第4話 3+1—unknown—
三日後、今日は出勤すると言ったが休みにされた速水は、ベッドフォンで音を聞いていた。
聞こえた音を口ずさむ。
「---------」
目がうつろで、ものすごく不気味だと隼人に言われたから、目を閉じる。
閉じた世界、けれど何処かをみて。
「ジャック……大会は置いといて、俺、ちゃんと即興やってみようと思う」
速水と交代の店番から、昼休みにわざわざ帰って来たジャックに、速水は言った。
「ついにやる気になったか!」
ジャックは嬉しそうした。
「よし、早速練習を――」
「いや、今日はいい」
「アゥ……」
ジャックは額をぴしゃりと打った。その後速水の方を掴んだ。
「まさか、まだ頭が痛いのか!大丈夫か!しっかりしろ!」
「今、痛くなった。うるさい」
速水はゆさぶられ、溜息をついた。
「ジャック。今度の休み、出かけよう」
「ええ!どこへいきますか!そうだハウスへ――」
「いや、それはいい」
「……アゥ」
ジャックが大げさに落ち込む。速水は無視した。
「ジャック。即興やる前に、頼みがある」
「?」
速水の言葉にジャックは首を傾げた。
■ ■ ■
速水は恐る恐る鍵盤の『ミ』を押した。
「駄目だ……ビョーって聞こえる」
そしてがっくりと項垂れた。
「ぶっ」
ジャックが噴き出した。そして大笑いした。
「笑うな!そう聞こえるんだ!声じゃ再現は出来ないけど、なんか延びるみたいな、ええと近いのは、太いゴムが振動するような音だ」
――ゴム?
「ピアノからそんな音が出るかよ!」
速水の言葉を聞いた、銀髪の男――ウィルが思わず言った。
彼はジャックの知り合いで、ブレイクビーツなども手がける、EDM系アーティスト。
そして絶対音感を持っている。
速水は、ジャックに「今まで変に聞こえるから敬遠していたが、生の音を知りたい」と言ったのだ。「出来れば自分で楽器も試したい。何か糸口が見つかるかも」とも言った。
そして。秘密を漏らさない、信用できる人、と言う条件を付けた。
そしてジャックが連絡したのが、ウィルだった。
ジャックは、「ならウィルだな。彼は絶対音感も持ってるし、速水の事も何か分かるかもしれない」と言った。
そして速水は音を出しながら、自分に聞こえる音をできるだけ口で表現しようとしたが――。
ド「カッ」
レ「キー」
ミ「ビョー」
ファ「ボン」
「ハハハハハ!」「ガハハハハハ!」
一同に大笑いされてしまった。
ジャック、ウィルはともかく、何故ロブまでいるのだ。
(この、タコ共!!)
速水は怒っていた。
ロブにはほとんど知られたような物だったが――やっぱりジャックはタコだ。
「おい、音どころか、高さも全部バラバラじゃないか!さてはお前、音痴だな!」
そしてウィルが言った。
ウィルは笑う事は笑ったが、それ以上に驚いたらしい。
速水は余計ムッとした。
「俺は音程には自信ある!先生に機械で計ってもらって、いつもずれてないか確認してたから……」
「何だって?」
ジャックとウィル、ロブが顔を見合わせた。
先生というのはかかりつけの医者だ。
昔、その先生が音楽大楽の教授と協力し、速水の脳を色々検査した。
そして速水は今も、先生に頼み込んで、定期的に聴力と、音程の検査をして貰っている。
「今はムチャクチャになったけど、昔は、楽器も曲も普通に聞こえたんだ。だから、ドレミがどんな高さか、音かそれは分かってる。それに歌が入った曲なら、自分で口ずさんでリズムが取れるんだ。――やるか?」
「ああ。音に合わせて―、って駄目か?」
「無しでいい」
「―――」
速水は声を出した。三オクターブ。
「うわ。お前」
ロブが驚いた。
「なるほど。確かにまあ、そこそこ正確だ。良く出るな」
ウィルが言った。
「良かった。声変わりの時とか、大変だったんだ」
速水はホッとした。
「じゃあこれは、どう聞こえる?」
ウィルは先程速水が弾いたミの音を出した。
「タッ……って聞こえる。さっきと、俺と違う!」
「えっ、弾く人間によって違うのか?」
ジャックが鍵盤を覗き込む。
「ジャックやってみろ!ミの音!」
速水が指さす。
「よし!」
ジャックは鍵盤を弾いた。
「ビヨーって……あれ?俺と、同じ……?ジャック、もう一回。……いや、似てる、くらいか」
速水は何回か、自分でもミの音を押さえて比べた。
速水は振り返った。
「……次!ロブさん、やって!」
「よし来た、行くぞ!」
腕を鳴らし、ロブがミを弾いた。
「……うーん……ええ?」
速水は唸った。
「どうだ?」
ロブが聞いた。
「ピンって……。もう一回押してくれ。あれ?少し、カッって聞こえる……?」
速水曰く、ピン、とカッが混じった音。
「……サッパリ分からないな」
