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第7話 やがて朝は来る

 この場において、ただ一人キャロル・ヒルデ・ヌメマディだけが平静を保っていた。魔導書を託した青年のそばで、じっと事の行く末を見守っている。


 間もなくして、赤髪の魔術師を包んでいた黒い光が晴れた。


「……帰ろ。なんか急にめんどくさくなっちゃった」


 赤髪の魔術師は気怠そうに呟いて、くるりと踵を返した。そこに、先ほどまでの強い敵は感じられない。むしろ、とても無気力に見える。

 同時に、永俊たちの後ろに展開されていた炎の檻も消え去った。


「えっ⁉ いや、お前ちょっと待て、よ……」


 遠ざかる魔術師の背中を永俊は追おうとした。だが一歩を踏み出すと、その身体は大きく崩れた。

 魔術を使った代償か。それともずっと張り詰めていた緊張の糸が切れせいか。永俊は気絶してしまった。

 

 素早く受け止めるキャロル。重さに耐えかねて、ゆっくりと永俊を地面に横たえた。彼女の顔には、どこか安らかな笑みが浮かんでいる。


「減欲の魔術、かな。効き目は相当なものだった。でも、そこまで高尚とは呼べないかな」


 残念そうにキャロルは呟いた。その視線は、永俊が握りしめている白い魔導書に注がれている。


「ま、一つ目にしては上出来かも。アタリの部類ね」


 すぐに女魔術師は、くすりと笑みをこぼした。どこか仕方ないといった雰囲気が漏れている。


 他人の意思を意志させるというのは、催眠や暗示の魔術に分類される。一般人に対しては強力だが、魔術師相手になると微妙だ。自己干渉を防ぐ、というのは、魔術師としては最優先事項。

 しかし、あそこまでの効力を発揮したということは、永俊の使った魔術についてはそれなりに高ランクだったということになる。


 これは幸先がいい。自分の夢の実現にとって大きな一歩。欲を言えば、最初だからこそもう少し珍しいものがよかった。

 あの程度なら、自分だって扱える。キャロルはちょっとだけ複雑な気分になっていた。


 ともかく、今はこのぐっすり眠っている青年の処遇について、だ。

 キャロルは、軽く空を仰ぎ見た。そこにはただ星々が煌めくだけで何もない。


「カオルコ、運ぶの手伝って~」


「時間外料金払ってくださいね、主様」


「はいはい、意外とがめついなぁ」


 虚空に向かって声をかけたキャロルは、顔を顰めてかぶりを振った。

 そして、永俊を置いてゆっくりと歩き出す。



        ◇



 季節外れの肌寒さに、俺は目が覚めてしまった。

 ちょっと身体を震わせながら、ゆっくりと瞼を開いていく。


 すると、そこには青空と無数の屋根が広がっていた。


「は? へ? ぎゃあああ!」


 目の前の壁には大穴が空いていた。下手に動けば、そのまま外へと真っ逆さまになりそうだ。


 恐怖を感じて、咄嗟に悲鳴を上げてしまった。反射的に、穴とは反対側の方へと転がっていく。


 ドスン。

 動転し過ぎて、無様にベッドから落ちてしまった。身体が軋み越えを上げるもの、上がりまくった心拍数の方が気掛かりだ。


「な、なに、どうしたのえーちゃん!」


 あまりの騒がしさに、姉貴が部屋に飛び込んできた。なんだろう、このデジャブ。


 初めこそ不安そうな姉貴だったが、すぐにその顔に戸惑いの色が広がっていった。どこか気まずそうに微笑みかけてくる。


「……えーちゃん、そんなに寝相悪かったけ? あ、怖い夢でも見たとか。意外とかわいいところあるねぇ」


「何言ってんだよ、バカ姉! この部屋のありさま見たらわかんだろ」


「むむむ、どうしてバカ呼ばわりされないといけないのかな。あんまりわけわかんないことばっか言ってると、おねえちゃん怒るよ?」


 腰に手を当てて、ぐっと顔を険しくする姉貴。その声にも、少しだけ不機嫌な色が混じっている。ただ怖さは少しも感じない。


 どうも姉貴はこの部屋のありさまに気がついていないらしい。姉貴の性格からして、この状況でここまで普段通りに振舞っているのはおかしい。


 そんなことは絶対にありえないと思う。俺の方を見ているということは、必ず壁の大穴は目に入る。二つも空いてるし。


 やや困惑していると、カーペットに描かれたあの魔法陣が目に入った。昨夜、暗闇の中で見た時と同じで、淡い光を放っている。


「まったく、変なえーちゃん。急がないと、遅刻するよ」


「あ、ああ。わかったよ」


 姉貴が部屋を出ていくのを、俺は戸惑いながら見送った。さっきまでの焦りは収まったが、新たに疑問が降って湧いてきた。


 ちらりと見ると、窓側はもっと悲惨な光景が広がっている。開き切ったカーテン、役割を失った窓、素敵なフォームへと生まれ変わった勉強机。

 この惨状から察するに、昨夜の出来事は夢ではなかったらしい。夢であれば、どんなによかったことか。


 ぼんやりと、記憶を思い返してみる。

 魔術らしき言葉を発した後のことは、いまいち覚えていなかった。急に方向転換した赤髪女。それが俺の覚えている最後の映像だ。

 こうしてここにいるということは、ひとまずは危機が去ったということだろうか。でも、あの赤髪なんで急に――


「とにかく、キャロルにはちゃんと礼を言わないとな」


 きっと、あいつがここまで運んできてくれたんだろう。

 そもそもの騒動の元凶な気はするが、放置されなかったことはありがたい。あの小さな身体じゃ、大仕事だったに違いない。


 問題は、あのロリ魔術師がどこでどうしているかだが。

 ぶっちゃけ、もう少し面倒を見ろ、と思わないこともない。これだけ、人の部屋をめちゃくちゃにしたわけだし。


「…………学校、行くか」


 のっそりと立ち上がって、改めて部屋をぐるりと見渡した。

 そこで初めて気が付いた。


 枕元に、あの『開闢の魔導書』が置いてあった。その表紙には、くっきりと俺の血判が押されていた。

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