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女王陛下の結婚話

作者: 五月ゆき

 女王陛下が結婚を考えているという。


 最初にその噂を耳にしたとき、宰相のサイラス・グリンゼルは失笑した。

 ありえない。あの麗しくも憎たらしい女王陛下は、結婚など眼中にない。今のあの方の視界に入っているのは、目に入れても痛くないほど大切にしている妹姫だけだ。

 長年にわたる戦いが終わり、戦女神の異名を取る妹姫は、ようやく戦場から帰ってきた。

 しかし、さすがに傷は深かった。闇との争いに終止符を打つために、妹姫はすべての力を費やした。人並み外れた能力を失い、ただの人の子となって、満身創痍で、かろうじて息をしているような状態で、それでも姉王のもとへ帰ってきた。

 それが、大切な姉の唯一の望みだと、彼女は知っていたから。……そのことに、感謝はしている。サイラスとて、妹姫を失ったときの女王陛下など、考えることもおぞましかった。

 だが、おかげさまで、女王陛下の関心は、現在、妹姫が一手に握っている。政務を疎かにするような方ではないが、忠臣への態度は日に日に雑になっている。主にこの自分への態度が、だ。

(嫌われているのは知っておりますが、もう少し取り繕って頂いてもいいんじゃないでしょうかねえ)

 そう嫌味の一つも零したくなるが、どうせ女王陛下の耳には届くまい。



 だから、かの死神大公が、陛下の執務室から出てくる姿を見かけたとき、つい軽口を叩いたのは、この男ならきっと眼差し一つで呆れて見せるだろうと思ったからだ。

「知ってます? 陛下が結婚を考えているという噂がある……」

 あるんですよ、と、最後まではいえなかった。

 大公が、持っていた書類を床にぶちまけたからだ。

「なっ ─── 、もう、噂になって……!?」

 早すぎるといわんばかりの、動揺しきった眼差し。

 普段は岩のごとく表情を変えない大公が、あからさまな狼狽を見せる。

 サイラスは、床に散った書類を拾えなかった。笑いながら「どうなさったんですか」とからかうこともできなかった。相手が見せた隙を突いて、情報を引き出すという常套手段すら使えなかった。

 まさか、と思った。

 心臓が早鐘を打つのがわかる。汗がどっと噴き出してくる。

 内政の宰相と、外政の大公。女王陛下の二つの盾。この国で、この自分以外に、陛下の結婚候補として上げられるがいるとすれば、まさにそれは、この死神大公くらいなものだろう。

 眼がくらむようだった。いかづちのごとく、怒りが全身を貫いた。



「あんな男が、陛下の夫候補だと!? あぁ、くそ、夫なんて言葉を使うだけで虫唾が走る!」

 屋敷のソファに腰かけ、グラスに注いだ酒を一息に飲み干す。

 女王陛下は、『氷の女王』との異名を持つ。それほどに、眼差しは威圧的であり、微笑みは冷たい。

 女王が唇に薄い笑みを浮かべたときの恐怖といったら、極寒の地に立っているかのようだ。あの方なら、笑み一つで、人の心臓に氷の杭を打ち込めるだろう。

 だが、それでも女王は美しい。

 あの方の美貌だけは、悔しいが、万人が認めるところだろう。

 まばゆく輝く金の髪(あの髪に指を入れたいと考えたことのない男がいるか?)、冬の湖のように透き通る青の瞳(あの眼差して見つめられて、胸を高鳴らせたことのない男がいるとでも?) 美の女神が地上へ足を下ろしたのだといわれても信じるだろう。疑う余地がない。

「その女王と、死神大公だと? 釣り合わないだろう! あの陰気で根暗で不吉な男が、麗しの女王陛下の隣に立つなんて、考えられるか? あんな墓場のような男を隣に添えるなら、ただ影を足元にはべらした方がマシというものだッ」

「あら。わたくしは、さすが女王陛下だと思いますわ。人を見る眼がございますもの」

 屋敷の広間へ入ってくるなりいったのは、サイラスの妹だった。

「おかえり、アン」

「ただいま戻りました。わたくしを呼び出すからには、さぞ重要な案件なのでしょうね、お兄様?」

 グリンゼル家の白百合と呼ばれる妹が、にっこりと、毒のこもった笑みを浮かべる。

 サイラスはアンの分も酒を注ぎ、座るように促した。

「もちろん、この上なく重要な話だとも、アン」

「なんでしょう?」

「死神大公を毒殺したい」

「まあ、面白い冗談ですわ、お兄様」

「私は本気だ」

「でしたら、わたくしが先に、お兄様をそこの花瓶で撲殺して差し上げましょうか?」

 妹の眼はまったく笑っていなかった。これは本気だ。この妹は、殺るといったら殺る女だ。

 そのうえ、自分で殺っておいて「こんな事故が起こるなんて……!ああお兄様、どうしてわたくしを置いて逝ってしまったの……!」と泣き崩れるくらいのことは、たやすくやってのける。

