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あなたの声を聞かせて

「何をしているの」


 聞き覚えのある声に驚いてすぐに目を開けた。


 教室の入り口に竃山さんが立っていて、いつもの表情で、泣いている私を見つめていた。私が何をしようとしているのかなんて一目瞭然なはずなのに、取り乱したりもしない。


 いつも通り、落ち着いた態度。


「え、あ……」


 驚きのせいで言葉が出ない。そんな私を見つめていた彼女が、一歩だけ教室に入った。


「こ、来ないでくださいっ!」


 さっきは言葉に詰まったくせに、その拒絶ははっきりと口に出せた。


 竃山さんは一瞬だけ動きを止めたけど、またすぐに近づいてきた。


「こ、来ないで――」


「あたしに命令しないで」


 こんな状況なのに、彼女は近づいてくるのをやめてくれない。怖じ気づいた私が、逃げるように一歩ずつ引き下がっていった。


 でも、すぐに窓に背中がぶつかった。


「止まってください!」


 そう叫ぶと、あと数歩のところに迫っていた竃山さんがやっと足を止めてくれた。


 緊張と混乱のせいでハァハァと荒い呼吸を繰り返す私に対し、止まった竃山さんは悠然としていた。


「何をしているの?」


「……放っておいて、ください」


「質問に答えなさい」


 強い言葉に、ヒッと気圧されてしまう。こんな状況なのに、自分を人質にしているのに、全然優位にたてない。


「見て、わかりませんか?」


 でも、それが悔しくて、下手くそに笑いながらそう聞き返したら、ため息をつかれた。


「馬鹿なことはやめておきなさい」


「ばっ」


 頭にカッと血が上った。


「何が馬鹿だって言うんですかっ!」


 人に対して、こんなに強くあたったことはなかったけど、自分でも止められなかった。


「人間として、普通に生きることも許されないんですよっ! そういう、運命なんですよっ! なにが馬鹿なことだって言うんですか!」


 ただ普通に生きることもできない。それがどれだけ苦しいか、この人にはきっとわからない。


「ずっと、ずっと頑張ってきたのにっ、耐えてきたのにっ! やっと……やっと、終わると、思ってたのにっ……」


 最後の方は言葉にならず、ただの嗚咽だった。


「どうやら、乙霧と親に裏切られたようね」


 そんな叫びを聞いても、竃山さんはとても冷静で、私のおかれた状況を察していた。


「だから、死ぬというの?」


「そう、です……もう、これしか、ありませんから」


 運命から逃げる方法を、私はこれしか知らない。


 竃山さんは小さくため息をつくと、あの綺麗な金髪を手の甲でファサッとかきあげた。


「それでいいの?」


「いいって……これしか、ないんです」


 竃山さんが今度はキッと睨みつけてきた。


「あなたはそれでいいのかと訊いているわ。あなたの意思で、喋りなさい」


 また突きつけられたその言葉に、怯んでしまう。口を少し開けるけど、まるで口の中に壁があるみたいに、何も出てこない。


「答えて。それとも、また逃げる気?」


「に、逃げてなんか」


「逃げているわ。あのときも、今も。違う?」


 違わない。それは私が一番よくわかっている。


 私から目を逸らさないで答えを待つ竃山さんに、縮み上がってしまう。


「ど……どうでもいいんです、そんなことは」


 やっと口にした答えは、やっぱり逃避のものだった。


「ふざけないで」


 一歩、竃山さんが近づいてくるので、ハサミの刃先を自分の首に近づけた。


「こ、来ないでっ」


 そう叫ぶと竃山さんがすぐに足を止めた。


「止まったら、その馬鹿なことをやめるの?」


「そ、それは」


「やめないなら、止まらないわ」


 一瞬だけ止めた足を、また躊躇なく進めてきて、私へと近づいてくる。


「来ないでっ」


「嫌よ」


 こちらの都合なんて全く意に介さない傲慢な、でも確かな彼女の意思表示に、拒絶すら叫べなくなった。


 そして目の前に、竃山さんが立っていた。


「もう一度言うわ。馬鹿なことはやめなさい」


「――――っ!」


 素直に従うわけにもいかなくて、首を横に振りながら刃先だけを首に押し当てる。


 血が、ツーッと首筋を伝った。


「乙霧や親から逃げるために、あたしを捨てるの?」


「……え」


