裸の付き合い
8
頭が沸騰しそう。
目の前にある体を直視できなくて、少しだけ視線を逸らすけど、その光景からは逃げ切れない。
寮の大浴場は、いつもはごった返しているのに、まだ皆が寮に帰っていない時間だから、私と竃山さんの二人だけだった。
そして私は今、竃山さんの背中を見つめていた。
『悪いと思ってるなら、お風呂を手伝いなさい』
そう命じられて、断るわけにもいかなかったので二人でお風呂に来たけど、いざ、こういう場面になると全然冷静じゃいられない。
目の前には裸の竃山さんが座っている。赤ちゃんみたいに白い肌で、大人の女性のようにしっかりとしたくびれのある体つき、そしてその体を守るかのような金色の長髪。
嘘みたいに綺麗で、もはや神々しかった。どうしても意識してしまって、顔がカァァッと赤くなる。
「あなた、ちゃんと洗ってる? 手が止まっていない?」
「あ、え、は、はいっ」
声を右往左往させながら答えると、彼女はため息をついた。
そっと、決して傷めないように彼女の髪を洗っていく。改めてこうして見ると、やはり美しかった。ずっと触れていたい……。
ダメだ、集中しないと……もしものことがあれば、この美しい髪を傷めてしまうかもしれない。そんなの、絶対にダメだ。
なるべく竃山さんの体を直視しないようにしながら洗っていく。
「……やっぱり、上手ね」
「ありがとうございます」
今度は素直にお礼が言えた。
髪を洗うのもお嬢様で慣れていた。付き人としてのスキルは、概ね身につけているつもりで、竃山さんがこうして褒めてくれると、素直に嬉しい。
「体もお願いしようかしら」
「えっ!」
「嘘よ」
体が一瞬で硬直してしまうほど焦ったけど、嘘だと言われてホッとした。
髪を洗うだけで、背中を見つめるだけで、こんなにも胸が高鳴っているのに、他のところもなんて、絶対に無理だ。
「……終わりました」
髪を洗い終えると竃山さんはそのまま、スッと立ち上がった。
すぐに顔を俯かせて、なるべく体を見ないようにする。
「ならお風呂に入るわ」
「わ、私は……もう少し、体を洗います」
「そう」
竃山さんが俯いた私の横を通り抜けていった。背中の方で、ポチャンと、彼女がお湯に入る音が聞こえたところで、ホッと一息吐いた。
タオルで隠している自分の胸にそっと手を添える。鼓動がとても大きくて、それがちっとも収まらない。
頭を冷やすために、頭からザバッとお湯をかぶった。
髪から滴り落ちるお湯を見つめながら、気持ちを整える。
落ち着け……。
「頑張れ、私」
そう自分に言い聞かせる。
「何を言ってるの?」
「ひゃあああっ」
気持ちを切り替えようとしたところで、急に真後ろから声をかけられて、今までで一番大きな声で驚いてしまった。
「静かになさい」
でも、驚かせてきた竃山さんはいつも通りだった。
「か、竃山さんっ」
彼女はいつの間にか私の真後ろにいた。
そして、私の後ろ髪の毛先を指で摘まんできた。
「え、あ、あの」
「あなた、人の髪のことを褒めているけど、あなたも綺麗じゃない。でも少し傷んでいるわ。ちゃんと手入れはしているの?」
「い、いや、えっと、その」
「人のことばかりじゃなくて、自分の身だしなみも気にかけなさい」
「は、はいぃ」
竃山さんの体、特にあの大きな胸が背中に当たっていて、さっきよりも激しく心臓が鳴っている。その柔らかい感触や、温かな体温が背中に直接伝わってきて、頭が真っ白になる。
ボフンッと頭が爆発しそうだ。
「それより、体は洗い終えた?」
「は、はいっ」
とにかく今すぐにでもこの状況から解放されたいから、早口で返事をした。
「なら早くお風呂に入るわよ」
竃山さんがやっと体をはなしてくれて、またお風呂にポチャンと入った。
肩までお湯に浸かったまま、竃山さんが振り向く。
「さあ、あなたも」
「い、いや、ダメです」
「何が?」
「一緒に入るなんて、とんでもないです」
首を左右にぶんぶんと振りながらそう遠慮した。お嬢様と一緒に入浴するときも、私はあくまでお嬢様のあとに浴槽に入る。
一緒に入るなんて、やってはいけない。
「竃山さんのあとに入らせてもらいます」
「ここのお風呂は学校のもので、あたしのものじゃないわ。遠慮など不要でしょう」
真っ当な理屈に言葉に詰まってしまう。それでも「だ、だめです」と、理屈のない拒否をした。
竃山さんと話していると、お嬢様との価値観の違いに戸惑うことばかりだ。私の常識はお嬢様に教え込まれたもので、これが当然だと自分では思っているけど、竃山さんはそれをあっさりと否定してくる。
高飛車なところとか、人の事情を鑑みないワガママなところは同じなのに、この違いはなんだろう?
