勝つために 1
1943年 1月5日
イギリスが降伏した。
奇しくも日米開戦から1年が経ったちょうど
その日のことだった。
イギリス艦隊とドイツ艦隊の決戦、
北海海戦で、イギリスは珠玉ともいうべき
戦艦4隻を失う大敗北を喫した。
欧州の魔王こと戦艦フリードリヒは
北海海戦ののち、大西洋や北海各地に出現し、
イギリスに向かう輸送船団を襲撃。
イギリスは何度も空軍を出撃させ、フリードリヒ
撃沈を果たそうとしたが、
逆にドイツ空軍の攻撃を許すはめとなる。
東洋艦隊全滅、シンガポール、セイロン、
スエズ運河陥落、本国艦隊壊滅。
これだけの敗北を国民が許すはずもなく、
議会ではチャーチル内閣の不信任決議がなされ、
チャーチル内閣は総辞職。
イギリスは降伏した。
こうしてヨーロッパはすべてナチスの
手に落ち、アメリカは
対日、対独戦の戦略を根本から見直すはめに
なったのであった。
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同年同月 呉
英国を連合国から脱落させることに成功した
日本の次の目標は、豪州、中国の脱落である。
海軍はインド洋に展開していた南雲中将指揮下の
第一航空艦隊を呼び戻し、
航空隊の再編や艦の整備を行ったのち、
南方へ進出。
この頃、日本は既に南方根拠地のラバウル、トラックから
完全撤退し、空挺団が占領していた
インドネシアのケンダリに前線基地を建設。
ケンダリはフィリピンのちょうど南にあり、
日本はこのケンダリ、フィリピン、台湾を結ぶ
ラインから米潜水艦を締め出すため、
水上機や機雷による対潜警戒を強化した。
また、主力となる航空機や、最新の
対空警戒電探などはサイパン、テニアンを
中心とするマリアナ諸島に輸送され、
マリアナ諸島は文字通りの航空要塞に
変わりつつある。
中国国民党はスエズ運河制圧による
援蒋ルートの遮断で、目に見えて弱体化した。
陸軍戦闘機が重慶上空を抑えたため、
空輸ルートも途絶えた。
支那派遣軍では3ヶ月後に重慶総攻撃が
予定されており、こちらも降伏は時間の
問題かと思われる。
さて、ここまで自分の思い通りに
戦争を推移させた天才参謀真田は、
連合艦隊参謀として、
新たな連合艦隊旗艦、武蔵型2番艦信濃に
異動になった。
信濃は武蔵型2番艦として佐世保で建造された。
武蔵の欠点である司令部施設を拡大し、
通信機器も充実している。
だがしかし、真田には大きな誤算が
ひとつあった。
敵は連合国だけではなかったのだ…。