囚われの少女と気ままなラプンツェル
「お前なんて、私がいなきゃ、存在価値のない人間なのよ」
人を完全に見下した態度で、幼少の頃から彼女は私にそう繰り返した。
反論なんてできなかった。いや、そういう発想さえできなかった。両親からもずっと「お嬢様の言うことには絶対に従うように」ときつく教えられていたから。
そして彼女も、私になら何をやってもいいと周囲から言われて育ち、そしてそれを当然と受け止めていた。なぜなら、そんな存在は彼女にとっては珍しくもない存在だったから。
そんな多くの存在の中でも、彼女にとって私は便利なものだった。同い年で、同性。屋敷の中でも外でも、私は彼女に従事するように教えられていたので、常に側にいたから当然だ。
幼少の頃から、彼女は私に無理難題を命じてきた。すごい高い木に登らせて、そこから飛び降りろだとか、わざと自分の持ち物を川の中に放り投げて、今すぐ取ってこいだとか。
拒否することはできなかった。一度、どうしても無理で断ったら、頬をぶたれた。さらにはそれを両親に言われ、両親からもひどく叱られ、屋敷の物置に丸三日閉じ込められた。
それ以来、私は彼女のどんな言いつけも全て従ってきた。
高校三年生になった、今でも。
1
「私、これから街に出かけるから、課題を全部片付けておきなさい」
土曜日の朝、お嬢様は週末に学校から出された全ての課題を渡してきた。
「はい」
「それと部屋を掃除しておいて。最近、埃っぽいわ。ていうか、これくらい、あんたが自発的にやってよ。空気が汚れてるとか、わからないわけ?」
「申し訳ございません」
「あと制服も。週明けには綺麗なのを着ていきたいからアイロンをかけておきなさい」
「はい」
屋敷にいた頃とは比べものにならないほどに狭い部屋。それが私とお嬢様に与えられた部屋だった。
ベッドと学習机が二つずつあって、それ以外には収納スペースくらいしかない。 世間では『お嬢様学校』と呼ばれている華月女子高等学校の寮の一室。入学当初、お嬢様が「貧乏人が住むところみたい」と顔をしかめながら評したことを覚えている。
そんな室内で彼女は立って見下しながら、正座をする私に命令を繰り返していた。
「晩ご飯の後に甘いものが食べたいから、適当に用意しておきなさい。まずかったら承知しないわ」
「わかりました」
お嬢様はとりあえず言いたいことを言い終えたのか、そこで一息ついた。
攻撃的なつり目に、少し高い鼻。セミロングの黒い髪。そして服装は、一目でブランドものとわかる洋服。そして、同じブランドのロゴがたくさん刻印されたバッグを肩から提げている。
「じゃあね」
「はい、いってらっしゃいませ」
「全部完璧にやっておきなさいよ。私に不快な思いをさせたら、ただじゃおかないから」
きつく念を押してから、お嬢様は街へと出かけていった。
彼女の足音が聞こえなくなってから、私は大きく息を吸い込んだ。
いつもこうなってしまう。彼女にあの高圧的な態度で命じられているときは、息をしている気がしない。ずっと首を絞められているような、そんな窒息しそうな感覚に陥る。
息を整えてから立ち上がり、彼女が散らかしていった室内を見渡して、どう掃除するかの手順を考える。
掃除が終わったら、お嬢様の制服にアイロンをかけて、課題を片付ける。
そう決めると、素早く取りかかった。
全てのことを片付けたころにはお昼を過ぎていた。
「お腹、すいた……」
そういえば朝ご飯を食べていなかった。食べる前に、お嬢様が出かける準備を手伝わされて、そのまま命令されたから、食べることを忘れていた。
財布を手に取って、部屋から出た。
この高校は全寮制で、全校生徒がこの寮で生活している。ただ、寮ではいろいろ縛りが多いから、土日になると多くの生徒が電車を使って少し離れたところにある街へ出かける。
そんな休日でも校内の食堂は開いているから、寮から歩いて数分のそこに制服のまま向かった。
同じように昼食を食堂で済ますため、多くの生徒が学校へと向かう道を歩いている。
いつもは制服姿の彼女たちだけれど、やはり休日らしい格好をしていた。
そんな中、制服の私は明らかに悪目立ちをしていた。
食堂ではパンと牛乳だけ買って、すぐにその場を後にした。とてもじゃないが、彼女たちと同じところで食事なんてできない。
ただ、そのまま寮に戻るわけにはいかなかった。部屋での飲食はお嬢様が嫌いで、禁止されている。何かのきっかけでばれてしまったら、ただじゃすまない。
だから逃げるように、中庭に向かった。