 その点、兄と妹はよく似ていた。

 サイラスは、父親から宰相の座を受け継いだ。いわば二世政治家だ。

 だが、彼が最も得意とすることは、二世のお坊ちゃんだと侮ってかかる貴族たちを、手のひらで握りつぶすことだった。

 サイラスは、まるで酔えない酒を呷っていった。

「わかった。妥協案を出そう。お前が死神大公を誘惑してくれ。結婚してくれるとなおよし」

「それこそ適当な姫君でも見繕えばよろしいでしょう」

 そういって、アンは軽く肩をすくめた。

「もっとも、あの死神大公と結婚したいという奇特な娘を探し出せればの話ですけど」

 死神大公は、すでに二度、婚約者に逃げられていることで有名だ。

 しかし、サイラスから見れば、大公自身に何か問題があったわけではない。身分や家柄は申し分なく、仕事のできる男だ。婚約者の令嬢たちが、夢見がち過ぎただけだろう。

「死神のごとく陰気なだけで、泣いて結婚を嫌がるものかね? 理解しがたいな」

 あの男がいるだけで、室内が暗く感じるといわれるほど、陰気な顔をしているのは事実だが。

 アンは軽く肩をすくめた。

「そうですね。お兄様ほど性格は悪くありませんもの。女王陛下も見る眼がありますわ」

「だがしかし麗しの女王の横に立つには外見も重要だ。あんな醜男では、国民は支持すまい」

「あら、醜くはありませんわ。この世の終わりを感じるほどに暗いだけで、意外と整った顔立ちをしてらっしゃいますのよ。それになにより、お兄様よりまともな人柄ですわ」

「アン。つまり、私のために彼と結婚してくれるんだな?」

「まあ、耳まで悪くなったんですわね、お兄様! 性格も根性も捻じ曲がっていらっしゃいますのに」

 第一に、と、アンはうっすら笑った。

「お兄様は、女王陛下に、蛇蝎のごとく嫌われてらっしゃるじゃありませんか。死神大公を蹴落としたところで、陛下の夫候補になれるとでも? うふふ、いやですわ。お兄様なんて、最初から論外でしょう?」



 妹への呪詛を百万回繰り返しながら、朝の御前会議を終えて、宰相の執務室にこもる。

 何人もの部下と会い、指示を出し、書類にサインをしたところで、隣室に控えていた補佐官が、困惑の表情でやってきた。

「宰相閣下。大公がお会いしたいと、すでに……、いらしているそうです」

 大公の称号を持つ者は数人いるが、『大公』とだけ呼ばれるのはただ一人だ。

 死神大公。大公といえばあの男で通るのは、それだけの権力と能力を兼ね備えているからだ。

 しかし、だからこそ、先触れもなく本人がやってくるなど、通常ではありえない。

 すぐに通すようにいえば、死神大公は恐縮した様子で入ってきた。

「突然申し訳ない」

「とんでもない。大公ならいつでも大歓迎ですよ。どうぞおかけください」

 渾身の愛想笑いを浮かべてやる。

 死神大公は、ソファに浅く腰掛けると、すぐに用件を切り出した。

「昨日は申し訳なかった。醜態をお見せした」

「何のお話でしょう?」

 まるで心当たりがないという態度でふるまう。

 だが、大公の眼は冷徹に、こちらを見抜いていた。

「先ほど陛下にお伝えしたが、結婚の話を、お受けすることにした」

「……そうですか」

「ふさわしくないということは、私自身が百も承知だ。だが、他人に譲れるものではない。そのことに、昨日気づかせてもらった」

「おめでとうございます。大公なら素晴らしい夫になられるでしょう」

 自分のものとは思えない明るい声が、からからと虚しく響く。

 大公は退出しようとして、ドアの前で足を止めた。

「……宰相」

「はい」

「あなたのうろたえた顔を、初めて見た」

 それだけをいって、大公は執務室を出ていく。

 サイラスは、血が滲むほどに、拳を握りしめた。



 サイラスは、誰もが認める美しい青年だ。家柄も地位も申し分ない。

 若くして宰相の椅子に座り、その有能さはすでに国内外で高く評価されている。

 舞踏会に出れば、たちまちの内に、着飾った女性たちに囲まれる。まるで花弁が蜜を取り囲むように、幾重にも人の輪ができる。サイラスに目をとめてほしい、一度でいいから自分に微笑んでほしい、叶うことならどうか踊っていただけませんの、貴方と一夜を共にできるのならなにを投げ打っても構わないわ! ……そう、熱に浮かされた女性たちだ。

