大和就役
やっと大和がでます笑
1944年 3月
日本軍による
中部太平洋での決戦準備は最終段階を迎えた。
福田造船少将の設計した装甲空母2隻は
それぞれ「大鳳」、「白鳳」と命名され、
新型艦上戦闘機A7M2改め、「烈風」を搭載し、
搭乗員の訓練に明け暮れている。
大鳳型装甲空母
基準排水量:30600トン
公試排水量:35800トン
全長:264.5m
水線長:257.0m
水線幅:28.0m
飛行甲板:261.5×30.0m
エレベーター2基
出力:160000馬力
速力:33ノット
兵装
六五口径九八式一○糎連装高角砲8基16門
25mm3連装機銃22基66挺
21号対空警戒電探2基
航空兵装
常用56機 補助5機
大鳳型はこれまでの空母と異なり、
航空機の簡易管制室が設置されている。
この管制室から機上電話を使って烈風を誘導し、
戦闘をより有利に行うのだ。
烈風は2月にようやく生産体制が確立された
ため、機動部隊全空母に配備することはできず、
大鳳型2隻にのみ配備されることとなった。
大鳳型の役割は機動部隊本体の前方に
展開し、その防御力と戦闘機の
組織的戦闘力を生かして機動部隊本体を
敵機より守ることである。
一方、大和のほうも
すべての兵装の装備が終了し、
公試訓練を実施。
ほとんどの公試で優秀な成績を修めていた。
主砲の射撃試験も修了し、
3月22日、大和は連合艦隊に編入された。
国際情勢のほうはというと、
43年10月に国民党政府と講和。
日本は事実上中国に勝利した。
日本はこの重慶条約で満州の独立を
改めて承認させると同時に
中国国内における鉱産資源の優先獲得権、
邦人保護と治安維持のため、占領軍5個師団を
駐屯させる権利などを得た。
さらに
43年8月から44年2月にかけて
大本営はマリアナ諸島への大規模輸送作戦を発令。
決戦輸送と名付けられたこの作戦で
日本はマリアナ諸島の戦力をさらに増強したのだった。
マリアナ諸島日本軍戦力
サイパン島
陸軍6個師団 7万2000人
大口径火砲(自走砲、野砲、対戦車砲等)280門
小口径火器(機関銃等)1900丁
対空高射砲 77門
戦車 155両
航空戦力
陸軍戦闘機:190機
海軍戦闘機:380機
海軍爆撃機:250機
偵察機、その他特殊任務機:70機
テニアン島
陸軍4個師団 4万6000人
大口径火砲 160門
小口径火器 1200丁
対空高射砲 58門
戦車 138両
航空戦力
陸軍戦闘機:170機
海軍戦闘機:290機
海軍爆撃機:240機
偵察機等:22機
グアム島
陸軍2個師団 2万2000人
大口径火砲 110門
小口径火器 670丁
対空高射砲 36門
戦車 74両
航空戦力
陸軍戦闘機:70機
海軍戦闘機:120機
海軍爆撃機:90機
偵察機等:15機
陸軍兵力だけで12万人以上。
航空戦力は1600機以上。
これだけの戦力を集中し、
さらに連合艦隊の機動部隊と
水上艦隊が加わる。
日本の総力を挙げた決戦がいよいよ間近に迫っていた。