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とある少女のクロニクル  作者: うえりん
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最終話 アンナ②

最終話です。

神様が人の味方である保証なんてありません。むしろ遊び道具くらいに思っていたとしたら、なにより残酷な結果になるのではと考え、この小説を書きました。


 村に戻るわけにはいかない。また、この子を奪われる。


 トリスは森を彷徨い町を目指した。


 朦朧とする意識の中で、まだ死ねないと何度も呟いた。せめて、この子だけでも立派に育て上げてみせる。その思いだけで、トリスは歩き続けた。


 街道を見つけ、荷馬車に行き会う度に慈悲を請うがすべて断られた。子連れの浮浪者はなにをするかわからない。それこそ、手を差し伸べた瞬間腕を落とされ馬車を奪われることだってある。子を持つ親はなんだってするのだ。


 唾を吐きかけられ、泥水を啜って町へとたどり着いた。その頃になるとトリスは枯れ木のようにやせ細り、髪も泥と埃に塗れて灰を被ったように白くなっていた。目を凝らして見ても、その姿は誰の目にも老婆にしか映らないであろう。


 トリスは小便の匂いが立ち込める路地に腰を下ろした。ここならば、誰にも邪魔されることなく、ネズミや虫を採ることが出来る。


 翌日には物乞いを始めた。乞うための右手、娘を抱くための左手。血を飲ませるため、乳房を石で切り開きそこを吸わせた。


 一日座り続けていれば、一番安い銅貨一枚くらいなら手に入る。それを一〇日続け、トリスは立ち上がった。向かったのは、この町唯一の教会だ。扉を叩き、トリスは手を差し出した。


「ここは神の家です。物乞いは受け付けておりません。炊き出しなら、二日後、広場に来なさい」


 修道女は扉を閉めようとした。

 その隙間に、トリスは指を滑り込ませた。重い扉の力に負け、骨が砕けて血が滲んだ。


「なんてことを! 治療を言い訳に、中へ這入り込もうというのですか」

「違います。どうか、これを」


 そう言ってトリスが差し出したのは、土のついた銅貨だった。


「これで、この子にミルクを。どうか」


 修道女の顔がくしゃりと歪んだ。


「待ちなさい」


 中へと引っ込み、戻ったその手にはミルクの入った瓶と小さなパンが握られていた。


「これを持ってお行きなさい。決して、誰にも言ってはなりません。この町には、物乞いをする人が溢れています。知られれば、あなたは奪われこの教会も立ち行かなくなるでしょう」

