祝杯
感想欄でご指摘のあった真珠湾攻撃時の
図を最後に載せておきました。
手書きなので、汚いのには突っ込まないで
ください。
1942年 1月5日 (日本時間)
戦艦長門にある連合艦隊司令部に
真珠湾攻撃成功の一報が入ったのは
1月5日正午過ぎのことである。
南雲機動部隊からの情報によれば、
真珠湾の戦艦群は8隻すべてが撃沈もしくは
大破し、戦闘力を完全に失った。
また、空母2隻も火と黒煙の塊と化して
沈んでいったという。
燃料タンク、港湾施設も抜かりなく攻撃され、
真珠湾は廃墟に変わったそうだ。
「そうか。やってくれたか。」
若い参謀たちが大勝利に沸く中、
山本の表情は決して明るくなかった。
日本の行く先を案じてか、それとも別の理由が
あるのか、それは山本本人にしかわからないだろう…。
・・・・・・・
真珠湾の一報は軍令部にも伝わっており、
真田ら若手参謀は次の一手を議論している。
「空母を潰せたのは大きいな。
これで南方やインド洋方面に集中できる!」
「計画どおり、南方の資源地帯を確保し、
一気にインド洋を叩きましょう!」
だが、真田はこれをよしとしなかった。
「潰せた空母は2隻。エンタープライズは
取りのがした。となれば、アメリカは
大西洋方面からホーネットやヨークタウン
を引き抜いてくるだろう。
空母すべてをインド洋に送るのは危険だ。
ここは翔鶴型3隻を本土防衛のために残し、
インド洋に送る空母は一航戦、二航戦の6隻にすべきだ。」
軍令部第一部長の福留繁は当初
「米軍など恐るに足らず!」
と真田の意見を突っぱねたが、
「もし、本土が米空母に攻撃を受けた場合、
福留部長が責任をお取りになられるということで
よろしいでしょうか?」
という彼の一言で態度を豹変させた。
見事作戦を成功させ、計画どおり戦争を
進める連合艦隊。
彼らの快進撃はまだまだ続くのである。