インド洋方面作戦 5
4月ももう下旬にさしかかった
19日、インド洋モルディブ諸島の南西210海里
(およそ370km)の地点に獲物を待つ
狼の群れがいた。
南雲機動艦隊(第一航空艦隊)指揮下の
戦艦部隊、第三戦隊である。
巡洋戦艦扶桑、山城、伊勢、日向からなる
この部隊は、最大速力29ノット、
41cm砲を計24門備えていた。
護衛には第一七駆逐隊の駆逐艦4隻
(谷風、浜風、浦風、磯風)が付き従っている。
この4隻は日本の国産戦艦で、
旧式化していたため、ワシントン条約で
廃棄されそうになっていたところを
真田孝幸によって改修され、
世界最強の巡洋戦艦に生まれ変わった。
この戦艦部隊の役目はモルディブ諸島
アッドゥ環礁から逃げ出してくる
イギリス戦艦部隊の撃滅にあった。
7日にコロンボを陥落させた日本軍は
次の行動に移った。
まず、南遣艦隊の高速打撃部隊が
ベンガル湾で通商破壊を実施。
わずか1週間でイギリスなど、連合国の輸送船23隻を
撃沈、拿捕するという大戦果をあげた。
機動部隊は機材と燃料の補給を終え、
西部インド洋に進出。
第一航空戦隊と第二航空戦隊を分離し、
連日艦攻20機以上を投入した大規模な偵察を実施。
その結果、16日、アッドゥ環礁に
イギリス軍東洋艦隊の残存艦隊を発見した。
東洋艦隊の残存部隊はマレー沖海戦で沈没した
インドミタブルの姉妹艦、フォーミダブルと
リヴェンジ級戦艦のレゾリューション、ラミリーズ、
ロイヤル・サブリン、リヴェンジ。
そこにクイーンエリザベス級のウォースパイトも
加わり、戦艦5隻、空母1隻の
大艦隊を構成していたのである。
一航艦司令部は一航戦だけでこの艦隊を
撃滅できると判断、
17日黎明、攻撃隊103機を発進させる。
しかし、攻撃は彼らの思惑どおりには
いかなかった。
何しろアッドゥ環礁はイギリス軍が
かねてから緊急時の拠点として
要塞化していた要地であり、
コロンボやトリンコマリーのように
脆弱ではない。
攻撃隊は英戦闘機の激しい迎撃にあった。
15機以上が未帰還になり、
多くの機が被弾した。
だが、優秀な日本軍機は第一目標の
空母フォーミダブルに爆弾3発、
魚雷2本を命中させる。
爆弾は装甲に弾かれたが魚雷は
機関室への浸水を招き、フォーミダブルの
出しうる速力は12ノットにまで低下した。
この結果を知り、南雲司令部は
英艦隊より先に航空戦力を撃破することを決定。
第二次攻撃は零戦と九九艦爆が中心となり、
飛行場へ攻撃を加えた。
18日も同様の空襲が行われ、アッドゥ環礁の
英航空隊は壊滅。
日本側も2日間で合計36機を喪失した。
東洋艦隊司令部はアッドゥ環礁の放棄と
アフリカ方面への退却を決断。
航行不能となったフォーミダブルと
駆逐艦4隻を除いた、戦艦5隻、軽巡3隻、駆逐艦8隻が
18日深夜出港。
19日朝にも日本軍は空襲を敢行。
狙いは東洋艦隊だったが、
既にモルディブ諸島を離れており、
空振りに終わった。
イギリスのこの素早い行動に
一番驚いたのは南雲司令部であろう。
源田は南雲に多数の索敵機による
早期捕捉を進言。
幸運の女神は日本に微笑んだ。
午前9時、アッドゥ環礁の西南西120海里
(およそ200km)に逃走する東洋艦隊が
発見されたのだ。
機動部隊はただちに空襲を命じ、
同時に指揮下の第三戦隊に迎撃命令を下した。
第三戦隊の目的は航空隊の撃ち漏らしの掃討もあったが、
東洋艦隊との砲戦の方が強かった。
開戦以来地上目標の砲撃しかしていない
戦艦部隊の士気を高め、連合国に日本の砲撃戦能力の
高さを見せつけるためにも彼らは
東洋艦隊に勝利しなければならなかった。
最も水雷家出身の南雲が艦隊決戦による
勝利を望んでいたこともあったが。
そして、19日午後3時頃、
「左舷前方水平線上、マスト視認!」
遂に第三戦隊は東洋艦隊を捕捉。
開戦以来初の戦艦同士の決戦が
始まった。