青の贈り物
朝議の前に顔を見ておきたいとリアに宛がった部屋を訪れたジャスは、少女の隣で眠る友を見つけて呆れた。咎める気持ちはない。能天気に見えてその実、対人面においては神経質なきらいのあるヒルダが、会って間もないリアの隣で眠る姿はなかなか心地よい衝撃だったが、いかんせん寝顔が間抜けすぎる。
(ここのところ、まともに休ませてやれなかったからな)
ずっと、ジャスそばにいてくれた。主だの何だの。媚びているのではなく、もしジャスが王子でなくとも、彼女はジャスを選んでくれただろう。
だが、ジャスはヒルダを臣下として見たことはない。あくまでも友人なのだ。
「あんまり寂しいこと言うなよ」
だらしない顔の鼻を軽く摘まむ。それでもヒルダは起きなかった。昨夜のうちに、この部屋には幾重もの結界を施してある。その安心もあるのだろうが、自ら警護に名乗り出た割には無防備だった。俺が変態だったらどうするんだと考え、我ながら馬鹿なことをと笑ってしまう。
リア以外は女に見えない。それはもう、きっと生涯変わらないだろう。だが逆に、どうしたって女には見えないと断言できるのが、このヒルダなのだ。そしてそれは、ヒルダにとってのジャスも同じこと。自分たちの間に過ちなどありえないし、もし起きたとしたらその翌日に世界が滅ぶに違いない。
寝台の反対側に周り、リアの顔を覗き込んだ。頬に掛かる髪を静かに払い、撫でてやる。彼女は祖国で尊ばれる金髪でないことに劣等感を示していたが、ジャスはこの柔らかな茶髪を気に入っていた。木漏れ日の中で風に揺れる様は、いつだってジャスを魅了する。
自然と、溜め息がもれた。
時ならず見とれてしまったのか、静かな寝息に安堵したのか。それとも、こんな状況だというのに、手元に置いておける事実を悦んでいるのか。
(どれも正解だ)
思えば、あの夜ジャスを拒んだリアは正しかった。どれだけリアを愛しく思っても、ジャスは彼女が抱いている印象ほど清廉な人物ではない。嫉妬も独占欲も性欲も承認欲求も、他にもあらゆる欲が己の中で蠢くのを自覚していた。
リアと出逢い、できるはずがないと思っていた恋に落ちて、自分がどれほど醜いかを叩きつけられた。こんなにもたくさんの欲望が心の底に眠っていたことを、それまで全く気づかず生きてきたから。
愛とは己の醜さを映す鏡のようだ。
(それなのに)
どうして、と思う。
少女の髪を撫でる手が止まらない。ずっとこうしていたい。そう感じてすぐ、自分の意思の弱さを嫌悪する。いつだって、そんなことを繰り返していた。
(・・・好きにならなければ)
こんなに苦しい想いを知らずに済んだ。いっそ出会わなければ良かったかもしれない。
そう、思うのに。
「ジャス・・・?」
琥珀色の瞳。とろんとした寝ぼけ眼。ヒルダと大差ない間抜け顔だというのに、妙に艶かしく感じる。ジャスは手を引っ込めようか迷って、結局そのまま彼女の額を撫でた。今更ばたつくのも、みっともない。
「悪い。起こしたな」
「ううん。・・・あれ、ヒルダさんは」
「あんたの横で爆睡してる」
しーっ、と指を立てて笑う。リアが驚いた様子で横を振り向き、すぐ顔の向きをジャスに戻した。
「よだれ凄いよな」
「ばか。女性の寝顔を見るなんて・・・」
駄目でしょ。そう言いかけたリアが、すぐ赤くなり布団を被る。ジャスは面食らった。ヒルダを起こさないよう、小声で尋ねる。
「どうした?」
すると、くぐもった声で返事がきた。
「あたしも寝起きだから・・・」
今更そんなこと気にされるとは思わず、ジャスは困惑する。いつもリアの面倒を見てきたのは自分であり、特に宴会で目を回す度に介抱もしているので、正直寝顔より悲惨な状態も知っている。
まあ、そんな時でも愛らしい娘なのだが。
内心で大真面目に、しかし殆どの者から同意されない惚気を呟き、ジャスは笑った。
「なんだ、顔を見せてくれないのか」
「・・・あげない」
「どうしても?」
「ど、どうしても!」
隣でヒルダが寝返りをうった。リアは驚いて飛び起きる。その漫才のような流れに、ジャスはつい忍び笑いを漏らした。
「な、なによ」