そんなことをぼんやりと考えていたのがいけなかった。
いつの間にか、手首を捕まれていた。
「え」
気づけば目の前に竃山さんがいて、思わず「あわわわっ」とわけのわからないことを口にしながら目を逸らした。
「まったく、風邪をひいたらどうするの」
彼女は慌てふためく私のことを無視して、浴槽まで引っ張っていく。
抵抗なんてできなかったから、二人で並ぶようにお風呂に入るしかなかった。
手首を放してもらった私は、なるべく隣を見ないようにした。お風呂の湯加減のせいか、それとも驚きの連発のせいか、本当に頭が沸騰しそうだった。
「大丈夫? 顔が赤いわよ」
「……誰のせいで」
つい本音が出てしまい、慌てて両手で口を塞いだ。運良く聞こえていなかったようで、竃山さんは首を傾げていた。
「な、なんでもありません」
そう答えてから口元までお湯に浸かり、ぶくぶくと泡をたてる。
竃山さんと一緒にいると、いつもの自分じゃいられなくなる……。
「なら良いのだけど」
彼女はもう話しかけてくることはなくて、お風呂を楽しんでいた。ちらりと隣を見ると、穏やかな顔つきで目を閉じていた。
それは目を奪われてしまうほどの美しい光景だった。
あの西洋人形みたいな、童話から出てきたような顔立ちが、今にも眠りそうに落ち着いている姿は現実離れしていた。
また顔が熱くなっていくのがわかったので、お湯をバシャッと顔にかけた。
「…………っ」
でも、胸の高鳴りはどうにもならなかった。
お風呂から出ると、私は竃山さんの髪を乾かした。彼女には鏡の前で椅子に座ってもらい、濡れた髪にダメージを与えないように乾かし、ケアしていく。
「さすがね」
「ありがとうございます」
竃山さんは目を閉じたまま、気持ち良さそうにしていた。その顔を鏡越しに見ながら、私はつばを飲み込んだ。
「……もう、私には関わらない方がいいです」
勇気を出して、そう切り出しても竃山さんは反応しなかった。次の言葉を待っていた。
「また、今日みたいなことになってしまいます……。お嬢様は、感情の起伏が激しい方なので」
このままの関係が続いてしまえば、今日みたいなことがまた起こってしまう。
そんなのは嫌だった。
「生徒会のバックアップメンバーなんて、私には恐れ多いです。どうか、他の方をあたってください」
最初はお嬢様の命令だったし、そんな役目が自分に務まるわけがないって理由で断っていた。でも、今は違う。
この人に無駄な時間をとって欲しくない。
なにより、もうお嬢様に傷つけられるようなリスクから遠ざけたい。
「……ごめんなさい」
最後にそう謝ると、竃山さんはゆっくりと目を開けた。
「最後まで、あなたの意見じゃなかったわね。私は、あなたの意思を、言葉を待っていたのよ」
いつか言われた言葉を思い出す。やりたくないならそう言えと。そして私はそれから逃げた。今も、そうした。結局自分がどうしたいかは言わなかった。
ずっと、それを待ってくれていたのに……。
「あなたの意思を縛っているのは、乙霧?」
「……かもしれません」
明言できなかった。もうこれが普通になってしまっている。お嬢様がその一因であることは間違いなくても、それが全てかは自分でもわからない。
竃山さんはまだ髪のケアが途中だというのに立ち上がった。
「世話になったわね」
その一言だけ残して、脱衣所から出て行ってしまった。
もう、声をかけてくれることはないんだろうな。
もう、あの髪に触れさせてくれないだろうな。
自分から導き出した結末なのに、そう思うと喉の奥が熱くなった。歯をぐっと噛んで、溢れる何かを必死に堪えた。
心に大きな穴が開いたような喪失感が、私の心を確かに浸食していった。
なんだかいかがわしいサブタイトル・・・・・・ですが、ただのお風呂でした。
そして、最後には芙蓉がやっぱりって答えを出しました。
今週も土日はお休みです。
月曜から再開して、来週の金曜日が最終回となります。




