進水前夜
1942年 7月17日
この日、真田は珍しく午後6時に
帰宅した。
玄関に入ると、美味しそうな匂いが
漂ってくる。
同時に京子の
「お帰りなさい!」
という元気な声が聞こえた。
ここのところ真田は
夜遅い帰宅の日々が続いた。
まず、MO作戦の後始末。
損傷した空母空鶴の修理が
呉で行われることになったため、
関係各所への連絡や雑務が
必要だった。
また、山本長官から
連合艦隊参謀の岩田、田代両少佐が今回のMO作戦を
提案したと聞き、両少佐と格闘。
その結果、真田の予想通り、軍令部第一部長で
反真田派筆頭の福留繁中将が裏で
手を引いていたことが発覚。
真田はこの中将に警戒を強めることとなる。
これらの一件がすべて片付いた時、
既に広島は夏になっていた。
7月に入ってからも真田の仕事が
落ち着くことはなかった。
A-150の進水式が迫っていたからである。
進水の日付は7月18日。
住民には海軍防空演習の名目で外出を禁止し、
呉市内のすべての高台、丘に海軍陸戦隊員を配置。
呉海軍工廠も厳重な警備が敷かれた。
3日前にはすべての打ち合わせが終わり、
この日、真田は自らが計画、推進した
A-150を特別に見学したのだった。
棕櫚に覆い隠され、
ドックの中で静かに躍動の時を待つ
超巨艦。
全長300mを超え、排水量は10万トン以上。
世界に並び立つものなどなにもない、
戦艦を超えた超兵器。
理論上は必ず浮くのだが、いざ実物を目の前にすると
本当に浮くのかどうか疑問に感じてしまう。
そんな真田を
「子供みたいですね。」
とほほえましく見つめるのは
この艦の設計者、牧野茂。
彼はA-150以外にも多くの艦艇の設計、
建造指揮を執っており、こちらもほぼ
不眠不休だ。
「真田さん、料亭で一杯どうです?」
「すまんが、今日は家内の手料理が食べたくてね。」
「それはいいですね〜。今度私も食べに行きたいものです。」
そんなわけで、真田はこの日は
早めに帰宅することができた。
京子とふたりで夕食を食べるのは何ヵ月ぶりの
ことだろうか。
夕食を食べ終え、真田は京子の
膝で耳掻きをしてもらっている。
「京子、最近忙しくてな、申し訳ない。」
「お仕事ですからね。覚悟はしておりました。」
真田は彼女を妻に選んで本当によかったと
思った。
軍人である自分を理解し、文句ひとつ言わず
支えてくれる。
こんな女性はそうそう見つからない。
「ただ、夜は少し寂しいです…
ですが、政樹さんはお国のために尽くしていらっしゃるの
ですから、我慢致します。」
「『国のため』か…」
真田は『国のため』というフレーズに
疑問を抱きつつあった。
小さい頃はただ小学校で教えられたとおり
国のため、陛下のために尽くそうと考え、
兵学校を目指した。
可愛がってくれた叔父が海軍軍人だったことも
大きく影響していた。
だが、それも大人になり、現実を
見るにつれて打ちのめされた。
軍令部や海軍省、軍の上層部で国のために
動いている人間はほんのわずかで、
残りは自らの利益や地位のために仕事をしている。
料亭の女将との愛人関係や、財閥との癒着も
少なくない。
俺の憧れていた海軍はなんだったのか。
そう思うことが多々あった。
そんな時、真田を初心に戻してくれたのが京子
だった。
彼女の笑顔を見るたびにまた頑張ろうと思える。
家族を愛する気持ちはいつの時代も変わることはない。
真田の心は『国のため』から『家族のため』に
変わりつつあった。
「京子、明日も早いんだ。」
「防空演習でしたね。わかりました。」
たとえ家族であっても、軍の機密は
漏らせない。
真田は京子に嘘をついたことを
心の中で謝った