東洋艦隊消滅
東洋艦隊と第三戦隊の戦闘が始まったのは
19日午後3時18分頃。
第三戦隊が南西に進む東洋艦隊の右後方から
追いかけるような形である。
日本艦隊の速力は26ノットで
扶桑を先頭に、山城、伊勢、日向と続き、1800mの等間隔で単縦陣を形成していた。
戦艦同士の撃ち合いに、乗組員の士気は
天を衝くほど高かったという。
一方東洋艦隊はわずか14ノットに過ぎなかった。
元々リヴェンジ級戦艦は速度が22ノット程度しか
出せない旧式艦で、速力重視で改装された
日本艦隊とは運用思想が異なった。
さらに東洋艦隊は
この日の午前、一航戦の空襲を受けており、
駆逐艦1隻が25番の直撃弾を貰って沈没。
軽巡エメラルドが至近弾3発を浴びて
機関を故障。艦隊から落伍していた。
被害はそれだけにとどまらない。
東洋艦隊司令長官ジェームズ・サマヴィル中将の
座乗する戦艦レゾリューションが
魚雷1本を浴びて速力を落としていたのだ。
このため、東洋艦隊の陣形はレゾリューションを
中心とした、砲撃戦に不向きな輪形陣で士気も低かった。
第三戦隊は偵察機からの報告で
東洋艦隊の戦力、陣形、位置をほぼ
完全に把握しており、
15時18分、扶桑から第一試射が放たれた。
これにならい、他艦も一斉に砲門を開き、
東洋艦隊への攻撃を開始したのである。
日本艦隊が東洋艦隊を捕らえはじめたのは
交戦開始から12分後の15時30分。
山城の第五斉射が戦艦ラミリーズを
挟叉した。
この時、レゾリューション艦橋では
日本艦隊を35,6cm砲搭載戦艦と見て
「積極的攻撃をすべき」
とする血気盛んなジェームズ提督と
「損傷艦を抱えての戦闘は不利だから
回避に専念し、離脱すべきだ」
という司令部幕僚の意見が真っ二つに
分かれていた。
今回の場合は幕僚たちの意見が正しいだろう。
日本戦艦はすべて41cm砲であり、38cm砲の
リヴェンジ級戦艦が勝つ可能性は
低い。
さらに砲撃は逃げる相手には命中しにくいという
性質があり、東洋艦隊のとるべき手段は
逃げの一手に他ならなかった。
しかし、この時点で彼らは
日本戦艦の主砲を35,6cmと見積もっており、
正しい情報を知らない彼らに
最善を求めるのは酷というものである。
「35,6cm主砲の日本艦隊なら
十分勝利の可能性がある」
東洋艦隊司令部がこのような結論に達し、
針路を北北東に変更したのは15時41分。
この間、日本艦隊は3回の斉射を
行ったが、命中弾は得られなかった。
日本海海戦の東郷ターンを見てもわかるように、
針路変更する戦艦は未来位置が予測しにくく、
砲撃の命中率は極端に低下する。
東洋艦隊は一発の被弾もなく、回頭を終えた。
一方の日本艦隊は東洋艦隊に
頭を押さえられないよう、
28ノットに増速し、反対に
敵の頭を押さえにかかった。
さらには、伊勢、日向から2機の零式水上偵察機が
発進し、日本海軍が訓練を重ねた弾着観測射撃の
体勢に入った。
東洋艦隊も順次砲撃を開始し、
インド洋は戦艦9隻の砲音で埋め尽くされた。
交戦開始から40分後の15時57分、
勝利の女神は日本艦隊に下着をちらつかせた。
先に命中弾を得たのは日本艦隊。
山城の主砲弾2発がラミリーズに突き刺さったのだ。
主砲弾はラミリーズを貫通し、
艦内で爆発。二番砲塔弾薬庫を誘爆し、
瞬く間に戦闘不能に陥った。
このラミリーズは16時ごろ、被弾による
浸水多量で沈没。
扶桑の砲撃も敵を捕らえた。
同58分、戦艦ウォースパイトに
扶桑の主砲弾3発が命中。
一弾は艦橋下部を直撃して司令塔を粉砕し、
副長ら幹部は即死。
他の2弾も艦中央部を串刺しし、機関が停止。
さらに被弾の衝撃で主砲の旋回が不可能となり、
ウォースパイトも戦力として数えられなくなった。
最も悲惨な末路をたどったのは戦艦ロイヤル・サブリン。
東洋艦隊の左前部に位置していたこの艦は
全主砲を日本艦隊に向けるべく緩やかに
取舵をとった。
これが仇となった。
取舵をとったことでヴァイタルパートを
日本艦隊に晒してしまったのだ。
日本艦隊がこれを見逃すはずはない。
伊勢、山城の主砲がこの艦を狙い、
41cm砲5発がヴァイタルパートを貫通。
機関部は一瞬で全壊。
後部主砲弾薬庫に火がまわり、轟沈した。
東洋艦隊もまったく戦果がなかったわけではない。
旗艦レゾリューションは扶桑に38cm砲弾2発を
命中させており、扶桑は後部カタパルトを
破損、小火災を起こしていた。
だが、戦艦3隻を失った時点で
東洋艦隊の勝利は消滅したに等しかった。
残った戦艦リヴェンジとレゾリューションは
日本戦艦の射撃訓練の的にされ、
2隻とも大火災。まともな戦闘はもはや
できない。
ジェームズ提督は幕僚たちに
退艦を命じ、艦は放棄され、
2隻の乗務員は駆逐艦に乗り移った。
彼は燃え盛るレゾリューションの艦橋で
タバコを加えながら艦と運命を共にした。
マレー沖海戦で戦死したトーマス提督と
同じ道を選んだのだ。
日本艦隊は2隻の戦艦が白旗をあげ、
機関を停止し、乗組員が駆逐艦に
移動するのを静観し、
決して妨害しなかった。
敗残の兵となった駆逐艦7隻と軽巡2隻は
マダガスカル方面へ退却。
日本艦隊はなおも燃え続けるリヴェンジと
レゾリューション、ウォースパイトを
曳航することも考えたが、火災の勢いが激しく、
それは不可能と判断。駆逐艦4隻の魚雷で
引導を渡す。
ここに英国海軍東洋艦隊は消滅したのだった。