ロブは言った。
「ロブさん、もしかしてピアノ出来る?」
速水は尋ねた。
「ん、ああ少し――って、それが関係あるのか?」
ロブが目をむいた。
速水は少し考えた。
「分からない。何か、俺たちが、簡単な同じ曲を弾ければ良いんだけど。俺はピアノやったこと無いけど、楽譜見て鍵盤押さえるだけなら、多分出来るし」
「簡単な?練習曲か」
ウィルが首を傾げる。
「サクラサクラとかそのくらいで。楽譜ネットで探すとか?ここにあるかな」
「ああ、その曲なら俺、知ってるぜ。五線譜あるか?無きゃ紙で。弾くから、ウィル音拾って書いてくれ」
ロブがウィルに聞いた。
まずロブが『サクラサクラ』を弾いた。
そして、コピー用紙というか、適当な楽譜の裏にウィルが五線を引き音符を書いた。
「絶対音感って便利だな!今ので分かるのか?」
速水は驚いて言った。
「ああ。ま、音楽やってると、たまに役に立つな。ウザイ時もあるが……で、今のロブの演奏はお前にはどう聞こえた?」
ウィルの言葉に、速水は額を押さえた。
「うーん……。音が多くて。説明不可能だ。でも、結構、綺麗だと思う」
その言葉に、ジャックが反応した。
「綺麗?どういう感じだ?」
ジャックに言われ、速水は少し考えた。
「もうかなり色々な雑音なんだけど、それでも聞けるっていうか。うーん」
そして頭を抱えた。
……上手く伝えられない。
「和音のハーモニーみたいな感じか?」
ウィルが言った。
「和音か……、うーん。音が幾つか重なるって言うのは近いと思う」
「ちょっと目を閉じろ。俺がいくつ鍵盤を押したかだけ、答えてみろ。ドレミはいい。――これは?」
ウィルに言われ速水は目を閉じた。
数える。いくつかの高い音……。ええと。
「八」
「……え?」
ジャックが声を上げた。
「じゃあこれは」
「四」
「これは?」
「えっと、シンプルだ。三」
「……駄目だな。これは」
ウィルが言った。
「けど、押さえる鍵盤が少ないと、少なくは聞こえるみたいだ……、それは良かったな。だが単純に倍でも無い、か……」
ジャックが言う。
「……どうだったんだ?」
おそるおそる速水は尋ねた。
「初めが三、次が二、最後が一。全部ハズレだ」
ロブが言った。
「お前、これで今まで良く踊ってたな。ドレミでも違うのか?」
そしてロブは信じられないと言う様子で言った。
「それは、さっきやった通り……」
速水は深く息を吐いた。
「音自体が変質して聞こえる……どう言う音か、何か楽器で再現出来ないか?」
ジャックはウィルに話かけた。
「ハヤミの語彙じゃ、よく分からんな。雑音?ノイズミュージックみたいな感じか?」
ウィルが聞いた。
「ノイズミュージックって、雑音とか合わせた感じか?」
速水は言った。単語は知っているが、速水はそもそも、ノイズミュージックを聞いたことが無かった。
「うーん、もっと速水が勉強してたら……!」
ジャックは言った。
「悪かったな。音楽の授業は、もうさっぱり分からなかったら、ずっとサボってた。先生が弾くピアノの音を聞くのも嫌だったから」
速水も少し後悔しつつ言った。
できないからと言ってサボらず、速水はもっと音楽の勉強を頑張っておくべきだったのだ。
「で、今聞いても、俺たちが聞いてるのと、さっぱり違うんだな……」
ウィルはお手上げ、と言う様子だ。
「声は普通に聞こえる。ただ、多分、音楽だとか、人が弾いてるって思うと、変わる。車のクラクションもたまに変……やっぱり精神的な物なのかな」
「よし、なら打楽器だ。ジャック、マリンバもってこい。トライアングルと、シンバルも!」
ウィルが言った。
「おお、打楽器……!さすがウィルだぜ」
ロブが感心した。
「……とにかく、鳴らしてみろ」
ウィルは立ち上がり、速水の肩を叩いた。
「……」
速水はその頼もしい様子に、驚いた。
敬遠されると思っていたが――。
「わかった」
そして、まずはマリンバを鳴らした。
「……あっ。あっ。――!!あっ!!」
ポンポン!と音を鳴らす。
「近い!これ昔のに近い!!ジャック!!音が少ない!」
「本当か!!」
ジャックとウィル、ロブも身を乗り出した。そしてハイタッチして快哉を叫ぶ。
「ジャック弾いてみろ!」
速水はマリンバの撥を渡した。
「ああ!」
ジャックが鳴らす。
「うん、大体一緒だ……!さっき、弾く人によって違ったけど……ロブさんは?」
速水に言われ、今度はロブが弾いてみた。
「あれ?あまり変わらない……」
ロブの音はジャックの音と大して変わらなかった。速水の音とも大差ない。
「マリンバはやったこと無いしな――って」
「やっぱり習熟度が関係あるのか?」
ジャックが言った。