「呪縛から逃れるために、あたしとの繋がりさえ断ち切るというの?」


 想像していなかった質問。そして、想定できていなかった事実。一瞬で、頭の中が真っ白になる。


 窓から吹き込む風で、竃山さんの綺麗な髪が、ふわりと揺れた。それを目で追っていると、自分の中から明確な答えが――意思が湧いてきた。


「そ、それ、それは」


 震える声で何かを紡ごうとする自分がいた。ただ、瞬時に口を閉ざした。


 ダメだ、言ってはダメだ。


 それを言ったら、引き返せなくなる――っ。


「あなたは、それでいいというの?」


 目から自然と、涙が溢れてくる。熱いそれは私の頬を伝っていき、止まることはない。


「芙蓉、あなたの意思で、あなたの言葉で答えて。言っておくけど――」


 最後に彼女は自分の胸をバンッと叩き、その意思を誇るように声を張った。


「あたしは嫌よ」


 涙のせいで視界がぶれて、はっきりとその姿を捉えることができない。


 涙も嗚咽も止まらない。さっきまで必死にハサミの柄を握っていた手が徐々に、自然と下がっていく。


「わ、私も……」


 そして感情が、生まれてからずっと蓋をし続けていた口から、自制なんて無視して溢れてきた。


「嫌です……そんなの、嫌ですっ……」


 私の意思が、空気に触れていた。


 ずっと心の中にとどめていた感情を、みっともなく吐き出していた。一度そうしてしまうと、もう止めることなんかできなかった。


 私の話なんて聞いてくれないけど、いつだって私の意思を尊重してくれた。


 私がひどいことをしても、当たり前のように許してくれた。


 当たり前のことをしただけで、いつだって褒めてくれた。


 気ままだけど……すごく優しくて、温かくて。


 わかってる、この一週間で思い知ってる。私の心はもうこの人に――囚われてるんだ。


「そばに……いたいです……」


 竃山さんはそんな私のワガママに、こくんと頷くと、そっと手を伸ばしてきて、まだ未練がましく必死にハサミを握る私の手に優しく触れた。


「渡して」


 もう抗う気力なんてなくて、唯一の逃げ道である凶器さえ手放した。


 そして、そのまま膝から崩れ落ちた。


 床に涙が一滴、また一滴とポタポタと落ちていく。結局、私は逃げることさえできなかったという事実が悔しかった。


 そして何より、触れたこともない優しさが温かすぎてどうかしそうだった。それに初めて感情を吐露した衝撃が自分を揺さぶっていた。


「芙蓉」


 竃山さんが膝をついて、私と視線を合わせるようにしゃがむと、泣き続ける私の頭を、そっと胸に寄せてくれた。


 温かくて、優しくて、信じられないくらいに心地良かった。


「よく頑張ったわ」


 そんな言葉もかけられたことがなくて、また嗚咽を漏らしてしまう。


「わ、私っ、私は……どうしたら」


 結局、逃げ出すこともできなくなった私は、これからどうしたらいいんだろう? 竃山さんと離れたくないけど、私は両親やお嬢様に、囚われたままだ。


 竃山さんが何か言いかけたところで、廊下からドタバタと騒がしい足音が聞こえてきた。


「ぶちょー!」


 そして教室にあの五人組が駆け込んできた。ただ、泣いている私と、それを抱き寄せる竃山さんを見て、ピタッと動きを止めた。そして、それぞれ目を合わせる。


「ええと」


「タイミングを間違えたっぽい」


「これはあとで怒られるやつ」


「でも仕方ない気もするよ」


「眼福」


 いつも通り、矢継ぎ早にそれぞれが喋りだして、それを見ていた竃山さんが呆れたようにため息をついた。


「例の物は? ちゃんと預かってきたんでしょうね?」


 五人組の一人がそれに頷いて、竃山さんに二つ折りにされた白い紙を渡した。


「バッチリですよ」


 五人組が声を揃えてそう笑うと、竃山さんも小さく笑った。


「なら、行きましょう――立って」


 そう促されて、ゆっくりと立ち上がると竃山さんに手を握られた。そして、そのまま引っ張られていく。


「え、あの」


「いいからついてきなさい」


 いつもの調子でそう言われてしまうと、逆らえなかった。


 そんな私たち二人を、笑顔の五人組が「お気をつけてー」と、手を振りながら見送ってくれた。

この祥撫ってヒロインは、男前なんですよ。

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