マリアナ沖大海戦 19
午前11時40分、
米機動部隊を攻撃した第一次攻撃隊が
相次いで第一機動艦隊に帰還した。
「これだけか・・・。」
"人殺しの多聞丸"の異名がつくほど
攻撃的な指揮で有名な山口も
この時ばかりはしばし言葉を失った。
若手の航空参謀らも唾を飲み込む。
出撃した316機の内、米艦隊と接触できずに
帰投した32機を除けば、戻ってきたのは
わずか81機。
一度の攻撃で約2/3もの航空機を失ってしまったのだ。
さらに、なんとか帰還した機体も、
翼は穴だらけであり、搭乗員が重傷を
負っているものもあった。
米軍の迎撃がいかに激しかったかがよくわかる。
「この分ですと、第二次攻撃隊の帰還機は
さらに少ないでしょう。」
これだけ帰還機が少ないとなると、
次の攻撃隊発艦にはしばし時間がかかる。
よくて本日の夕刻、悪ければ明日に持ち越し、
ということになるだろう。
正午過ぎ、航空参謀の悪い予感は
見事的中した。
母艦上空へなんとかたどり着いた
第二次攻撃隊の機体は63機。
いずれもボロボロで、中には航空機として
飛んでいるのが不思議なものもあった。
日本軍は二次に及ぶ攻撃で、米空母2隻を
撃破し、1隻を沈めたものの、
帰投後、修理不能で海中投棄されたものも
含めて、実に374機もの航空機を失った。
これは第一機動艦隊全所属機の約半分に
相当した。
特に、800kgの魚雷を抱く、天山艦攻の損害が
酷く、喪失率は7割を越えていた。
こうなると、本日中の再攻撃は
不可能であり、第三次攻撃は
明日以降、攻撃隊を再編成した上で
行うことが決まった。
そして、今度は米空母が日本空母に
攻撃を加える番だった。
午後2時20分、先行する空母大鳳の
対空電探が接近してくる多数の航空機を
探知。
その数240機以上。
「やはり来たか・・・」
大鳳型2隻を預かる第二機動艦隊司令官の
小沢は、待機している烈風隊に
直ちに迎撃を命じた。
大鳳型の巨大な飛行甲板から、
誉二二型の爆音を猛々しく響かせ、
飛び上がる烈風隊。
彼らにとって、これは初の実戦でもあった。
既に高速偵察機彩雲が米攻撃隊と
接触を図っており、その高度や速度などの
情報は、大鳳、白鳳の電信室に送られ、
その情報を元に簡易管制所が烈風隊を
誘導する。
烈風に取り付けられている五型空一号機上無線は
度重なる試行錯誤で、発動機の雑音を
排し、比較的遠距離の通信を可能にした
日本海軍の技術の結晶だ。
『敵機、高度5500より接近中。
各機は高度6000まで上昇、
敵機を視認せよ。』
『了解』
この癖のある烈風隊の猛者たちを
率いるのは、岩本徹三上等兵。
開戦時から空母瑞鶴に乗り組み各地を転戦。
珊瑚海の海戦では、母艦瑞鶴を米軍機の
攻撃から守り抜き、指一本触れさせなかった。
その後、その手腕を買われ、1943年夏から
木更津の航空隊で航空無線を使った航空隊の
育成や空戦の研究を行った。
今回はその研究の成果を見せる時でもある。
『敵機視認。高度6000。
此より攻撃ス。』
岩本たち烈風隊は米攻撃隊と
1000mの高度差で反航するように
飛行している。
向こうはまだこちらの接近に
気づいていないらしい。
厚い雲が空を覆ってはいるが、
その間から、星のマークを描いた黒い物体は
嫌でも確認することができた。
岩本が狙うのは、一番先頭を飛ぶ指揮官機。
これを落とせば、敵は混乱する確率が高いからだ。
米軍機の先頭が岩本機の真下を
通過しようとした、まさにその時、
(全機、攻撃態勢に入れ!)
岩本が手信号で僚機に指示し、
機体を反転させて、急降下突撃に入った。
敵機に対し、およそ70°という最高の角度だ。
岩本機は速度をつけてぐんぐん降下する。
照準器に捉えられた敵機はどんどん大きくなり、
やがてはみ出るほどになる。
そして、敵機に衝突するのではないかと
いうところまで接近した次の瞬間、
烈風の12.7mmと20mmの機関砲4門が
一斉に火を噴き、米軍機は右翼を粉々に
粉砕されて、太平洋に吸い込まれていった。