 だが、サイラスに、見向きもしないひとが、ただ一人だけいた。


 女王陛下を探し求めて、小さな庭園に行きつく。

 女王の私室にほど近いこの庭は、あの方が一人で考えたいときに訪れる場所だ。

 案の定、お付きの侍女に行く手を阻まれたが、宰相の権限で振り切った。

 女王はどこにいても王だ。一人になりたいということは、私人として心を休めたいという意味ではない。言葉通りに、一人で思考をまとめたいだけだ。……かつて、女王に、それを強いたのはサイラスだった。まだ幼い姫君に。

 宰相である自分が、急ぎの案件だといえば、侍女は道を開ける。主人である女王に、そう命じられているからだ。

 庭園の奥へ進んでいけば、女王は、果樹のそばに立っていた。

 いや、立っているだけではない。何やら棒のようなものを使って、赤く染まった果実をもごうとしている。サイラスはぎょっとした。懸命に背伸びする女王の足元はふらついており、今にも落ちてきそうな果実は、どう考えても一直線に女王の顔面へ着地する。サイラスは慌てて駆けだした。

「陛下ッ!」

 あわや転びかけ、したたかに尻もちをつきそうになっていたところに、とっさに身体を入れる。女王を後ろから抱きかかえるようにして、地面と女王の間のクッションになる。ついでに、落下してきた果実が、女王の額にぶつかる前に手で受け止める。

 地面に座り込み、女王を抱きかかえたまま、サイラスは安堵の息を吐き出した。

「……なにを、なさっておいでですか、陛下……」

 女王は答えず、さっさと立ち上がって、サイラスの腕の中から抜け出した。

 柔らかな身体と、甘やかな香りが、一瞬で失われる。

「用件は何かしら、宰相?」

「その前に、私の質問に答えていただきたいのですがね」

「それを取ろうとしていただけよ」

 サイラスの手の中の果実を示して、あっさりといわれる。

 サイラスは、こめかみが引きつるのを感じた。

「侍女でも近衛でも誰でも構いませんから、人にやらせてください。こんなものを取るために、怪我でもされたらどうするのですか。陛下に傷一つでも付いていたら、私はこの樹を切らせて、薪にでもしていましたよ」

「お前にそんな権限はないわね。それで? 二度もいわせないでちょうだい。用件はなにかしら」

 サイラスは、地べたに腰を下ろしたまま、女王を見上げた。

 日の光を受けて、絹糸のような金の髪が輝く。薄い青の瞳は、緑がかって見える。……美しい方だ。本当に。感情の浮かばない顔はどこまでも冷たく、氷の女王だというのに。

「……大公から聞きました」

 今日初めて、かすかに、薄氷の瞳が揺らいだ。

「おめでとうございます。我が親愛なる女王陛下」


  ─── 本当は、あなたを殺してやろうかと思っていた。


 あなたが、ほかの男の妻になる姿を見るくらいなら、この手でその首を締め上げてやりたいと思っていた。あなたを殺して、自分も後を追えたら、どれほど幸福だろう。その後のことなど、どうでもいい。王と宰相を同時に失った国が傾こうと、知ったことじゃない。

 自分が宰相を全うしてきたのは、あなたがいるからだ。

 あなたのために、有能な男であったのだ。

 氷の女王に、恥ずかしくない宰相であるために。あなたが誇れる臣下であるために、懸命に努力してきた。いや、ちがう。努力だとも思わなかった。あなたにふさわしい男であろうとすることは、自分にとって悦びだった。あなたに一歩でも近づけるのならば、これ以上の快感はなかった。

