第十三話 暗き森3 ―感覚・経験・ご用心?!
「いや。本当に申し訳ない。知っているだけに、ついつい深く聞きすぎたようですね。クラウディア様に悪いことをしてしまいました。それに貴方達にも余計な気を使わせてしまってすみません」
クラウディアが去って、テントに入ったのを見届けてからファウストさんが俺達に頭を下げて謝罪してくるのだが、さっきの話の流れを見ていると流石にそうですねと言うのは憚られる。
それに、部外者的ポジションの俺達が、終わった話にあれこれ後から口を出すと余計にややこしい事になりそうなので、一つ苦笑を返してから鞄を探り皮袋を取り出すと、中の丸薬状の物を一つ火に放り入れた。
「ん。何この匂い」
「俺が調合した、独自の獣避けの香の匂いだな。一応、虫除けの効果もあるから、今日はゆっくり寝てくれていいぞ」
「ほう。レオンハルトさんはこの手の調合も得意なのですな。いやはや多才な人ですな」
そう誉められるのだが、この程度の調合は伐剣者ならば一通りの者が出来る。だからこそ、俺が調合師を諦めるざるを得ないほど、引退した伐剣者の店が出来てんだよな。
まあ、お世辞として受け取っておくとして、それより一つ確認しておきたい事がある。
「その、ファウストさんに森の中の様子を聞きたいんですが、今日歩いていてどうでしたか?何か変わったこととかありましたら教えてほしいのですけど」
「変わったことですか。…そうですね。私もあまりこの森に詳しくないので何とも言えませんが、特にはなかったと思いますよ?静かで安全に採取できる良い森でした」
なるほど…ね。
ファウストさんの答えを聞くと、今回の暗き森の探索は、一層気を引き締めたほうが良さそうだな。
そうなると、ディータも早めに切り上げさせた方がいいな。
「ディータ。ここに来るまでの走行訓練で疲れたろうから、もうそろそろ休んだ方がいい。今晩は俺が火守をするから安心して寝てくれていいぞ」
「あの、私は安全と感じたんですけど、何かあるんですか?」
「ハハ。あくまで念のためですよ」
曖昧に簿かしたのが不味かったのか、ディータが俺もやるよと言い出したので困っていると、「なら最初は私がやりましょう」とファウストさんが助け船を出してくれた。
何でも必要な採取は終わっているので、後は森を出るだけなので大した苦ではないとらしい。
少し悩むが、せっかくの好意なので素直に受けることにする。
懐中時計を見て時間を確認して、最初にファウストさんで数時間後には俺が代わるということで話をまとめると、ディータと連れだって歯を磨き休むことにした。
―――――しばらく眠ると、指定していた時間になったのかファウストさんが遠慮ぎみに起こしにきたので交代し、今は火勢よくはぜる火を眺めながら暁闇の中で今日の予定を考えていた。
まずは、二人の体調が戻っていることを確認する。
戻っていたら暗き森の探索に乗り出し、戻っていなかったら少し様子を見つつ無理かどうかを判断し、最悪シュラフスに戻る。
大袈裟かもしれないが、森の違和感から万が一の事があってはならないし、慎重に行動するべきなんだろう。
そう考えながら、この森の情報を今の状況に照らし合わせていると、ふと気配を感じてそちらの方に視線を向けるとクラウディアがこちらの方に向かってきているのが視界に入る。
「おはよう、クラウディア」
「おはようございます、ハーン教諭。隣に座っても?」
まだ薄暗い闇の中、目の前まで来て佇んでいるクラウディアにそう問いかけられたので手で横を示すと、その場所に静かに腰掛ける。
…昨日よりは顔色も良くなっているようだな。
まあ、もっと明るくなってから確認してみる必要はあるが、急病なんかでの体調悪化ではないと分かって一先ず安心する。
「昨日は、よく眠れたか?」
「そうですね。割りと熟睡できたようで、今朝の気分も上々のようです」
「そうか。…ただ、辺りはまだ暗い。もう一眠りして体調を万全にしておいた方がいい。そうじゃないと、今日の探索術の訓練が大変だぞ」
「それは大丈夫です。むしろ、昨日は早くに寝たのでこれ以上は眠ることはできなさそうです」
苦笑混じりでそう言われ、それもそうかと思い直す。
それなら、せっかくなので目覚めの珈琲でも入れてやろうと、火の上に小型のヤカンを設置して湯を沸かし始めると、珍しく歯切れも悪く話し掛けられる。
