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永久の戦艦 大和  作者: 呉提督
8/88

第四艦隊事件

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

1935年9月


猛烈な台風下の岩手県沖で事故はおきた。

演習中の第四艦隊が波浪で損傷。

中でも駆逐艦2隻は艦首が切断された。


この事件は海軍首脳部、そして造船関係者を

驚愕させた。


事故原因は溶接の技術不足と

海軍側の過剰な要求であった。

ワシントン条約下で建造された艦は

決められた排水量の中に武装を詰め込んだものが

多く、艦体強度にゆとりがなかった。

その結果、このような惨事となったのである。




この事故を受け、海軍首脳部はただちに

牧野を中心とするチームを編成。

全海軍艦艇に補強工事を実施した。

幸助ら新人造船官もこの工事に加わり、

海軍艦艇の設計や溶接が見直された。



この経験がのちの海軍に大きな利益をもたらすのだが、

それはまだ誰にもわからなかった。




・・・・

1936年 冬



積雪こそないものの、凍てつく風が吹き抜ける

横須賀の料亭にふたりの男の姿があった。


航空本部長の山本五十六と

航空本部教育部長の大西瀧治郎である。

このふたりはこの時代にめずらしい生粋の航空主義者

として海軍内で知らぬものはいない。

(有名な山口多聞や小澤治三郎も元は

水雷や砲雷出身である)


この料亭は海軍御用達で、多くの大将クラスが

利用している。


この時、山本は中将、大西は大佐であった。



「上は46cm砲搭載戦艦の建造を決定したそうですぞ。」


「戦艦など5年もあれば無用になるのだがね。

まあ、こちらもマル2計画に空母3隻も盛り込んでもらった

以上、文句は言えんよ。」


酒を注ぐ大西に山本は穏やかに言った。


「しかし、3隻すべて通るとは驚きでした。

特に伏見宮(博恭王軍令部総長)殿下は絶対反対なさるかと・・・・。」


「次長の真田さんは中々柔軟な思考の持ち主だからねぇ。

なにしろ扶桑型の改装をやってのけたのだから。」



真田は扶桑型の改装と、戦艦と空母の協同運用という

"海空統合論"を唱える人間として

それなりに有名になりつつあった。


「にしても、今年採用された九六艦戦は

優秀ですな。」


「来年には新しい攻撃機も誕生する。

これからは航空機の時代だろう。」


「大艦巨砲主義者たちの驚く顔が楽しみです。」



料亭にふたりの笑い声が響き渡る。

この少し後、山本は永野修身海軍大臣によって

海軍次官へと引き抜かれた。


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