長官機撃墜 1
1943年
連合艦隊司令部を乗せた信濃は5月26日
トラックに入港した。
山本長官の強い要望で、
連合艦隊司令部の前線航空基地視察が決まったのだ。
真田は安全性を考慮して強く反対していたが、
長官の意思は固く、最終的には合意した。
もしかすると、山本長官は日本海海戦で
三笠の露天艦橋に立ち、海戦を勝利に導いた
伝説の東郷平八郎元帥の姿を自身と重ねていたのかも
しれない。
視察するのは絶対国防圏の最前線基地
ギルバート諸島とマーシャル諸島。
第一次世界大戦で日本が獲得した委任統治領である。
ワシントン条約で要塞化が禁止されていたため、
防衛陣地は貧弱で、真田は島民を避難させたのち
この諸島からも撤退するように進言したが、
軍令部は
「トラック島防衛のために絶対必要である」
と主張。連合艦隊司令部も同意したため、
撤退は叶わなかった。
マーシャル諸島には零戦や陸攻など120機、
ギルバート諸島には二式水戦や哨戒機などおよそ80機が
集められ、米軍の侵攻や機動部隊の動向を
大本営に連絡する役割を担っていた。
飛行ルートは
トラック→マーシャル諸島マジュロ
→ギルバート諸島タラワ→トラック
の全5日間。
米軍のガダルカナル飛行場からは2800km以上
離れているため、妨害の危険性は低いが、
5月に入ってから中部太平洋で正規空母を含む米機動部隊が
何度も目撃されており、
会敵する可能性があった。
真田は何度も護衛機を増やすよう
説いたのだが…
「長官、念のため、護衛は多くつけて下さい。
零戦20機は必要です。」
「6機あれば十分だ。それより真田参謀。
留守を頼むよ。」
「長官!長官にもしものことがあれば、
日本は敗れます!」
長官は頑として首を縦に振らなかった。
「ならばせめて9機で。3個小隊なら
護衛する側もやり易いでしょう。」
この後も何度かやりとりが続き、
最後は長官が折れて9機の護衛が
付くことが決まった。
6月3日午前10時
トラック島の飛行場で連合艦隊幕僚を乗せた
2機の一式陸攻が発動機を始動した。
長官は緑色の三種軍装に身を包み、
部下に敬礼を返しながら、陸攻に
乗り込む。
それが山本五十六の最期の姿に
なろうとは、この時誰も思わなかった…