結局は寝起きの顔を見られてしまったことに、リアは不機嫌そうだった。いや、不機嫌を装って盛大に恥ずかしがっている。口を尖らせた様が抱き締めたくなるほど可愛かった。
「いいコンビだな。安心した」
さて、と立ち上がり、ジャスは踵を返した。驚いて目を丸くするリアに笑いかける。
「控えの間に俺の乳母のレイチェルが侍ってる。自分の家の使用人だと思って、好きに使え」
冗談めかして、敢えて尊大に言う。ここまで言っても、この腰の低く内向的な公爵令嬢が、どうせ我が儘ひとつ訴えないのは分かっていた。王子の乳母というのは、世間的には大層な名誉ある役割なのだから尚更だ。だが、ジャスにとって信頼できる異性は限られている。手持ちの札として数えるならさらに少ない。あとは精々叔母のクラウディアくらいだろうか。
コーバッツ男爵夫人も気っ風のいい女だが、いかんせん社会的な地位は宮中において高くない。寧ろ成金の嫁、異国の小娘を養女にして名声を得た卑女などと陰口を叩かれている。これは自分が庇うほど面倒に拗れていくのが分かるため、ジャスにとっても頭の痛い問題だった。ヒルダ本人が何事もないように振る舞うので、尚更深入りできないでいる。
あとは姉ノアリス。だが、夜明け前のあの熱愛夫婦ぶりを見せつけられたあとでは、さすがにまだ会いたくない。消去法で、レイチェルにリアの世話を頼むことにした。さすがに四六時中、ヒルダばかりを働かせてはいられない。
「どこにいくの?」
不安そうな声で尋ねるリアは、小さな子どもにも見える。目線を合わせ、にっこり笑った。
「朝議だよ。夕方には戻るし、ランティス達も呼んである。・・・何があったか、その、言いづらいだろうけど」
リアの肩が跳ねる。触れたいと思った。できるなら慰めてやりたい。しかし、自分とて彼女を求める男だった。
「王女の宮殿に賊が押し入った。これは無視できない事実だ。可能な限りでいい。情報をくれないか。どうしても辛いなら、ヒルダを介してもいい。気持ちが鎮まるまではここにいて、好きに過ごせ。そのためにレイチェルとヒルダは、ここに置いておくから」
諭すように言うと、リアは静かに顎をひいた。反応があったことに安堵し、ジャスは今度こそ部屋を出る。
「殿下」
「待たせたな」
寝室を出ると、律儀に手前の私室で待機していたクリフが声をかけてきた。軽く答えると、彼は一礼した。
「ラゴート殿とラルス殿には使者を出しておきましょう」
「地獄耳だな」
小声の会話だったが、彼の耳には聞こえていたらしい。
「あいつら、少しは休めたかな」
「あら。殿下こそ御自愛なさいませ」
無礼にも割り込んできた第三の声に、ジャスはびくりとする。応接室を出たのだから、当然控えの間にいるレイチェルと顔を合わせることになる。
「殿下。想う方のことを案じるお心はまこと美しく、尊いものです。なれども、まずはご自身を労って下さいませ」
「いや、目の下の隈は、どちらかというと王女殿下のせいなんだけど」
「言い訳なさいますな。その麗しき美貌を損なうなど、天に仇なすも同義。今夜はしっかりお休み頂きます。もう立太式まで日がありませぬ。クリフ様も、すっかり殿下にお甘くなってしまわれて、なんと情けないことか」
滅多にないクリフと共に受ける説教にびくびくしつつ、ジャスは降参した。
「分かってるよ。悪かった。以後気を付ける」
本音を言えば、少し辟易している。
頑固で堅物なクリフ。
猪突猛進気味のヒース。
自由奔放なヒルダ。
口うるさいレイチェル。
自分の手持ち札は本当に曲者揃いだと、重い溜め息をついて朝議に向かうジャスだった。
ジャスが退室した後、リアはようやく寝台から出た。本当ならジャスが来てくれた時点ですぐに立ち上がるべきだったが、自分が寝起きであり、寝間着姿だった為にそれさえできなかったのだ。
(ジャス、いつもどおりだった)
昨日の告白めいた爆弾発言の嵐は何だったのか。リアは思い出すだけで動悸が激しくなるというのに。どうも彼は秋以降、妙に大人っぽくなりすぎている。
「んー・・・」
唸り声にどきりとして振り返る。見ると、ヒルダが口をモゴモゴ動かしていた。なんだか子供のようで愛らしい。といって、子供自体の相手は苦手だが。