「感謝します。これを」

「お金などいりません。ミルクは脇の下に挟み、人肌に。あなたもパンを食べる前に、せめて一口お飲みなさい」


 それだけ言うと、扉は今度こそ固く閉ざされた。


「ありがとう」


 トリスは言われた通りにした。まずは温くなったミルクを指先に浸し、娘の口へとつけた。小さな口が一生懸命指をしゃぶる。


「よかったね」


 トリスは初めて笑った。


 路地裏に戻りまどろんでいると、いきなり揺り動かされた。見れば、眼前にナイフが突きつけられているではないか。


「大人しくしろ。金を出せ」


 要求は簡潔だった。

 そして、聞こえる声は幼い。


「お前が金を持っているのは知ってる。物乞いをしていただろう」


 そう言って、トリスを殴り、服をまさぐる。トリスは泣きじゃくる我が子を抱きしめ、されるがままになった。


 子供は金を盗ると走ってどこかへ行ってしまった。殺さなかったのは、また同じようなことをするためだろう。金を持っていると危険だった。


「いいか。どうせ、使えないもの・・・・・・」


 町には店も屋台もあるが、トリスが近づくと水をかけるか唾を吐くかして追い返される。金はあってもゴミを漁るしかなかった。教会に行ったのはそのためだ。


 雪が降り始めた。


 石畳は体温を奪う。萎えた足は、ついに動かなくなった。娘を抱き、片手で這うが、どうしても雪に晒してしまう。


 ある朝目が覚めると娘が冷たくなっていた。トリスは絶叫し、死に物狂いで大通りへと這い出し叫んだ。


「誰か助けて! 助けてください! 子供が冷たくなっているんです!」


 通行人は彼女を一瞥すると、みな視線を逸らし歩き去った。店に助けを求めるが、やはり水をかけられる。それでも引き下がらないトリスに、店主は足蹴で応えた。


「そうだ、教会に……」


 教会、教会、教会……。トリスは娘を抱きかかえ、雪の中を這い進んで行く。折れた指は黒く変色し、既に感覚がなくなって久しい。馬車が跳ね上げる泥水から、必死で娘を守った。


 夜になり、教会の前に辿り着いた。これで我が子は助かる。そう思った矢先、何者かが目の前に立ちはだかった。


「浮浪者か。町の者が迷惑している。さっさとどこかへ行け」


 どうやら警邏隊のようだ。手にした警棒で手のひらを叩き威圧している初老の男と、その隣で顔をしかめる若者。


「お願いです、どうか助けてください。娘が冷たくなっているのです」

「娘だと? どうせお前のような親から生まれた子なんざ、ろくでなしに育つに決まっている。死んだのなら、むしろ喜ばしいことではないか」


 トリスが踊りかかった。自分を悪く言われるのは耐えられる。だが、娘を侮辱されるのだけは許すことが出来なかった。


 警邏隊員は豹変した女に面食らい尻もちをついた。トリスは萎えた腕で殴り掛かるが、あっという間にふっ飛ばされ石畳に叩きつけられた。


 足蹴が襲う。


「この野郎! ふざけやがって!」


 蹴られ踏みつけられ、体のあちこちが凹み足が変な方向を向いた。トリスは泣きながら娘を抱きしめ体を丸めた。


 その時、聞き覚えのある女性の声が聞こえた。


「一体何事ですか。ここは神の家です。その眼前で暴力など、とても許されることではありません」


 あの時の修道女だった。トリスは必死で叫んだ。


「娘を助けてください!」

「こいつめ!」


 顔を蹴られ、鼻血が噴き出し歯が折れた。


「おやめなさい!」

「チッ。おい、行くぞ」


 年嵩の男が怒鳴り、若い方が付き従った。しかし少し進んだところで引き返し、トリスの足元に銀貨を一枚、そっと置いた。


「・・・・・・失礼」


 顔を見られぬよう帽子を引き下げ、若い隊員は去って行った。


「さあ、あなたはこちらへ」


 修道女がトリスの腕を引き、抱かれた赤子を見た。


「……残念ですが、もうこの子は助かりません」

「この子は特別なんです! 神の寵愛を受け、神薬を飲んで生まれて来たんです! だから、どうか」


 修道女は首を振り、赤子の死体を包む布を引き上げた。


「いいえ、この子は既に神の元へと召されています。望むなら、教会の墓地で弔いを――ああ、どこへ行くの?」


 トリスは修道女に背を向けて、雪の中を這い出していた。


「待って、せめてこのお金だけでも」

「ミルクとパンを、どうもありがとう」


 修道女はなにも言うことが出来なくなった。


 大通りには人気がなかった。冷え込む雪の晩、男は酒場で盃を空け、女はベッドで子の寝顔を眺める。窓の外を這いまわるボロキレのような少女を見つけることなど出来ない。


「雪だよ」


 まるで今気が付いたかの如く、トリスは語り掛けた。


 いつの間にかこんなに重くなって、お母さん大変。もっともっと大きくなって、いつか立派な人になるんだよ。


「雪だよ」


 過度に栄養が不足し、怪我で熱を持った頭は、既に正常な機能を果たしていなかった。


 なるべく雪の少ない場所を選び座り込んだ。石の壁に背を預け、娘をあやしながら空を眺める。

真っ暗な井戸の底から蛍が飛び出している。そんな風に思えてトリスは微笑んだ。


 ことりと音がした。

 なにかと思い目を向けると、投げ出された我が子が転がっていた。


「拾わなくちゃ」


 腕を伸ばすが、一向に力が入らない。肘から先がぶらぶらと揺れる。悪戦苦闘していると、どこからともなく野良犬が現れ咥えて行った。追わなくてはと思うが、次の瞬間にはそのことを忘れてしまう。


