第二話 降臨
気づけば世界を俯瞰していた。眼下に広がるのは一つの惑星。青い海も茶色の大地もあるが、それらは見たことのない形をしている。
これが、私の世界。
そう自覚した途端、頭に情報が流れ込んで来た。世界を巡る魔素の流れ、生物の生息する地域と数、効率よく殺戮する方法。
それは正に神の視点によるものだった。人の頭ではパンクするであろう情報量だが、今のアンナはすべてを同時かつ超高速で考えることが出来る。
だが、肉体はない。
自分は今や世界に満ちた魔素として存在している。
これは魔力の元となる物質であり、世界に遍く満ちている。それらと一体になったアンナは、すべての魔法を自在かつ無制限に使いこなす存在となり、それこそ世界を手中に収めたことになる。
でも、なんだか落ち着かない。人であった頃の記憶に引きずられているからだろう。前世で四肢を失ったアンナには、それが一種の幻肢に近いことがわかった。
魔素を適当に集めて実体をなした。人型に固め、そこに意識を落とし込んだ。
「うん。この方が落ち着く」
声帯も問題ない。
見た目は一〇歳くらいの黒髪が綺麗な少女だ。
生前の、それも病床での姿にコンプレックスがあったので、飛び切りの美少女にしてやった。ストパーなんて必要ない美しいストレートヘアだ。
少し満足し、改めて眼下に広がる星を見た。
ふと、右手を差し向けビームを打ちそうになる。この世界では魔法と呼ぶのだろう。だが、寸でのところで思いとどまる。
半分くらいなら壊してもいいかなと思ったが、さすがに威力が強過ぎる。昔テレビで見た記憶によると、恐竜を絶滅に追い込んだ隕石でさえ、その大きさは直径一〇キロとか二〇キロくらいの大きさだったはずだ。今のアンナはそれくらいの大きさの石ころなど、光速で飛ばせる。地球どころかこの宇宙が消えてなくなる。
それではダメだ。
即死させるなんてもったいない。
限りある生の中で極限の苦しみを与える。それがアンナであり、この世界に現れた神の御心なのだ。
「とりあえず、誰かの親でも殺すか」
アンナは呟き、とある村に狙いを定めた。
そこを選んだ理由は、住人みんなが幸せそうだったからだ。
指先に光を集める。神の力で顕現した最悪の病原菌である。あまりやり過ぎると人類が滅亡してしまうので、感染力はあくまで弱めに。諸々の調整は様子を見ながらすればいい。神は全能なのだ。
世界にこの世初めての奇跡が舞い降りた。それは発光する小さな粒であり、それを目にした誰もが息を呑み、天を見つめ手を組んだ。その胸にあるのは偉大なる何者かの存在であり、これがつまりは宗教の萌芽となった。
光は村の直上で弾けた。大気に溶け込み、呼吸によって人体に侵入し隅々まで侵す。
変化はすぐに現れた。大人たちが苦悶の表情を浮かべ、次々と倒れて行ったのだ。
子供たちは慌てふためき助けを呼んだ。駆け付けた者にも病気は感染る。悲痛な叫び声をあげ、皮膚が溶け出し人の形を保てなくなった者でも、最低半年は生きるよう調節した。
親を失った子供たちに近づく者はいない。病気が感染るからと迫害される。中には叩き殺された者もあった。大多数は村を追われ、森で魔物に襲われ生きながら食われた。残った者は町へとたどり着き、出自を偽り日銭を稼いだ。
男の子は力仕事、女の子は売春。どちらも辛く、逃げ出した先で野たれ死んだ者は一〇〇を超えた。
しかし、人は苦境にさえ、やがては慣れる。順応した彼らに、神はさらなる試練を与えた。
危険な仕事場で指を失う者。客の子種を孕む者。働けなくなった者は淘汰される。またも厄介者になった子供たちは、森へは行かず路地裏へと身を隠した。物乞いや盗みで日々を生き延び、子が生まれた者もあったので、そこでようやく神は彼らを殺した。
親を失った子は、親と同じような人生を歩んだ。蛙の子は蛙という言葉を思い出す。
だが、それは違うと、神は慈愛に満ちた笑顔で彼らを見守った。
悪いのは神。
つまりは世界そのもの。
だから、あなたたちはなにも悪くはない。すべての罪を許しましょう。
神は――アンナは――そうしてすべての悪事を容認した。どうせこの子たちも死ぬ。あの病気は遺伝する。子が生まれ、そこに喜びを見出してもしなくても、彼らは生きながら溶けて死んでいく。それが神の意志なのだ。
次はもっと大きいことがしたい。最初は練習ということで小さくまとまってしまったが、次はいっちょ、どーんと戦争でも起こしてみようとアンナは考えた。
戦争は人を不幸にすると学校で習った。きっとみんな苦しむに違いない。
そう思ったのだが、この世界では少しばかり事情が違った。
この世界は、地球よりも文明レベルが遅れている。発展途上にある国がほとんど。それ以上はなく、それ以下は地域によってばらばらといった感じなのだ。
そんな世界にあって、戦争とは必ずしも憎むべきものではないと見える。なぜなら戦争でお金を稼ぐ傭兵と呼ばれる人種が多数存在し、戦いを生活の糧としているからだ。そんな者たちにとっては、戦争さえも仕事の一環であり、それ以外においても名誉や忠誠といった目に見えない利益のために死んだりする者が一定数存在するのだ。
もちろん悲しみに暮れる者はいる。いるのだが、夫や息子が戦って死んだ。よその家も同じ。そう一括りにして哀しみを克服する女子供のなんと多いこと。絶望し、自殺する人はとても少ない。
やはり、死は救いなのだろうか?
