隣に
1942年 3月上旬
「よし、これで最後だな。」
大量の本が紐で結ばれ、トラックに
積み込まれる。
これで荷物はすべてだ。
真珠湾攻撃を成功に導いた真田は、
呉鎮守府参謀として軍令部を離れ、
呉で勤務することとなった。
仕事は主にA-150の監督だが、
連合艦隊司令部がある戦艦長門が呉に
停泊しているため、そこで
アドバイザーもすることとなる。
どちらかというと後者の役割のほうが
大きく、呉鎮守府参謀は肩書きのみである。
3日前から行っていた引っ越し作業が
ようやく終わったところだった。
「正樹さん、今まで本当にお世話になりました…」
20歳になった京子が悲しそうに頭を下げた。
彼女はずっとこの引っ越しの手伝いを
してくれた。
この家は売りに出すので、掃除をしなければ
ならなかった。
正樹ひとりなら1週間はかかったであろう
その作業も京子のおかげで早く終わった。
「こちらこそ、本当にありがとう。」
春の暖かい息吹が辺りを包み込む。
桜の花がふたりの頭上をひらひらと舞う。
「それじゃあ、俺は行くよ。」
「…待ってください!」
真田の軍服の後ろが引っ張られる。
「私、私、真田さんが初恋だったんです。
最初は位の高い軍人さんだって聞いて、すごく
怖くて、でも、実際に接してみたらそうではなくて、
軍人さんなのに家の中汚いし、掃除はしないし、
料理は作れないし、でも、いつも優しくて…
私はそんな貴方がずっと…」
真田は振り向かず、一言だけ呟いた。
「やめておけ、軍人の妻なんて、苦しいだけだ。」
だが、軍服を引っ張る力は弱くなるどころか
より一層強くなった。
「覚悟はできています。お願いです、私も
呉に連れていって…」
真田も気持ちは同じだった。
だが、自分は海軍の高級参謀で、危険な黒い仕事を
することも多い。
それに彼女がいなくなったら、彼女の母親は
誰が世話するのだろうか?
「京子もそんな年になったのかい。」
すると、食堂から彼女の母がでて来た。
これまでの話はすべて聞かれていたようだ。
「私のことは心配なさんな。
昔の知り合いの息子が兵役検査で不合格に
なったからここで働かせてほしいって言ってきたからさ。
京子、あんたには迷惑かけたねぇ。
お父さんいなくて、大変だっただろう。
真田さん、今まで何度も助けていただいてありがとうございました。どうか、娘のことを頼みます。
京子、幸せになってきなさい。」
「お母さん…ありがとうございます。」
京子は母と抱きしめあい、感謝の言葉を
送りあう。
真田はそれをしみじみとした様子で見ていた。
「お母さん、行ってきます。」
「お義母さん、健康に気をつけて。
お元気で。」
こうして真田は京子と結ばれた。
真田38歳、京子20歳の春のことだった。