1話 魔王、幼女になる
異様に大きな月が浮かぶ空に、世界が崩れたかと錯覚するような轟音と衝撃が響き渡った。
魔の国の中心、月を喰らわんというかの如く高くそびえたつ城、その頂点から粉塵が吹き上がり、一人の魔人が宵の空へと躍り出る。
竜のような厳つい翼に、見るものに恐れを抱かせる2本の角。漆黒の鱗に覆われた剛腕は月の光により禍々しい光を放ち、まるで闇を纏っているかのようだ。
──その名を口にすることすら畏れ多い、大魔王ゼノファリウス。最強の魔人に恐れをなしたかのように、薄く漂っていた雲が虚空へと消えてゆく。
再び魔王城から煙が上がり、四人の魔人が飛び出した。赤髪の巨漢、グレオン。黒髪の少女、カリーナ。一本角の戦士、オーバル。仮面の女、ヒリマ。四人とも、つい先程まで魔王の手下だった者達だ。
四人は魔王を取り囲むように浮遊し、それぞれ武器や杖を構え魔王を睨みつける。かたやその中心にいる怪物は余裕綽々といった感じで、不敵な笑みを浮かべている。
四人の目的は革命、すなわち魔王の討伐。いかに最強の魔王といえど、魔王軍の幹部が四人がかりではただではすむまい。
四人は逃がすまいとじりじりと感覚をつめ、目配せで合図をする。そして──
魔王の首を取らんと、一斉に襲い掛かった!
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目の前で倒れ伏すグレオンとオーバルをぼんやりと眺めながら、この俺──魔王ゼノファリウスは内心でため息をついた。
弱すぎる。何やら企んでいるのをわざと見逃して、わざわざ毒入りの夕食まで食ってやったのにこの有様だ。
まあいい。本命はこいつらではない。今回の計画にはアイツが関わっているはずだ。アイツならばもしかしたら、この魔王の度肝を抜くようなことをしでかすかもしれん。
と、俺が物思いに耽っていると、背後から疲れた声がかけられる。
「はあ…主様、ご無事で?」
「ハハハッ!随分と手こずったようだな!エリーゼ!」
見ると、血だらけの女性が立っていた。彼女の名はエリーゼ、俺の腹心である。先ほどの四人に便乗した雑魚魔人達の相手をしていたが、顔に浮かぶ疲労見るに一筋縄ではいかなかったらしい。
「笑いごとじゃないですよ…ああも数が多いと…いや、そんなことより主様、レナータの姿が見えません。奴のことだから何か…え?」
呆然と俺を見つめるエリーゼ。釣られて自分の胸をみると、
──胸の中央から剣が突き出していた。
それを自覚した瞬間、焼けつくような痛みが全身を襲う。痛むのが胸だけではないのは、おそらく何らかの呪い。それをなした犯人は──
「────レナータッ!」
今までいったいどこに隠れていたのか、怒号を挙げるエリーゼには目もくれず、レナータは血まみれの剣を再び俺に突き刺さんとする。が、重傷を負っているとはいえ仮にも魔王、あっさりと避け、反撃の裏拳を叩き込む。あまりの速度にレナータは防ぐことも叶わず、ゴム毬の如く吹き飛び城壁に突き刺さった。
「魔王様!ご無事で!?」
「む?…これは‥‥!」
「ま‥魔王様…?」
エリーゼが俺に駆け寄るが、どうにも体の様子がおかしい。傷口から煙が上る。手についた血を見ると、一瞬で血が燃え上がった。
「これは…」
「神の呪いか…!魔人のくせに神と契約するとは気に食わんが…だが…!クク…それでこそだ‥!」
城壁が崩れ落ちる。血まみれのレナータは、ふらつきながらも俺を睨みつける。
「グ…手段を問わず魔王を倒さんとする…その気概を称し!魔王の座を貴様に譲ろう!!…ゲホッ」
「な…!?魔王様!?」
そうだ、まさしくこれだ!神なんぞの力を借りるなど夢にも思わなかった!だがそうでなくては!魔王を討たんとするなら、俺の予想など軽々と越えてこなくては張り合いがない!
気持ちが昂り、血反吐を吐きながらも俺は叫んだ。その吐いた血も瞬く間に燃え上がり、全身が灼炎に包まれる。せっかく盛り上がるシーンだというのに、なんとも邪魔な炎だ。
「グゥ…!鬱陶しい!時間がないか……聞け!レナータ!」
「…しばしの間貴様が魔王となる…だが…!俺は戻ってくるぞ!魔王の座を取り戻しにな!ハハハハハ!それまでせいぜい神に祈りでも捧げるんだな!!ククク…!ハハハハハ!ゲホッ‥ハァ…クソ!エリーゼ!行くぞ!」
俺が差し出した手をエリーゼが掴むと、足元に魔法陣が浮かび上がる。
「──!まて…」
起き上がり、とどめを刺そうとするレナータ、しかし一歩遅かった。空間がわずかに歪み、眩い光に包まれ──
「あーあ…あと少しで…」
──光が消えた時、そこには空気の揺らぎと燃え盛る血だまりだけが残されていた。
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──暗い。ひたすらに、どこまでも。暗く、昏く、幽く──
「─────」
───声が聞こえる。それはまるで、笑い声のようで。なぜだろうか、その声を聞いていると、どういうわけか───
───物凄く腹が立つ。 …誰だ…!俺を笑っているのは……!!
「──────ッ!?」
目が覚める。やたらと重い頭を揺すり眠気を飛ばし、あたりを見回す。
「…森か?」
豊潤に生い茂る緑。大自然の香りが強く鼻を衝き、射し込む木漏れ日からこれでもかと生命力が伝わってくる。大気中の魔力から考えて、魔の國ではない。人の國か、もしくは獣の國か。だがいずれにせよ───
「余裕がないが故のリスキーな転移だったが‥成功したのか?クク‥ハハハ!流石は俺様だな!」
ひとしきり笑った後、俺は、もう魔王ではない、ただのゼノファリウスは体の調子を確かめる。特に問題はないようだ。
いつも通りの、白く、透き通るような玉の肌。胸には微かに傷跡が残っているが、この程度ならば想定内。最悪後遺症が残ると思っていたが、神の呪いも案外大したことーーんんん?白く、透き通るような…?
違和感を感じ再び体を眺める。まずは腕。傷一つない白磁のような細腕。…かつて全てを捻じ伏せた、暴力の象徴のような剛腕は影も形もない。次に体。同じく白い肌に、小さく膨らんだ胸。その中央に残る傷跡が寧ろ背徳的な艶やかさを醸し出している。…かつて無敵の頑丈さを誇った、絶壁のような威圧感を与える肉体は跡形もない。
「───っ」
手をかざし、眼前に巨大な氷塊を出現させる。そこに映ったのは、ハッとする程美しい少女の顔だ。力強さの中に、どこか幼さと妖艶さを秘めている。…かつて目が合うだけで命を落とすとまで称されると共に、野性的な美しさで全ての魔人を釘付けにした凶暴で美麗な顔は想像もつかない。
「・・・」
おもむろに股間に手をつっこんだ。なかった。
「な、な、な───」
かつて恐怖と絶望の化身とされていた魔王は。
───幼女になっていた。