学校名に『華』という文字が使われているから、中庭には多くの植物が植えられていた。ただ、そのせいか、一部の生徒から「不気味」と嫌われているらしい。
そんな中にある一つのベンチに腰掛けた。
「……ふぅ」
やっと落ち着けた。
周りに誰もいない。そしてあの部屋でもない。ずっと続いていた緊張から解放された。その軽い気分のまま、パンに齧り付いた。
自分でも驚くほどにお腹がすいていたようで、かなりの勢いで食べた。
だから、気づかなかった。
「誰?」
すぐそばに誰かが近づいていることに。
声をかけられたことに、驚いて顔を上げると、目の前にすごく綺麗な女の人が立っていた。光沢のある金色の長髪が、まるで川のように腰まで流れている。細く整った輪郭に、青い瞳。
童話に出てくるラプンツェルみたい。
自分とは住む世界が違う人。それがすぐにわかった。彼女は、お嬢様たちと同じ側の人だ。
即座に立ち上がって、腰を深く曲げて頭を下げた。
「ごめんなさいっ! すぐにどきます!」
そう謝って、パンや牛乳パックを抱えると、急いでこの場から離れようとした。
そしてその彼女の横を通り過ぎようとしたときだった。
「待ちなさい」
手首を掴まれて、止められた。
「え」
「あなたも華月の生徒なら食事の途中で席を立つなんて真似はやめなさい。それに、そこのベンチは誰のものでもないわ」
凜とした声だった。
刺さるような響きを持った、冷たさを感じる声。ただ、そこに悪意や怒気は感じられない。きっと、これが彼女の地声なんだと思う。
「いや、でも」
「あたしがどかしたみたいで嫌だから、座りなさい」
断ろうとしたのに、こっちの意見を聞かずにそう命令してきた。
やっぱり、この人もお嬢様側の人だ。命令することに慣れていて、それを疑っていない。生まれつき、そういう環境にいるに違いない。
そうなると、私には断るなんてできなかった。言われるがまま、再びベンチに座った。
彼女は私の隣に座ると、すぐさま俯いて、ゆっくりと瞼を閉じた。
「え」
意外な動作に驚いて、声を漏らしてしまう。
どうやら彼女はここに眠りにきたようだ。
わざわざこんなところで……信じられない。確かに日向ぼっこはしやすいけど、寝顔をいつ誰に見られるかわからないのに。
というか、それならやっぱり私はどこかへ行った方がよかった。隣で人が寝ている状況じゃ、落ち着いて食事なんてできない。
彼女のよくわからないプライドのおかげで、いい迷惑だった。
食べかけのパンと睨み合ってしまう。食べたいけど、隣にいる彼女の存在が気になって、食べる気になれない。
「……食べないの?」
「ひゃっ」
急な問いかけに思わず身をすくめてしまう。隣の彼女が、細くうっすらと目を開けて、私を見ていることに気づかなかった。
「さっきはあんなに勢いよく食べていたじゃない」
「え、いや、あれは」
「みっともなかったわ」
ひどい言われようだ。ただ、そこに悪意や攻撃性は感じられなかった。単にそう思ったから口に出しただけ。
そんな雰囲気だった。
「あたしが邪魔なら言いなさい。先客はあなたなんだから」
「い、いえ、そんな」
「ならさっさと食べなさい」
なんだか噛み合わない。遠慮するなと対等な立場を見せつけたかと思うと、とんでもない命令口調。お嬢様のような、常に高圧的な態度とは違うけど、それだけに対処法がわからない。
ここでモジモジと悩んでいても仕方ないと諦めて、さっきよりずっと控えめにパンを食べた。
それに満足したのか、彼女は目を閉じて、再び昼寝に戻った。
「…………」
その横顔を見ていると、本当に綺麗でびっくりする。顔の作りに無駄がない。たぶん、両親のどちらかがヨーロッパ系の人なんだろうというのが顔立ちでわかる。
そんな彼女が、植物に溢れるここで昼寝をしている姿は、とても絵になっていた。
それを意識した途端、自分みたいな野暮ったい女が、隣にいることが申し訳なくなった。
パンを食べ終えると、そそくさと片付けて、逃げるように立ち上がった。挨拶をするほどでもないと思って、何も言わずに立ち去ろうとしたけど、そこで彼女がなぜか顔をしかめていることに気づいた。
彼女は急にポケットからヘアブラシを取り出すと、長くて綺麗な自身の金髪をとかし始めた。
よく見ると、彼女がとかしていたところは、確かに少し乱れていた。
「……なに?」
足を止めてその姿を見てしまっていた私に、不機嫌そうに彼女が訊いてきた。
「え、いや、ご、ごめんなさい」
