表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

きっと違わない

作者: うたう

 飲み物を買って戻ると、まどかは泣いていた。

 海沿いをドライブしていたが、まどかが少し酔ったと言うので、私は駐車できるスペースを見つけて、それから自動販売機へと走ったのだった。ぽろぽろと涙をこぼすまどかに、私は「大丈夫?」と声を掛けるべきだったのだろうが、少し離れたところで、私はぼんやりとまどかを見ながら、立ち尽くしていた。

 まどかとは、同僚に誘われて行ったコンパで知り合った。自己紹介もそこそこにすぐに連絡先の交換を申し出ると、まどかだけではなく、同僚にも「がっつくなんて、珍しいな」と驚かれた。一目惚れだった。顔立ちも声音も服装も、纏った雰囲気さえもが私の理想のタイプそのままだった。まどかは戸惑いながらもメッセージアプリのIDを私に教えてくれた。それから数えきれないほどのメッセージのやり取りと四度のデートを重ねて、私達は恋人になった。二ヶ月前のことだ。

 時おり潮風が鼻をくすぐる。不意に強く吹いた風がまどかの大粒の涙をさらい、夕日はすかさずその涙をとらえて煌めかせた。赤く染まったまどかの横顔を美しいと思った。私の理想をそのまま体現したかのように、まどかは本当に美しかった。

 正式に交際が始まると、それまで気にもとめなかった二人の差違に意識が行くようになった。私は肉料理が好きだが、まどかは魚料理が好きだった。ジャズが好きな私にクラシックを好むまどか。恋愛映画を見ようと言うと意外にもまどかはホラーを見たがった。些細なことだと頭では思うようにしていた。でも、まどかと私は水と油かというくらいに、何から何までもが違っていた。

 日が沈みかけ、昼の陽気が嘘のように少し肌寒さを覚えた。両手にある冷たいペットボトルの感触に、温かい飲み物にするべきだったかなと思った。思わず、くしゃみが出て、それでまどかは私に気がついた。

「おかえり」

 まどかは慌てることなく、右手でゆっくりと右の頬、それから左の頬の涙を拭った。

 私は「ただいま」と返してから、間抜けのようにようやく、「大丈夫?」と声を掛けた。

「うん。だいぶ楽になったよ」

 まどかはにっこりと笑った。

「いや、そうじゃなくて。泣いていたから」

 私は訊きながら、烏龍茶とオレンジジュースのペットボトルを掲げた。

 まどかは「ありがとう」と言って、烏龍茶を受け取った。キャップを開けると一連の動作のように、まどかはそのまま海の方を指さした。

「あれを見ていたら、なんだか悲しくなって」

 海は入り江になっていて、まどかが指を差す方向にはまた陸地が広がっている。指はその対岸にある古びたアパートに重なっていた。 

「あのアパート、知ってるの?」

 まどかは首を横に振った。

 解体工事が行われていて、ショベルカーがアパートの壁に爪を立てている。アパートの半分はもう崩されて瓦礫と化していた。壁とショベルがぶつかるときのガツンガツンという音とショベルカーのうなるようなエンジン音が潮風に乗って、私達の耳に届く。

「ああいうのを見ていると泣いてしまうの」

 まどかの言う「ああいうの」とは、対岸のアパートのように壊している最中の物や壊れかけて放置されている物、完璧に壊れてしまっている物のことであるらしい。それらの物に宿る、持ち主の想い出や過去の感情、そういうものに同調したような気分になってしまうのだそうだ。あるいはその物自体が有している気持ちが流れ込んでくるのかもしれないとまどかは言った。なにがなんだかわからないままに、感情が昂ぶってしまって、涙がこぼれるのだと、まどかは恥ずかしそうにうつむいた。

 子供の頃に住んでいた、家の近くにあった公園のことを私は思い出した。その公園にはベンチの横に猿の親仔の像があった。三歳か四歳くらいの頃の私の背丈より少し低い像だった。その猿の親仔の像を見て、私はよく泣いた。親猿が仔猿の背中毛を繕ってやっているところを模した像だったのだが、風雨に曝されたせいか、いたずらのせいなのか、ところどころ塗装が剥げていて、奇怪な様相をしていた。親猿は、鼻から上の塗装がほとんど残っておらず、黒目がなく殊更無機質であったし、仔猿は仔猿で、背中の大部分の塗装がなくなってしまっていた。像は、取り憑かれた親猿が仔猿の毛を毟ってしまったかのような見てくれだったのだ。

「大丈夫。怖くないよ」

 泣きじゃくる私を、母はいつもそう言ってあやしたが、私は怖くて泣いていたのではなかった。だが涙の理由を幼い私はうまく説明できなかった。

 あのときの私の涙と解体されるアパートを見てこぼしたまどかの涙は、きっと違わない。そう思った。

「わかるよ」

 私は後ろからそっとまどかを抱きすくめた。

「やだ。急にどうしたの?」

 不思議そうにまどかは笑った。

「別にどうもしないよ。もっともっとまどかのことを知りたいと思っただけ」

 壊れないように、壊さないように、そんなことを思いながら、私はぎゅっとまどかを抱きしめた。

「温かい」

 私の腕の中で、まどかがそう呟いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