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大和と命ず!
1942年 7月18日
この日、呉海軍工廠にはA-150
建造に携わった造船関係者や工廠関係者
およそ1000人が集まった。
A-150の設計者、牧野茂はもちろんのこと、
防御区画の配置や艦内構造の助言をした
福田啓二造船少将、51cm砲の開発を
成功させた松田千秋少将の姿もある。
午前10時、陛下の義兄である
国邇宮朝融王殿下が到着され、
関係者が見守る中、A-150のドックに
注水が始まった。
ドックが海水で満たされていく。
巨大な船体は無事、海面に浮かび上がり、
専用の曳船でドック外に引き出された。
A-150が海面に浮かんだ時、
各所で小さく感嘆の声が上がった。
これで第一段階はクリアだ。
次は第二段階。
主砲や艦橋などの艤装工事。
そして各種公試をクリアして初めて
軍艦として連合艦隊に編入される。
順調にいけば1944年の3月に就役する。
「本艦、A-150を、『大和』と命ず!」
海軍大臣代行、嶋田繁太郎の命名で、
A-150は大和という新たな命を
吹き込まれたのだった。