アンナは首を傾げ、ならばと人は殺さず国を焼いた。
焼け出された者たちは家も財も失くし、途方に暮れた。ぽっかり穴があいたような表情には見覚えがある。あれは絶望というのだ。ある日なんの前触れもなく訪れる悲劇。そんなものを目の当たりにして、人はなにを思うのか。
「私は悲しかった」
その呟きは、誰の耳にも届くことはなかった。
さて、一夜にして国を失った人達はどうなっただろうか。荒野を彷徨い散り散りになったが、大多数は隣国に助けを求めるようだ。
だが、周辺国家の対応は冷たい。
神の怒りに触れ、焼き滅ぼされた国の民。そう烙印を押された彼らを受け入れるところなどどこにもない。せいぜい奴隷か娼婦、そして野盗の仲間入り。つまり前回と結末はさして変わらなかったというわけだ。なんだか不完全燃焼な気分なので、完全に消火する意味も込めて津波を起こした。すべてが流され瓦礫と泥ばかりになった陸を見て、アンナはまあまあかなと肩を竦めた。
そんなことを繰り返し、その度に少しずつ改良を重ねて行った。どうやれば人は絶望するのか。どうすれば負の連鎖を紡ぐのか――。
面白いのは、悲劇が起きるたびに神に祈る者が増えることだ。人の身では太刀打ち出来ない天災に見舞われた者たちは、失った物の大きさを知ると、決まって祈りを捧げるのだ。
「おお、神よ。なぜこうも試練をお与えになるのか」
こんな感じだ。そこに含まれるのは問いかけではなく、ただの愚痴と、ちょっとの信仰心だ。
「こんな酷い目に遭った私たちを、どうかお救いください」
と、そう言っているのだ。笑える。
「ごめんごめん。実はただの八つ当たりなんだ」
とか言ってやったらどうなるだろう? いつか試してみたいと思う。
その後も幾度も悲劇を起こしたが、三〇〇年もすると飽きて来た。神に出来ることは多くない。命を奪うか家を奪うか争いを起こさせるか。大体こんな感じだ。
それに対する人間の行動は、泣いて祈って後は生きる。これに尽きる。
奴隷でも娼婦でも、どんな身分に身をやつしても人は生きて行けるのだ。ある女の子なんかは、娼婦として働き、客の子を身ごもり、その後娼館の支配人にまで上り詰めた。息子も腕っぷしを生かし悪の元締めっぽい組織を立ち上げ、ボスの座につきまでした。
なんだかな~と思うが、やっていることが悪事なのでそのまま見過ごすことにした。
神になって知ったのは、希望を摘み取り絶望を植え付けるのがとても難しいという事実だった。
前世を生きた国では毎日何人もの自殺者がいて、自分もその一人だったので気づかなかった。絶望なんて誰でも簡単にするものだと思い込んでいたのだ。
」 もちろん、前世を生きた世界と、この異世界を単純に比べるわけにはいかない。なにしろ、文明のレベルが違い過ぎる。
地球では貧困のどん底であっても、この世界ではまだまだ普通という事態が多数ある。ただ生きるという一点においては、この異世界は地球よりも優秀かもしれない。
そんなことを考えながらゲーム感覚でぷちぷち人を殺していたのだが、最近はマンネリ気味だ。このままではいけないと、本腰を入れて取り掛らねばなるまいと気合を入れた。
神の目を使ってターゲットを探した。
なるべくしぶとい人間がいい。ならば、探すのは小さな町か村の民だろう。王族や貴族連中は根性が足りないのか、地位や財産を奪うとすぐに剣でブスリとやって死んでしまうのだ。これではつまらない。死んだ者の魂になぜ自殺したか訪ねると、「潔く死にたかった」とか「〇〇を失ったので未練はない」とか胸を張って言うのだ。やはりつまらない。
しげしげと下界を見て回っていると、大陸の真ん中辺りによさげな村を見つけた。
小さくて質素で、それでも日々を一生懸命生きている。そんな人たちがいたのだ。
「しかも、なんだか不幸っぽい子もいる」
一際小さな家。もはや掘っ立て小屋としか思えないそこに、母一人子一人が住んでいる。
母親は病弱でほぼ寝たきり。まだ小さい一人娘は小さな畑を耕し、森で木の実やキノコ、魚なんかを採っては食いつないでいる。打ってつけだった。
「がんばれ~。哀れな子羊ちゃん」
適当に応援し、光の粒を指先で弾いた。光は真っ直ぐ母親へと飛んで行き、病気に喘ぐその口に見事入った。
元より体の弱かった女はあっという間に発病した。すぐに皮膚が溶け、傷みに絶叫すれば血が噴き出すことだろう。こうなればもう助かる助からない以前に、助けようとする者がいなくなる。親だろうが子だろうが、崩れ行く彼らに触れてまで看病しようという気概を見せる者はいないのだ。