「その……ハーン教諭は、聞かないのですか?昨夜話に出た、私が伯爵の娘であることやあの時とやらの事を」
「んー?そうだな。気になると言えば気になるが、本人が言いたくなさそうなのに無理に聞くこともないだろうさ。人間誰だって、人に言いたくない聞かれたくないってことはあるもんさ」
俺で言えば前世の事とか、子供の頃の事とか言いたくも聞かれたくもないことなんて山のようにある。
それに、話せば気が楽になるなんてのは、他人が言うものではなく自分がそう思えるようになってこそ意味があると考える俺としては、クラウディアから話す気になるまで聞く気はない。
「フフ。ハーン教諭は、相変わらず面白い人です。普通、こういう場合は相談に乗るから話してみろと水を向けるのではないですか?」
「ん?クラウディアはそう言ってほしかったのか?」
「いえ。それが、言ってはみたものの、よく分からないのです。…ただ、何も聞かれないというのが心地いいと思っている自分もいるので、もしかしたら今の方が良いのかもしれません」
そうか。
そう呟くとヤカンから湯気が上がったので、珈琲を入れるとクラウディアに手渡した。
朝日はもう少しの間は顔を出しそうもないし、しばらくはゆったりと珈琲を飲むことにするかな。
◇◆◇◆◇◆
あれからお互いに会話がなく、なぜか無言で珈琲を飲んむことになってしまった。
ただ以前とは違い、無言なのだが居心地は悪くなく、ごく自然な感じだったので、俺としても何か話さなければという気持ちにはならなかった。
たまにはこんな時間があってもいいんじゃないかな…と、俺は思うのだがクラウディアはどうだろうか?
そう思っていると辺りが徐々に明るくなっていき、ファウストさんが自分のテントから出てくると、少ししてからディータもアクビをしながら出てきた。
「ありゃ、早いなクラウディア。それと、おはよう先生」
「皆さんお早うございます。クラウディア様も体調が戻られたようで良かったです」
焚き火の前に腰掛ける俺とクラウディアを見つけると、挨拶をしてくるので、それに返事をして朝食にしようと提案する。
しかし、ファウストさんには食料にも限りがあるだろうし、これ以上好意に甘えるわけにはいかないし、採取も終わっているので次の目的地に早速向かうことにすると辞退される。
「それに、昨日は夕食をご馳走になったので、自前で用意していたパンが余っているのですよ。せっかく買ったものなので、これを噛りながら次の目的地へと行くことにします」
「そうですか。大丈夫だとは思いますが、何があるか分からない世の中です。お気をつけて行って下さい」
「アハハ。ありがとうございます。でも、こう見えて逃げ足だけには自身があるので大丈夫ですよ」
そう笑いながら別れの挨拶をして颯爽と去っていくファウストさんを見送ると、こっちはこっちで今日の予定を二人に伝えることにした。
幸い起きてからの顔色や動作を見ていると、昨日の疲れが残っていなさそうなので、予定通り探索術の実習をしていこうかな。
そうして、朝食の準備をし終わると、スープが出来るまで時間が出来たので、この間にどの程度の知識があるかを聞いておくことにする。
「二人に聞きたいんだが、これから森を探索するに当たってどれだけの知識があるかを確認したい。そうだな、こういう場所での行動経験があるならそれを踏まえて話してくれないか」
「えっと、俺はジギスムントで三回くらい経験してるかな。えっと、視野を広くすることと、歩く音を小さくしろって聞いたかな」
「騎士団では森での任務は経験していないので、私はこれが初めてですね」
なるほど。ディータは経験ありで大体の事は知っているが、クラウディアはこれが初めてであると。
そうなると一からやった方がいいだろうな。ディータのさっき言った知識に少し足りない部分もあるので、それも含めて出来るだけ分かりやすく説明するか。
「まずはディータが言ったことは正しい。ただ、もう少し詳しく説明すると、視野を広くすることは目の前に集中するのではなく、見るともなしに全体を見ると言えばいいのかな。視点を手前に固定せずに遠くを見るようにするんだ。次に、静かに歩くという時の歩き方は土踏まずと指の間、足の指の付け根らへんを先につけ、次いで踵というように順に下ろせば大体の音は消える。クラウディアは鎧を来ているから、その時に膝を軽く曲げて地面に与える衝撃を和らげると、鎧から出る音も軽減するだろう」