ヒルダを起こさないよう気を付けながら、室内を見て回る。さすがに大国の王宮だけあって、寝室だというのに馬鹿げた広さだ。豪奢な寝台の側には浮遊する魔法道具がある。魔法大国ならではの照明器具だ。きらきらと輝きながら、球体の中で光の花が舞っている。随分と女の子らしい雑貨でリアも乙女としてときめくが、まさかジャスの好みではあるまい。するとヒルダの趣味だろうか。そう思いながら、カーテンをめくり、窓の外を覗き込む。
「えっ・・・!?」
思わず大声が出た。すると、ヒルダが覚醒したらしく慌てて近寄ってくる。
「どうしたの!」
「ご、ごめんなさい。でも、外が!」
「え? ・・・ああ」
なんだ、と安心したように呟くヒルダを、リアは信じられない思いで見つめる。
「だって、外・・・外が、海の中に!」
「落ち着いて。結界だよ、これ。クリフさん渾身の出来だってさ。それにしても、殿下ったら尽くすねぇ。君が退屈しないように、こんなところまで気を回すなんて」
「え?」
しみじみ言われても、頭がついていなかない。
誰だって驚くだろう。
カーテンを開けて窓の外を見た時、そこに広がるのは王宮の景色ではなく、深海の幻想的な世界だった。青という色の美しさを魂に刻みつけるような絶景を起床直後に、何の心構えもなく見たリアは茫然とする。
「あ、あたしの為?」
「うん。ただの結界なら、こんな効果は必要ないし」
「でもさっき、何も言わなかったわ」
「押し付けがましくなるからじゃない? 殿下のことだ、特に何をしたとも思ってないよ。君が気づかないままでも、きっと自分からは何も言わなかったと思う」
君のことがよっぽど大事なんだね。そう笑うヒルダを睨む真似をして、なんとかリアは、火照る顔を誤魔化そうとする。
「ヒルダさん」
「照れてるねぇ、お姫様」
「そんなんじゃありません」
「はいはい、朝からご馳走さま。まずは着替えようよ。それでご飯を食べて、お茶して、お喋りしよ。なんてったって、君の仕事は元気になることなんだから!」
行こ、と軽く手を引かれた。なんだかチュニアールにいるみたいだと思い、小さく笑う。
寝台脇のテーブルにある髪飾りからは、意図的に目をそらした。かつてサズから贈られた品は、今やリアにとってサズの存在そのものになっている。
彼に再会し、拒絶した。その結果に起きた全ての現実は変わらない。
戦うには、このどん底の気持ちから這い上がらねば。
向き合おう。ヒルダの温かな手を握り返し、リアは顔を上げた。
弱い女のまま、蹲ってはいられない。
レリアル・ウルフラーナは、誇りある【星空の宴】の一員だ。彼らの仲間で在る限り、何度だって立ち上がる。
もう、答えは出ているのだから。
鳥籠の中には戻れない。
彼もリアの気持ちを見透かしていたから、あんな手段に出たのだ。身を汚されたら、リアの意思は砕けると理解している。
サズは容赦しないだろう。しかし、リアも譲れない。どうすればいい。どうすれば、サズを敵の中から引き剥がし、説得できるのか。
(まずは、身を整えよう)
ヒルダの言う通りだ。
身支度をして、食事をさせてもらおう。よく考えれば、昨日から殆ど何も口にしていない。
「お姫様?」
どうしたの、と覗き込んでくるヒルダに、リアはなんでもない、と笑った。
「ヒルダ」
「うん?」
「・・・遅くなったけど。これから暫く、お世話になります。どうか、よろしく」
本当なら、真っ先に言うべきことだった。ただ流されて受け入れているだけでは、今までと変わらない。
「昨日のこと、改めて話す。殿下が戻ったら、殿下にも自分で話す」
「え!? いや、それは」
つらいのことだろうと気遣わしげな瞳で見つめられる。リアは笑った。
「自分の事だもの。任せちゃだめよ」
ジャスに伝えたい想いがある。都合の悪いものだけ他人に押し付けたくはない。逃げたい気持ちはあるけれど、ここで目を背けるような女なら、サズを説得などできるはずがない。
「ヒルダさん、あたしを助けてください」
準備をしよう。
全てに向き合う、準備を。




