戦争の足音
1934年 秋
真田は中将に昇進し、軍令部次長となっていた。
「失礼致します。次長、次の建造計画案です。」
新たに第三課長になった佐久間京司大佐が
入室してきた。
マル2計画と呼ばれるこの計画には新型の航空母艦3隻の
建造が盛り込まれていた。
「ほう、空母3隻か。誰の意見かね?」
「山本五十六一航戦司令官です。
かなり強固に主張されまして・・・・」
山本五十六は日露戦争で巡洋艦日進に乗り込み名誉の
負傷。
その後アメリカに駐在し、航空開発に力を入れるなど、
海軍ではかなり有名な提督だった。
「そうか。いいだろう。許可する。」
「いいのですか、次長?せっかくワシントン条約も
破棄され、扶桑型4隻の改装も終わり、八八艦隊計画甲案も現実的になってきたところですのに。」
扶桑型戦艦は1924年から計10年にわたって改装され、
新たな戦艦に生まれ変わった。
ただし、金剛型の比叡と霧島は解体除籍されてしまったが。
扶桑型超弩級戦艦
全長213m 全幅27m
排水量3万500トン(常備)
最大速力28ノット
航続距離:16ノットで6000海里
主砲:45口径41cm連装砲3基6門
副砲:14cm単装砲20基
扶桑型戦艦は主砲を41cmに変更され、
機関もすべて重油式タービンに。
その結果28ノットという高速を叩き出す
最新戦艦となった。
ただし、船体はそのまま装甲を多少追加した程度なので、
41cm砲の砲撃には耐えられず、巡洋戦艦に近い形となった。
また、これによって伊勢型は廃止され、
伊勢、日向はそれぞれ扶桑型三番艦、四番艦と
変更された。
他国には"50口径35,6cm砲"として報道してある。
今のところ他国からの抗議は出ていない。
1930年にはロンドン海軍軍縮条約が開かれ、
空母や巡洋艦の保有数が制限されそうになったが、
日本はこれを蹴り、交渉は決裂。
山本五十六を中心とした航空主兵派が台頭し、
航空母艦の開発が進められた。
ワシントン条約によって建造が中止された
天城型戦艦3隻は航空母艦へと計画変更され、
空母天城、同赤城、同葛城と3隻の空母が誕生。
同時に空母に載せる航空機の開発も行われている。
日本を取り巻く情勢も大きく変わりつつある。
1931年(昭和6年)、関東軍は満州鉄道の線路を爆破、
これをきっかけに満州国を建国。
世界中から反感を買った。
1932年、海軍の青年士官が5,15事件を起こし、
犬養毅首相を暗殺。
この時、日本は国連でワシントン条約の破棄を
通告した(破棄通告後2年は有効)
1933年、日本は国連を脱退。
国際的に孤立していった。
ドイツではナチスという新しい勢力が台頭。
世界中が戦争へ歩みを進めていた。
「そういえば、"あいつ"はどうかね?」
「ああ、"あいつ"なら中々うまくやってくれてますよ。
昨日も一課や二課と議論してましたし、
今日は艦本です。」
艦本とは、海軍艦政本部のことである。
海軍省の組織で、軍令部から出された建造計画を元に
実際に建造を行う。
「そうか、そうか。」
真田は重くなった腰を上げて窓の外をみた。
扶桑型の改装に走りまわった若い頃がなつかしい。
たった10年前のことなのに、今では遠い昔のように
感じる。あと2年で還暦だ。
昔は3升飲めた日本酒も今はほとんど飲まなくなった。
彼は甥の姿に若い頃の自らを重ねた。