そんな姿を見るのは良くない。立ち去ろうとしたけど、なんだか、足を進める気になれなかった。
見ていられなかった、というのが本音。
「あ、あの」
いつもなら絶対に自分から人に声をかけたりしないのに、どうしてこんな時に限って、こんな人を相手に、それができてしまったのかは自分でも不思議だった。
彼女はまだどこかへ行かない私へ鬱陶しそうな視線を向けた。
「だから、なに?」
圧の込められた言葉に、半歩ほど退いてしまう。
それでも、震えながら自分の右手を差し出していた。そして、そんなみっともなく震えている手に、彼女は首を傾げた。
「……か、か」
言葉まで震えていた。
「か、かして、く、くださいっ」
「……これ?」
彼女は手にしたブラシを私に向けながら、怪訝そうに確認してきた。
「……はぃ」
「――いいわ」
一瞬、答えに間があった。でもそれは当然で、いきなり見ず知らずの、しかも私みたいな女にそんなこと言われても、嫌がるのが普通だ。
でも彼女はベンチに背を預けたまま、ブラシを差し出してくれた。やはり震える手で、それを受け取ると、彼女の背に回った。
「髪に、さ、触っても、いい……ですか」
「髪に触らずにとかせるなら、やってみなさい」
「え、いや、できません……」
「なら、触っていいに決まっているでしょう。それを含めて、あなたにブラシを渡したわ」
つまらないことを訊くなという態度だったので、また謝ってしまう。
そっと髪に触れた。触れた瞬間、わかる。とてもよくケアされた髪だ。手のひらにのせると、流れるように零れおちていく。一本一本が綺麗で、全体的に艶がある。
すごい。
そして、そんな髪の中に少し癖のあるところを見つけた。彼女はさっきからここを気にしていたんだ。
私はその近くに、そっとブラシの毛先をいれた。そして、ゆっくりとブラシを流していく。髪の毛が傷まないように、引っかかったりして彼女が痛がらないように、気をつけて。
確かに癖がある。でも、全然大したものじゃない。気になるのは、それ以外のところが、完璧すぎるから。
この黄金の、宝石の川みたいな髪が、逆にそこを引き立たせてしまっていた。
そこを周りの髪と同様に整えていく。とかしていても、ブラシをしている感覚がない。それほど、彼女の髪は艶やかだった。
「……で、できました」
髪を自然な形にして、そう告げた瞬間、もう終わってしまったことにすごく残念な気持ちになった。
彼女はそれに対し、しばらく黙っていた。背中からじゃ表情がわからないので、その沈黙が怖かった。何か、気に障るようなことをしてしまったんじゃないかと、自然と汗が出てくる。
「……すごいわね」
「え」
「髪に触れられている感覚すらなかったわ。あなた、慣れているの?」
「あ、はい」
お嬢様の髪を今みたいに整えるのは仕事の一つだ。今朝もした。ずっとそうしているから、慣れていて、さっきの彼女の手つきが見ていられなかった。
「そう。いい腕よ」
「あ、ありがとうござい」
「じゃ、ブラシを返して。それ、大切な物なのよ」
とんでもなくマイペースな人。まさか感謝の言葉まで遮られるなんて思わなかった。
「は、はぃ」
ただ、こういう人に命令されると反射的に従ってしまう。ブラシの柄についた汗を拭き取ってから、彼女に返した。
彼女はそれをしまうと、後ろに立った私に視線だけ向けた。
「行かないの?」
そう言われて、自分が立ち去ろうとしていたことを思い出した。
「し、失礼しますっ」
足早に立ち去ろうとしたのに、また手首を掴まれた。今度も「ひゃっ」と声をあげてしまうけど、彼女は気にしてないようだった。
「名前」
「え、あ」
「あなたはそんな間抜けな名前なの?」
こっちが戸惑って声を詰まらせてしまっているのに、彼女はそんな意地悪を言ってくる。
そもそも『名前』しか言ってない。それを『あなたの名前は何ですか』と解釈しろというのは、なんというか、マイペースを通り越していて、ちょっとワガママだ。
「す、須井です。須井、芙蓉」
それでも癖で、素直に答えてしまう。
「芙蓉」
彼女はそれを聞き終えると満足したのか、手首をはなした。
「覚えておいてあげるわ」
そんな傲慢な宣言とともに。
本日より連載を開始いたします。
女子校が舞台の、シンデレラストーリーの主従百合となっております。
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あ
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