「やっぱり、そうかもしれない……。俺が嫌な曲って、売れないのが多い……」
速水はトライアングルを手に取った。
適当に打って鳴らす。
キーン、とジャック達の耳には、トライアングル特有の心地よい響きが聞こえた。
絶対音感を持つウィルの耳には音階として。
「……コレは駄目だ。ジリジリジリって鳴ってる」
しかし、速水はそう言った。
「トライアングルは、決まった音程を出すのが難しいからな。シンバルもやってみろ」
ジャックが言った。
速水は両手にシンバルを持ち、勢いよく叩き合わせた。
「なんだこれ……」
速水は昔とのあまりの違いに溜息を付いた。
「どう聞こえた?」
ジャックが聞いた。
「いや、低い音がボコー、ポーンって同時に。昔聞いたシンバルの音と違う」
「はぁ……」
ジャックが溜息を付いた。
「でも!大収穫だ!そうか単純な構造ならいける――?マリンバ買うか?」
ジャックは言った。
「でかいし、木琴で良いんじゃ無いか?でも、鉄琴は駄目な気がする。家にあったリコーダーとかも、全然駄目だった。グラス二つ打ち合わせると、たまに音が歪むから――、ガラスとか金属は特に良くないのかも……?」
速水はマリンバをポンポン、と打ち鳴らす。
楽しげだ。
「すごい!まともな音がする!あ……ソから多分ちょっと外れてる。うわ。……ん?」
速水はドレミファソラシド!とマリンバを叩いた。
「どうした?」
ウィルが尋ねた。
「ソからおかしい……」
「高音が駄目か?」
速水は低いドレミを鳴らした。
「低いのも駄目だ」
ドレミファ。ここまでだった。
「ドレミファ……もしかしたら、まともに聞こえる音は、その高さに入ってるのかもな。書き出してみるか?」
ウィルが言った。
「やってみる。何か曲を弾いてくれ。俺がまだ知らない曲で、あまり難しくないやつ」
速水は楽譜を見て言った。
「そうだな……フランスの、子供が歌う民謡みたいなのでいいか?」
ウィルが言った。
「それでいい」
単純な曲だというのはわかったが、それにしては音が偏っている。
ウィルはごく自然にピアノを両手で弾いた。
「ごめん、片手で頼む」
速水は言った。
「……だめだ、ドレミが全然わからない。やっぱり、ピアノの音には雑音が多い。ピアノは中で弦を弾いてるからかな?雑音が混じって、上手く聞き分けらないんだ。木琴ぐらい整理されてると大丈夫なのかな……」
ピアノは奏者が鍵盤をたたき、それがハンマーを動かし弦をたたく、打弦楽器だ。
音が直接出る打楽器よりも難しいのか……。
ウィルの演奏をしばらく聞いて、速水は少し項垂れた。
やはりドレミにはできない。
ただ、もしかしたら。何か規則性があるのでは……という気がした速水は、ウィルにそう言ってみた。
「なるほどな。だが、お前にしか聞こえないなら、お手上げだ。自分で整理するしかないな……」
ウィルは腕を組んで唸った。
速水はため息を付いた。
「……まあ、色々やってみる。ありがとう。――久しぶりに聞けて良かった…。サンキュー」
速水はマリンバを撫でた。
「なぁ!……お前―もしかして、リズムは取れるんじゃないか?」
しばらく黙っていたロブが言った。
速水ははっとした。
「そうだ。確かに。俺、それで踊ってる」
速水は言った。
「ドラムの音とか、聞こえるか?」
「いや、編曲と、曲の切り替わりが分かるくらい。似た曲だと多分、混ざってどれか分からなくなる。っていうか」
速水は俯いた。
「たぶん、全然違う曲になってる。昔聞いた曲、今ジャケット見ずにかけられたら分からない。踊る時は予習して、振り付け先に決めて踊ってる。あ、ノート忘れ—―」
「勝手に持って来た」
ジャックが取り出した。
「サンキュー」
その後も木琴を弾いたり、ドラムを叩いたり、笛を吹いたり、歌ったり、日が暮れるまで散々試した。
その結論は――。
「もう、あきらめて慣れるしか無いな。とにかくいろんな曲を聴いて」
ウィルはグッタリしていた。
「そうかも」
速水もぐったりした。
「色々ありがとう、ウィルさん。少しは糸口が見えそうかも」
去り際、速水はウィルと握手をした。
「ああ。ジェスターでいい。ミスターは要らない」
彼はそう言った。
「……ジェスター?セカンドネーム?」
「彼はDJだよ。ウィリアム・ジェスター・ヒルトン」
ジャックが言った。
「W・J…――って、まさか、あの!?」
速水は驚いた。EDMに詳しくない速水でも知っている、超が付くほど、世界的に有名なEDMアーティストだ。
「先に言えよジャック!」
「いや知ってると思ってた」
ジャックは苦笑した。
「っはは。まあ、何か分かったら、また来いよ。あ、踊りがマシになったら見せてくれ」
そう言って別れた。
〈おわり〉