外れた思惑
1943年
その日は、終わったはずの夏が
またやってきたと思われるほどの気温だった。
家事をこなしながら、ラジオをつけていた
京子は、突然流れ出した軍艦マーチを耳にして、
手を止めた。
「9月16日、大本営陸海軍部発表!
本日正午、我が精強なる帝国陸海軍は、
連合国豪州と有利講和を締結せり!
このたびの講和により…」
ついにオーストラリアが根をあげた。
4月からおよそ半年に渡って行われた
第一航空艦隊による豪州全土への大規模空襲に
よって、豪州軍は壊滅的被害を被った。
頼みのアメリカも豪州の支援どころの
話ではなく、これ以上は戦えないと判断した
豪州は、米国に一切の資源、港、武器を援助せず、
中立を保つことを条件に日本と講和。
ここも真田のプラン通りといっていい。
では連合国の親玉アメリカは何をしているのか
というと、南方ソロモン方面に前進し、
日本を確実に叩くべく戦力を増強していた。
真田が陸軍や外務省からの情報を元に構築した
見立てでは、米国が日本を完全に圧倒する
戦力を整え、マリアナ諸島に侵攻してくるのは
1944年の3月〜6月。
日本もそれまでに決戦準備を万全に
しておかなければならない。
ルーズベルトやチャーチルが
「この年で枢軸国の勢いは完全に止まる」
と豪語した1943年はむしろ枢軸側の
勢力をさらに拡大させる羽目となった。
その原因はすべてドイツの超大型戦艦と
日本海軍のひとりの天才による
戦略にあった。
イギリスとオランダはアメリカに
亡命政府を樹立し、残存軍に徹底抗戦を
命じているが、統率のとれない軍で
蹴散らせるほどナチスは甘くない。
だがそれでもなお、ルーズベルトら
連合国指導者は自分たちの勝利を
疑わなかった。
なぜなら米国は来るべき反撃に備え、
兵器の大量生産体制に入っていたからであった。