「なるほど。大通りを抜けるときにした事の応用ですね。後は、指の付け根から踵と膝を軽く曲げるですか。分かりました。やってみます」
大体の知識についてはうまく伝わったようだし、ここら辺は実際にやりつつ覚えていってもらうとして、さっきは出なかった部分の説明に移るかな。
「俺達は森の中では異物だ。だから、最初にまず森に馴染むことから始める」
「異物?馴染む?」
「そうだな。例えば…学院にロッホスさんがいたら何でいるんだという違和感を感じるだろ?つまり、その場にはそぐわない者が入ってきていることを異物といい、違和感を解消するために教師なりになるというのが馴染むということだ」
分かりやすく話したつもりだが、この説明では二人とも腑に落ちないのか考え込んでしまった。
…まっ、まあ、無理やりな例え話になった自覚はあるので、これも実際にやりながら感覚的に捉えてもらおうかな。
そう考えると、タイミングよくスープに火が通ったようなので、腕を組ながら唸りながら考えている二人に、まずは朝食にしようかと言って思考を一旦止める。
昨夜に続き簡素なパンとスープのみの朝食を食べ終わると荷物をまとめ、買っておいた外套を上に着込んで森の方へと進んでいく。
ある程度、進むと二人に周りの音を聞いてもらうが、しばらく待ってもよく聞き取れないようなので、早く大きく息を吸いゆっくりと静かに吐く方法の深呼吸を繰り返すように伝える。
「あれ?」
しばらく繰り返していると、二人ともパチクリと目を瞬かせてビックリした表情になった。
それを見ると、どうやらうまくいったようだなと安堵する。
「なんだろう。さっきまで聞こえなかった虫の微かな鳴き声が聞こえる」
「私もだ。…もしかして、ハーン教諭が何らかの魔術を使ったのですか?」
「いや、魔術なんかじゃないぞ。何と言うんだろうな、自然に溶け込むとでも言うのかな。俺達は、森に入るまでは当然に外の日常で過ごしているから、体もそれに対応した状態にある。それを、森の空気を吸いながら心を落ち着けることで、森の中での状態に体が対応し直したんだ。まあ今回は、切り開かれているとはいえ、森の一部で休んだから馴染むのが早かったというのもあるかもしれないけどな」
これで異物やら馴染むやらの話を感覚として分かってもらえたんではないだろうか。
…しかし、本当に静かだな。本来なら小鳥の囀りやら何やら聞こえそうなものなのに、それが聞こえない。
ここまで来ると、二人にもキチンと伝えて意思疎通を図っておいた方がいいな。
「二人に言っておきたいんだが、森の中の様子がおかしい。最悪、魔獣が森の深部辺りから出てきているかもしれないので、気をしっかりと引き締めて行動してほしい」
最深部から深部にかけては魔獣も棲息しているが、今までの記録では覇種止まりであったし、ここは群生の広野と違って群れを作る習性の魔獣はいないはず。
そう考えると、一応俺でも生徒を守りつつ迎撃出来るし、万全の状態の二人がコンビを組めば一体程度なら余裕で応戦できるだろう。
怖いのは不意の奇襲くらいなもので、その時に二人が慌てて行動できないなどの要素を排除しておきたかったので、注意換気を込めてそう告げる。
「魔獣?でも、ファウストさんは静かで良い森だって言ってたじゃん」
「確かに、そう言っていたな。だけどな、以前とは明らかに雰囲気が違う。これは、根拠のない俺の勘みたいなものだが、一応そういう事もあり得ると意識して行動してくれ」
意識しているのといないのとでは、いざという時の体の動きが違ってくる。
そう思って、二人にしっかりと意識付けをすると、俺達は暗き森の奥へと依頼品を求めて足を踏み入れて行くのだった。
―次回投稿は8/1 18時頃を予定しています。
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【医師】
医学に基く傷病の予防、診療・治療および公衆衛生の普及を責務とする者をいう。
国の資格として医師免許が必要。
【薬師】
薬学に基く生薬による健康状態の維持、それを害する状態の治療を責務とする者をいう。
国の資格として薬師免許が必要。
【調合師】
虫除け・魔獣除け、精神安定効果のある香等を調合する者をいう。
人体に影響のない物については無資格で出来るため、引退した伐剣者等が多く営んでいる。




