マリアナ沖大海戦 12
6月20日午前6時、
大和率いる第一艦隊は
サイパン島の東130マイル(約200キロ)の
地点で停止していた。
理由は単純である。
駆逐艦の燃料枯渇
日本を出てから既に3000キロ以上走った。
元々巡航速度よりかなり速い進撃だった上、
度重なる戦闘で燃料をかなり消費していた。
第一艦隊の夕雲型は朝潮型などと比べて
18ノットで5000海里(約9000km)と航続距離が大幅に
改良されてはいたものの、
燃料不足が心配されたため、
低気圧の真下での燃料補給となった。
せっかく米空母を追い詰めたのに
燃料不足で追撃を断念となれば
元も子もない。
「申し訳ありません。
燃料についてもっと配慮しておけば・・」
真田は宇垣に謝罪を述べた。
あらかじめグアムから油槽船を手配しておけば
嵐の下の洋上補給をする羽目には
ならなかったのだ。
屈強な海軍兵士が飛ばされそうになるほどの
暴風雨だが、駆逐艦への給油は
滞りなく進められているようだ。
やはり帝国海軍兵士の錬度は高い。
実はここで9年前の教訓が生きていた。
1935年9月に発生した第四艦隊事件。
台風下で演習中の海軍艦艇が波浪により
艦首が切断されるなどの被害を受けた。
この事件をきっかけに、帝国海軍は
艦艇の設計を見直し、
駆逐艦への兵装過剰積載を止め、
全艦に対波性向上の改修工事を実施した
のだった。
もし、あの事件が起きていなければ、
波に煽られて転覆する艦が出たかも
しれない。
だが、牧野が中心となった改修工事のおかげで
駆逐艦たちは高浪に煽られても
平然としている。
午前8時20分、
第一艦隊の後方に
多数の大型艦が出現した。
松田千秋中将率いる第二艦隊が
第一艦隊に追い付いてきたのだ。
第二艦隊は昨日午後、暴風域に入る前に
油槽艦から給油を受けており、
燃料の心配はない。
松田中将の座乗する旗艦大淀から
大和に発光信号が送られる。
『此方第二艦隊。此ヨリ我敵機動部隊ヲ
追撃ス。』
『此方第一艦隊。貴艦隊ノ健闘ヲ祈ル。』
松田の第二艦隊は
「第一艦隊との合流時、第一艦隊が
交戦中ならこれを支援せよ。
交戦中でなければ敵部隊を追撃せよ。」
と連合艦隊司令部より命じられていたため、
これに従い、敵機動部隊を追いかけた。
その後ろ姿を見送りながら、
真田は脳を回転させる。
(米機動艦隊はここから南東に約70マイル(およそ112km)
のあたりを遊弋しているはずだ。
向こうはこちらの接近に気づいているのか?
それとも・・・)
午前11時30分、
給油を終えた第一艦隊は
三時間遅れで第二艦隊の後を
追ったのであった。