 氷の女王の右腕にふさわしい、辣腕の宰相。

 その評価を揺らがぬものとするためだけに、寝食を忘れて仕事に没頭してきた。

 ……だが、それも結局は、この方の愛を得る日は永遠に来ないという現実から、目を背けていただけなのかもしれない。

 この方が、ほかの男のものになるというだけで、簡単に我を忘れた。何もかもを踏みにじって、自分の腕にかき抱いてしまいたいと願った。それが、許されるはずもないのに。

 女王は、世界中の誰よりもサイラスが嫌いだ。底知れぬほど深く、嫌悪している。生理的に受け付けないとでもいうように、傍に寄られることすら不快に思っている。

 なぜなら、サイラスはかつて、最悪の方法で女王を裏切ったからだ。




 サイラスの父は、いずれ玉座を継ぐ幼い姫君に、サイラスを仕えさせた。

 自分たちの歳は五歳差。父がどんな未来を描いているかは、当時まだ少年だった自分にもわかっていた。

 それでも反抗心を抱かなかったのは、父を尊敬していたからであり、……まだ幼い姫君に、ひとめで恋に落ちたからだった。

 この方のためならば、何でもしようと思った。誠心誠意尽くした。やがて、かたくなだった姫君も、少しずつ自分に心を開いてくれるようになった。

 サイラスは嬉しかった。有頂天になっていた。いつの日か、女王となったこの姫の隣に立ち、永く忠誠と愛を誓うのだと、夢見ていた。……まるきりの夢想で終わるとはつゆ知らずに。


 その頃、王には三人の姫君がいた。

 王妃との間に生まれた一の姫、他国から嫁いできた側室との間に生まれた二の姫、身分の低い貴族の娘との間に生まれた三の姫。

 王位を継ぐのは一の姫で決まっていた。そのためかはわからないが、姉妹間の仲はよかった。

 特に一の姫は、三の姫を可愛がっていた。溺愛していたといってもいい。普段は、後継ぎとしての期待と重圧に耐え、凛と面差しを上げて、何事にも動じない一の姫が、三の姫の前でだけは、相好を崩した。

 だが、王の特異な能力を発現させたのは、ただ一人、三の姫だった。


 サイラスは覚えている。

 三の姫をきつく腕の中に抱きしめて、一の姫は怯えた顔で懸命に首を横に振った。

「やめてくださいっ! お願いです、おねがいします。こんなの何かの間違いだわ。お願いです。誰かが戦場に行かなくてはならないのなら、私が行きます。お願いです。妹はまだ五歳なの……っ! おねがい、この子を連れて行かないで……!」

 先王は、戦いにおいて、化け物じみた力を持っていた。

 外見は普通の人と同じだった。だが、ひとたび剣を持てば、風のごとく速く、火のごとく猛々しく敵を屠った。先王は、人ならざる存在と契約しているのだと囁く者もいた。だが、それが事実だったとしても、先王の神性が揺らぐとこはなかっただろう。

 なぜならこの国には、敵がいた。我が国のみならず、大陸すべてを飲みつくそうとする勢力があった。各国が手を結び、このときばかりは協力して戦っていたが、それでも、終わりは見えなかった。敵の勢力は膨大で、どれほど切り捨てても無限にあふれ出てきた。

 先王は、その絶望的な状況下における、唯一の希望だった。

 ……そして、その能力を受け継いだ娘を ─── まだたった五歳だとしても ─── 王宮で安穏と育てることができるほど、軍に余力はなかった。戦える人間は一人でも欲しい。それが、王の力を継いでいる人間ならば、まだ幼子であっても、戦場へ連れて行く。

 先王はそう決断し、周りの重臣たちも、苦渋の表情で頷いた。


 三の姫の母君は、すでに病で亡くなっていた。

 まだ五歳の姫を戦場にいかせまいとする人間は、一の姫と二の姫しかいなかった。

 だから、一の姫は ─── 愛する妹を、逃がそうとしたのだ。

 サイラスは、恐らく、二の姫以外で計画を打ち明けられた、唯一の人間だった。一の姫は、罪の重さを知っていた。他人を共犯者にしてしまわないように、細心の注意を払っていた。

 だから一の姫がサイラスに頼んだことも、たった一つだ。

 馬を用意してほしいと、彼女はいった。自分や二の姫が厩舎に近づけば、どうしても怪しまれる。だがサイラスなら、不自然ではない。計画が露呈したあとで、誰かに咎められても、何も知らなかったといって欲しい。一の姫が乗馬の練習がしたいといっていたから用意しただけだと、そういえば、あなたに類は及ばないはず。

 サイラスは頷き、秘密を守ると誓い、しばし悩んだ末に、先王の元へ話に行った。

 ……今は恨まれても、いつか一の姫もわかってくださるだろう。王家の姫が、国を捨てて逃げることは許されない。罪が明らかになれば、一の姫が玉座を継ぐこともできなくなる。これが正しい選択なのだと、一の姫も理解される日が来るだろう。