「なんで、私、こんなところにいるんだっけ?」

「神の導きだよ」


 目の前に神がいた。


 黒くて長い髪が綺麗な女の子だ。神様はトリスの足元に何かを放った。無意識に手を伸ばすが、それがなんだったか、どうしても思い出せない。


「神様? そうだ、私、薬草を採りに・・・・・・お母さんが病気で・・・・・・」

「知ってる」

「それから、薬を飲ませたら、お母さんってば、すっごく太っちゃって・・・・・・」

「そうだね」

「それから、それから、あの子が、産まれて・・・・・・」

「うん。生まれて死んだ」

「・・・・・・ねえ」

「なに?」

「こっちに来てくれない?」

「いいけど、私を殺そうとしても無駄だよ。神は殺せないらしいんだ」

「そんなことしないよ。ただ、抱きしめてくれないかな」

「・・・・・・なぜ」

「寒いの」


 アンナは雪を踏みしめトリスの傍らへと向かった。膝をつき、手を差し伸べると、不意に笑顔とぶつかる。手が空中で静止した。


「なぜ、笑えるの。あなたは、あなたたちは、とても辛い目に遭った。私が遭わせた! ただの八つ当たりで人生をぶち壊しにして、なにもかも失わせた! あなたはなにも悪くない! なにもしていないのに、こんな目に遭って・・・・・・私だって――」

「神様」


 トリスの細い腕が、アンナを抱きしめた。


「神様、ありがとう」

「なに、言ってるの・・・・・・」

「神様のおかげで、私幸せだった。お母さんとまた話せて一緒に畑を耕して、子供まで産むことが出来た。短い時間だったけれど、本当に、心の底から幸福だった。だから、ありがとう。神様」

「・・・・・・アンナだよ」

「アンナ、なぜ泣いてるの?」

「・・・・・・あなたが、羨ましくて」

「そう」

「私は、あなたになりたい」

「なれるよ。私はどこにでもいる普通の女の子だもの。ただちょっと、神様に出会っただけ」


 トリスの体から力が抜けた。急速に冷え行く体を抱きしめながら、アンナは神の力を行使した。


 莫大なエネルギーが放出され、遍く世界に満ちて行く。

 この世に神なんて必要ない。

 人一人不幸に出来ない神など、役立たず以外の何物でもない。


 だから、(アンナ)は神(世界)を否定する。己の手で、無能な神様(システム)を駆逐する――


 魔素がその存在意義を失い、急速に劣化する。


 この日以来、世界は魔素を失い魔法と呼ばれる技術は死に絶えることとなる。代わってダークマターと呼ばれる正体不明の物質へと置き換えられ、物理法則が支配する世界へとシフトした。


 世界に奇跡など必要ない。


 そんなものがなくとも、人は己自身の力で前へと進むことが出来る。神は神の不必要性を認識したのだ。


 だから、この日を境に真の奇跡と呼ばれる現象は永遠に失われた。


      〇


 それはある小さな町の、雪が降り積もった路上で発見された。


 雪の塊をかき分けると、その中に枯れ木がボロを纏ったような少女が発見されたのだ。そしてその腕には、しっかりと赤ん坊が抱かれていた。


 誰もが、これは奇跡だと叫んだ。


 この世最後の奇跡。それは聖母の落とし子と呼ばれる存在。世界で一番愛された子。


 子には名前があった。生まれついてより自らを知っていた。

 

 名をアンナという。

                                          

                                      了


こんな暗い小説を読んでくださった皆さま、本当にありがとうございます。

半ば実験小説ですので、否定的なご意見、ご感想なども歓迎しております。今後の小説作りに、どうかご協力お願いいたします。

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