恐らくそれは、文明が未発達なことに原因があるのだろう。
道徳心、社会通念。そういった共通認識の共有がなされていないため、人は己の判断で人を見捨てる。幸い罹患者は見た目もおぞましい姿となるので、いっそのこと殺してやった方がベターだろうという言い訳も立つのだから、思いとどまる者はいない。それにどうせ不治の病だ。無駄な足掻きなど、する意味はない。
ないのだが、それではこれまでと変わらない。
この憐れな少女は親を失い路頭に迷い、死ぬか体を売るかの決断に迫られる。
それではダメなのだ。神は常に進歩発展を望む。もっともっと、人々を苦しめるために切磋琢磨を怠らない。
というわけで、病気の特効薬を与えることにした。それは魔素の濃い地域に生える薬草で、煎じて飲めば病気が治り、その他にも傷口に塗れば治りが早くなり、若返り効果もあるという万能薬だ。誰もが手に入れたいと願うに違いない。
アンナは満足げに頷き、次いで下界に降りることにした。神として転生して幾年月、初めての試みに年甲斐もなくドキドキした。
村の近くに降臨し、そっと家を覗くと、丁度少女が母親の体を拭いているところだった。まだ溶け出してはいないが、それでもケミカルな紫とか緑色に変色した皮膚には吐き気を覚えること請け合いだ。我ながらいい仕事をしたとアンナは自画自賛した。
少女はそんな母親を心から気遣っているらしく、嫌な顔一つせずに体を拭いている。時折森で木の実を拾ったとか他愛無い話を聞かせ、笑顔で看病するのだ。いい娘さんじゃないか。
少女が川へ水を汲みに出たところで声をかけた。
「そこの憐れなお嬢さん。一つ私の話を聞いてはみませんか?」
「なに?」
純真無垢な少女は突然現れた不審者にも、なんの警戒もせずに訊ね返した。まあ、こういう効果も狙って幼い少女の姿に化けているのだが。
「あなたのお母さんって病気だよね? 実は、それによく効く薬を知ってるんだけど」
「本当⁉ それがあれば、お母さんは助かるの⁉」
「助かるよん。むしろ病気になる前より健康になるくらいだよん」
「すごい!・・・・・・けど、どうしてあなたはそんなことを知ってるの? どうして私にそれを教えてくれるの?」
来た! アンナは興奮を押し隠し、出来るだけ偉大に見えるよう胸を張った。
「んっふっふ。よくぞ聞いてくれました。実は私、神様なんだよね。日頃頑張っている君に、神がご褒美をあげようってわけ。どう? 素敵だと思わない?」
「そんなことを言ってはダメだよ」
「なんで? あなた、神様を信じてないの?」
「怒らないで。あなた、自分が神様だなんて言わない方がいいよ? もしも教会の人に聞かれたら、異端審問にかけられちゃう」
と言って、悲しそうな顔をする。どうやら馬鹿にしようというわけではなく、自分を心配してくれてのことらしい。いい子で、いいカモだ。
「せいぜい気をつけることにするよ。んで、さっきの話だけど、その薬欲しくない?」
「欲しいよ。でも、それって本当なの? あなたはどこで薬のことを知ったの?」
「神様だから知ってるの。ていうか、私が作ったし」
「またそんなこと言う・・・・・・」
「おお? 信じてないな? 仕方ない、なら、証拠を見せましょう。ほいっと」
アンナが指先を振るうと、先ほどまで聞こえていた川のせせらぎの音が消え、何もかもが静止した。
アンナは氷のように固まった川の上をぴょんぴょんと跳ねまわって見せた。
「なにこれすごい! 一体どうなってるの?」
「時を止めただけだよ。神様にはこれくらいなんでもない奇跡だからね」
「あなた、本当に神様なの?」
「だからそう言ってるじゃん」
すると突然少女がその場に平伏した。
「とんだ失礼をしました! まさか我らが主が降臨なさるとは、夢にも思わなくて・・・・・・」
「そんなことしなくていいよ。それより、薬の話をしようよ」
というわけで、少女を立たせて木陰へと移動した。
「薬はここから遠く離れた森の中、湧き出る聖なる泉の畔に生えているの。赤くて小さな花だよ。魔物が多く、危険な所だけど、どうする?」
「もちろん、行きます」
「生きて帰れないかもよ? 死ぬより辛い目に遭うかもよ?」
「それでも、私は行きます」
さすがは神に見初められた少女である。