 そう思っていた。

 愚かだった。救いがたく。

 あのときの光景を、サイラスは一日も忘れたことはない。

 先王に、三の姫を奪われ、泣きながら縋りつく手を、近衛兵たちに抑え込まれる。

 自分は、馬鹿みたいに、突っ立っていることしかできなかった。一の姫が、幽鬼のような顔で、こちらを向く。びくりと震えた瞬間に、一の姫の眼が変わった。誰が裏切ったのか、あのときに彼女は悟ったのだ。


 一の姫は、二度とサイラスに心を開かなかった。

 政務に私情を挟むことはなく、サイラスに宰相の地位を与えた。今では女王の右腕のごとく扱われている。

 だが、それだけだ。

 サイラスはあの瞬間、一人の少女を殺した。一の姫に私情が存在することを、認めなかった。妹を愛する幼い姉ではなく、いついかなる状況でも、王族であることを求めた。

 最悪なのは、あのときの自分に、その自覚がなかったということだ。正義を行っているつもりだった。いつか一の姫も理解されるだろうなどと、寝言を本気で思っていた。あのときの一の姫が、どれほど必死だったのか、知ろうともしないで、大人ぶった『正しい判断』をくだしたつもりだった。


 だから今、自分がどれほど絶望しているとしても、それを女王にわかってほしいと望む権利すら、自分にはないのだ。

 まして、臣下であることを忘れて、私情のまま動くなど、許されない。

 自分は彼女に許さなかったのだ。まだたった十歳の少女に、王族であることを求めた。幼い妹を戦場に行かせたくないと望むことすら、認めなかった。

 その自分が、どの面下げて、恋に狂える?

 最愛の女が、ほかの男と愛を交わす姿を、間近で見続けなくてはならないとしても、それは自業自得というものだ。


「あなたが大公と結婚しても、私は宰相として、あなたを支え続けますよ」


 これは報いなのだから。どれほど胸が痛もうとも、気が狂いそうになろうとも、自分はこの先も、この方の宰相であり続ける。

 そう誓いを込めていえば、女王陛下はなぜか、眉間に小さくしわを寄せた。

「なにをいっているの、お前」

「決意表明です」

「大公と結婚するのは三の姫よ」

「独りよがりの想いだと ─── ……、はっ? 三の姫?」

「この大事な時期に、そんなふざけた噂を垂れ流したら、お前の首を伐採するわよ」

「えっ? はっ? ちょっと待ってください、三の姫!? 三の姫が結婚!?」

 当たり前だろうといわんばかりにうなずいた女王に、サイラスは跳ね起きた。

「陛下に結婚のご予定は!?」

「ない」

「結婚を考えているという噂は!?」

「考えているわよ」

「三の姫の結婚を!?」

「お前、何度同じことをいわせれば気がすむの?」

「申し訳ございません……」

 怒りの気配を漂わせる女王に、深く頭を下げながら、必死で情報を整理する。

 女王陛下は(三の姫と大公の)結婚を考えていた。

 自分はそれを知らずに大公に噂話を持ちかけ、大公は三の姫との縁談についていわれたのだと解釈した。

 大公は、動揺しながらも、同時に、この宰相たる自分も呆然としているのを見て、宰相も三の姫に好意があるのだ、と解釈した。

 だからこそ、先ほど、わざわざ牽制にきて、『三の姫を渡す気はない。奪おうとするならば、徹底的にやり返すぞ』と暗に匂わせていった。

(……と、いうことか!?)

 嘘だろうと、サイラスは頭をかきむしりたくなった。

「この私が三の姫狙いだとか、そんなありえない誤解をするか、普通!?」

 そんなだから女にモテないんだ、あの死神大公は!!

 そう叫んでしまったところで、ハッと冷たい視線に気づく。

「宰相」

「ハイ……」

「出ておいき」

「かしこまりました……」

 吹き荒れる吹雪に塗れながら、サイラスはすごすごと庭園を後にした。




 十分な距離を取ってから、振り返る。

 女王陛下は、まだ、果樹の傍に立っていた。

 サイラスは、手の中に握ったままだった果実にかじりつき、女王を見つめる。

 彼女は、光そのものだった。


  ─── たとえ、過去に戻れたとしても、自分はやはり、あの方から妹姫を奪う道を選ぶだろう。


 あの方の、心以外のすべてを、守るために。





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― 新着の感想 ―
[一言] 嫌で仕方ない話なのですが(←誉め言葉です)、ブックマークを付けて、何度も読みに来てしまいます。作者様が上手だからこそ、読後が苦くなる物語ですよね。悪人は一人もいないのに。 今となっては賢い…
[一言] 女王に宰相と違う人と幸せになって欲しい!
[良い点] この話すごく好きです
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