」

「もう準備できてるよ!!」

「お腹すいたー!!」

『優依、早く』

「ねーちゃんまだー!?」

食堂に入ると一気にチビ達の声が聞こえる。

「いや、おい。一人違うの混ざってるだろ」

『お構いなく』

「いや、それ俺のセリフ……」

「にーちゃん、うるさい!!」

「お腹すいたー!!」

「はいはーい!みんな静かにー!いただきますしますよ!」

「「「はーい」」」

「いただきます」

「「「いただきます」」」

いただきますをした子供たちは静かに食事を始める。

「……いただきます」

俺も席に座ると、今日の晩飯を確認する。ボソボソのパンに微かに肉の匂いのするシチュー。水差しにはきれいな水が入っていた。

「……美味いよ、優依」

「はい、ありがとうございます」

『美味しい』

いただきますもスケッチブックで参加していたネムも、そう書き込む。そこには久しぶりの平和があった。

「ご馳走様」

ちび共より少しだけ早く食べ終わった俺は、食器をまとめて流しに下げる。久々に見た家の流しはステンレスの名に恥じることなく鈍く輝いていた。

席に戻ると子供たちも何人かは食べ終わっており、俺と入れ違うように流しに走っていき、食器を片付けると食堂から見える広間で遊び始めた。俺はそれを横目に席に着くと、まだ食べているチビたちを見ながら文庫本を開いた。何度も読んだ文字の上をスラスラと視線が滑る。

「にーちゃん!!何読んでんの?」

「鎌池和馬」

「何それ!?面白いの?」

「最高のラノベ」

「じゃあ貸して!」

「……ねーちゃんより背ぇ高くなったらな」

「約束だかんな!」

「任せろ」

破るのは得意だ。

「ふぅ。ご馳走様でした」

そんなこんなで最後まで食べていた優依が食べ終わった。

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